第6話

 延々と並んでいた木々が途絶えた場所だった。

 何というか、メルヘンな童話の女の子が、森の中の花畑で冠でも作っていそうな空間だ。

 まぁここに花は一輪も咲いていないけど。


 ジュンが落ち葉の上に寝っ転がる。


 あ、そうか。ここにするのか。


 私は、彼の隣に仰向けで寝た。


 両親のことを考えた。

 もう10年くらい会っていないし、声も聞いていない。

 あの人たちは、まだ私を〝娘〟だと思ってくれているだろうか。

 自分の子供が死ぬのは、どんな気持ちだろう。

 私は子供を産めなかったから、もう永遠に分からない。

 ここに来る前に電話しておけば良かったな。


「……ねぇ、マイコ」

「なに?」

「疲れた」


 ジュンは静かに言った。

 私を真っ直ぐ見て。



 好き。




 あぁ、私はやっぱりジュンが好きなのだと、唐突に思った。



「そうだね。疲れたね」



 私もジュンも、死にたいと思った決定的な理由なんて無い。

 何となくだ。

 そう、何となく疲れたんだ。

 何年もかけて名前を付けられない何かが溜まっていって、いつの間にか抱え切れないほど大きく、重たいものになっていた。


 ジュン。

 大好きなジュン。

 私の恋人で、幼なじみ。


 ジュンとは実家が隣同士で、家族ぐるみの付き合いだった。

 さすがに部屋の窓が向かい合わせにはなっていなかったけど、それでもラノベみたいに私たちの付き合いは続き、幼なじみから〝男と女〟になった。


 ジュンは私のことをよく知っているね。

 私もジュンのこと知ってるよ。


 ジュンのお父さんとお母さんは教育にとても厳しくて、ジュンは遊ぶ時間より勉強する時間の方が長かったね。だから成績良かったよね。小学校でも中学校でもトップだったね。高校は有名な進学校だったね。

 誰もが羨ましがっていたね。


 だけどある日、ジュンは壊れたね。

 急に何もかもが解らなくなって、怖くなって、息苦しくなって。不登校になって、中退して。おじさんとおばさんと喧嘩して、家出して。


 バイトを転々として、苦労して。


 やっと、2日前まで働いていた工場にたどり着いたんだよね。


 いっぱい働いたね。


 工場で知り合った先輩が、派遣のジュンを推薦して、社員になれたよね。


 ジュンには目標があったよね。

 貯金を500万円貯めること。

 別に欲しいものがあるわけではないけど、とりあえず500万円貯めることが出来たら自分を誇れるって、言ってたね。

 492万円まで貯まったね。

 だけど、それはもう無い。

 お金に困っていると頼み込んできた先輩に全額貸したら、先輩はいなくなってしまった。

 それが、1ヶ月前のこと。



「マイコ」

「ジュン」

「あのさ、子供の頃は楽しかったね」

「ジュン」

「父さんは、マイコと遊ぶことは許してくれた。マイコとたくさん遊んだ。学校にいる時も、帰った後も、明日はマイコと何をして遊ぼうかって思っていた。マイコのことばかり考えてた。あの頃、本当に幸せだった」

「うん。私もそうだった」


 責任も不安もなかった。

 ジュンといることがただ嬉しかった。

 そんな日がずっと続くと、信じていた。


「俺、大人になりたくなかった」

「分かる。いきなり〝20歳になったから大人だぞ〟って言われても困るよね」

「だよねー。心が追いつかないよー」

「30を過ぎてもまだ追いつく気配が無い」

「激しく同意」

「見た目は大人、中身は子供」

「それ切なすぎる(笑)」

「悲惨すぎる(笑)」



 2人で笑う。

 楽しい。

 楽しい楽しい。



 ジュンがポケットを漁り始めた。

 取り出したのは、透明の液が入った小瓶。



「ありがとう」


 私は無意識にそう口にしていた。


 ありがとう、ジュン。


 私は大学卒業後の就活に失敗して、両親を失望させた。

 その頃から、気分の浮き沈みがひどくなった。

 動悸と震えと過呼吸に襲われるようになった。

 パニック障害と診断された。

 両親は私をどう扱ったら良いのか分からなかったのか、距離を置いてきた。


 頭がおかしくなりそうだった。私は逃げた。無我夢中で向かった先は、ジュンのアパートだった。


 ジュンは何も訊かず、私を受け入れてくれた。

 一緒に暮らしてくれた。

 ワガママばかりだったのに、バイト先の愚痴ばっかり言ったのに、いつも許してくれてありがとう。


 私はやっぱり自分を優しい人間だとは思えないけど、ジュンが私を優しいと言ってくれるなら、きっとそうなんだろう。


 こんな私の恋人でいてくれて、ありがとう。


「これ、苦しまずに済むやつだから」

「うん」

「大丈夫?」

「うん」


 あぁ。


 幸せだ。


 誰が何と言おうと、いま私は幸せだ。


 本当に良かった。

 ジュンと友達になって、一緒に遊んで、ケンカして、ご飯を食べて、一緒に暮らして、恋をして、セックスをして、一緒に生きて、一緒に逝ける。


 最後に見られる景色に、ジュンがいる。


 幸せだ。


 私たちは生きた。


 笑った。


 怒った。


 泣いた。


 がんばった。



 最後に祈ろう。どうか失敗しませんように。最悪なのは、私だけがうっかり生き残ることだ。それだけは避けられますように。


 ジュンが右手で小瓶の蓋を開ける。

 左手で、私の手を握ってきた。

 私は握り返す。


「おやすみ、マイコ」

「おやすみ、ジュン」



 お疲れ様。


 大好きだよ。

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「たぶん今日、この人とセックスするんだろうなぁ」みたいな感じだった。 麻井 舞 @mato20200215

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