第04話 あの樹に向かって突っ走れ

 第三開拓エリア養生区画前線基地キャンプ

 キャンプとは機能的には隔離施設である。

 開拓で侵入した未踏地域には様々な危険がある。

 物理的な危険を想像しがちであるが、討伐においては間違っている。

 討伐者ギルドや軍において、最も神経質になる危険は生物学的危険である。

 未踏地域にはいまだ駆逐されていない数多くの病原体・寄生虫・昆虫が存在する。

 これらによるパンデミックは容易に社会機能を破壊する。



 キャンプ制度の始まりは千年前のパダン王国の事件に端を発する。

 大陸中央に位置してかの国は開拓業務に慎重であったこともあり、生活地の近隣に未踏破地域を擁していた。おそらくはそれが不運の始まりだろうと討伐者ギルドの研究者は推測する。

 当時はまだ必要な土地のみを開拓するのが通例だったため、パダン王国の失策とは言い切れないことを最初に付け加えておく。


 潜伏期間三日、死亡率四割。パダン熱と呼ばれるウィルス性疾患はパダン王国のみならず周辺国家を襲った。特にパダン王国の被害は酸鼻を極め、感染者八割という事態に陥った。

 更に再感染ではアナフラキーショックで発生する肺血栓によって死亡率は九割に達するという致命的な性質から、当時の技術でのワクチン開発は頓挫。

 パダン王国に続く古道は封鎖され、迂回路の打通をもって地図から王国はその名をパダン禁忌地に名を変えた。対抗する新しいワクチンが開発された現在でも再開発しようという試みはない。

 文字通り国家は殲滅されてしまったのである。



 この事件以降、事態を重く見た討伐者ギルドは、より隔離性の高いシステムをもって当たることとした。より積極的に未踏地に立ち入る討伐者ギルドにとっては、契約相手である国家に安全性を示さなければならないからだ。

 そのシステムが前線基地キャンプである。


 キャンプと生活地域の間は二重のフェンスで区切ることで、誤って越境することを防ぐ。その出入りは厳重な管理が敷かれ、生活物資は申請制の貨物配送によって行われる。

 キャンプからの外出には医療区画での三日間の隔離を義務付けされる。三日間に根拠はないのだが、パダン事変の恐怖が根強く残っている証左であろう。

 キャンプには商業施設もありキャストと呼ばれる民間人が多数居留するが、彼らも討伐者と同じく三日間の隔離を受ける。


 千年後の現代でも、利便性の向上はあるがキャンプのシステムは堅持されている。

 キャンプ内はギルドの統治下として扱われ、国家の掣肘は受けない治外法権となっている。これは疫学的な側面からギルドの専門性が認識されているためだ。

 キャストとして潜入中の官憲は一定数いるらしいが、ここにおそらく王国初の討伐者潜入捜査が開始された。




 ギルド初日の見世物で、悪い大人に担がれて、いいように遊ばれたお坊ちゃん。というレッテル付きで。やめて、優しい目が痛いの。




 ────────




── あの樹ですか?立派な樹だったんで伐らずに残してあるんですよ


 幅十キロ、奥行き六キロの養生区画の中でひときわ目を引く大樹があった。

 前世ではありえない植物で高さは百数十メートルを超え、未だに成長しているらしい。植物は魔術を行使しないので、単純に幹にポンプ様の器官でも付いているのだろうか?

 キャンプからも見える樹は枝ぶりもよく、たいしたランドマークとして存在感を示しそうだ。キャンプ駐在のギルド職員が誇らしげに言っていたのを思い出す。




 養生区画とは討伐段階が完遂して、樹木の伐採や丘の掘削などの整地を行っている最中の区画のことである。

 獣の侵入を発見しやすいように、今はかなりの部分が丸ハゲの草地となっている。


 ここの先に更に開拓を進めるのか、火除け地として管理するのかは行政の話となる。この区域では開拓する計画で、とりあえず地図もある。

 新人の討伐者は、養生地もしくは火除け地に迷い込んでくる獣を討伐することからキャリアを始めるのが通例である。辺境の火除け地では討伐者ではなく交通省の保護官が管理する。これは狩人と呼ばれる。うちの父も狩人だ。



「北東500mに鹿が二頭。西風なんで右から回り込まないと気づかれるわね」

 偵察役のフーガが来て伝える。

「北西に向かって下り勾配、先は崖になって落ちてる。南に逃げられる可能性も留意」


 俺たちソーンズプライドも、初心者として獣退治に勤しんでいた。

 俺は父が猟師であるため、実家に戻ったときには手伝ったりもしているから、ある意味経験者ともいえる。


「分けよう。ヨータとフーガは西廻りで追い立てて、俺とヒートはここで」

 地図を示しながら作戦を立てる。

「ミヒャエルはここで押さえだ」

 魔術師であるミヒャエルは実のところ身体強化などでナンバー2の戦闘力がある。

 討伐者経験もあるため、単独での交戦にも支障はない。魔術さえ来なければ。




 ひと仕事終えた夕暮れ、交代のためにキャンプまで戻った俺たちはちょっとした騒ぎを目にした。

 担架で運ばれる討伐者。怒鳴り散らしているところから軽症だろう。元気でなにより。


「クソ豚に踏み潰されたんだってよ」

「また出たのか。何度目だ?」




 ソーンズプライドが借りた宿舎。プレハブの安普請だが一軒家として捜査会議に使える。もっとも魔動具事件に関しては開店休業状態であるが。

「速報貰ってきたわ」

 日次で纏められる討伐日報。討伐の状況を周知させる目的でギルドが配布している新聞だ。

「こっちは一ヶ月の過去分ね」


 キャンプ入りした当日に貰ってきていた束を引っ張り出して机に並べた。

 さらっと目を通しただけだったので、豚に関してまでは覚えていない。


「若、豚がどうかしましたか?」

 ヒートが尋ねる。


「俺たちは新人だが、ここで獣を倒しているだけでいいとも思わない」

「俺っちは楽でいいんだけどね」

 へらっとミヒャエルが笑う。


「魔動具を使う相手は魔獣だ。しかし養生区画では獣ばかりだ」

「熟練者いないですからね、ここは」

 消耗品を勘定しながらヨータが答える。


「我々は一刻もはやく討伐区域で行動できることを示さなければならない。と思う」

 ヘタれたのは、魔動具を持ちたいとか願う層は初心者ランクじゃないかな、とか脳裏に走ったからだ。


「そこで話題の豚を退治しようというのですか?危険ではありませんかな?」

 ヒートが慎重論で検討材料を挙げてくる。もちろん議論のためであり、反対というわけではなさそうだ。彼にしても現状はよろしくないと思っているのだろう。


「明後日にはローテーションで休暇ですし、制限時間も微妙なところですな。討伐ノルマは終わっていますから自由ですが」


 中級までの討伐者は一定期間の任務と休養を繰り返すことが契約として定められている。これによって健康状態を長期的に確認し、感染症のみならず新たな疾病の早期発見の一助としているという。休暇は隔離期間を除いて五日。その分の給与は支払われるため、別の仕事を受けることは禁止となっている。中級までというのは、上級と判断された討伐者は国内のギルドではなく大陸ギルドに籍を移すからだ。フビキも所属は本部となっていて、要請によっては他国での仕事を受けられる。



「魔獣ではないみたいよ」

 フーガが初期の記事を差し出す。

「そうなんすか?」

 ミヒャエルが覗き込んで読む。

 魔獣は文字通り不倶戴天な魔術師だから興味があるのだろう。

「イノブタ?イノシシじゃないんすね」



 種類:イノブタ

 体長:6メートル

 体高:3メートル

 推定体重:20トン

 魔法:なし

 魔法抵抗:グレード4以上

 攻撃性:なし



「攻撃性なし?」

「討伐者に対する敵愾心はみられず、脇目も振らず突破。とあるわね」

「何がしたいんでしょうか?」

「突破を止めようと立ちふさがった勇者様すか、あの担架の人」


 20トンに踏まれると、この世界でもさすがに厳しいよな。

 元気いっぱいだったけど。


「とりあえず、討伐区域の選択肢の幅を広げようという意見には同意しますぞ若」

 ということになった。




 ────────




 イノブタは東側境界、討伐予定区域方面から出現するらしい。

 西側が整備中の市街でその先は市街地だから東なのは当然だったな。


 さて、・・・いや、養生区域をおさらいしよう。

 幅十キロ、奥行き六キロ。


 南北十キロ。前世で言えば、皇居から赤羽くらい?

 ダメかなー




「坊、あれじゃないっすか?」

 木に登っていたミヒャエルが指をさした。

 指の先には別のパーティが見える。


 いや、藪を破って飛び出してくる一頭の巨体。

 半分諦めかけていたイノブタだ。

 なんて間のいい。


 あー、縦列で進んでるパーティの土手っ腹にやや斜め後ろから突っ込んだ。

 なにやってんの?あのパーティ、偵察いないのか?


 突っ込んで、踏みしだいてそのまま走り去っていく。ぶきゅるっ

 あまりにあっけない顛末に、言葉もなかった。



「と、とりあえず救護しようか」



 そのパーティはなんと昨日のパーティだった。

 土に埋まったりと散々ではあるものの、特に怪我はなさそうだ。


「偵察のキドが昨日踏まれて全治一週間になってて」

 なんと、踏まれてたのが偵察員なのか・・・踏まれるってなんだよ偵察が。



「豚の恨み買ったかなぁ?」

「恨まれるようなことしているのか?」

「買ったさ、仕事だからね。この区画、開拓時には豚が多くてさ。何十匹殺したのかわかんないくらい」

「討伐記録なんてちまちま付けてられなかったから頭割りにしたっけ」

 どうやら、元々豚の生息域だったらしい。

 ミヒャエルが眉をひそめる。いつになく真剣な面持ちだ。


「元々の偵察やってたのが怪我で半年入院するほどの群れで」

 新人の偵察員を入れたけど、昨日の怪我で休みだそうだ。

「仇討ち気取ってたけど、やっぱ偵察居ないと無理だわ」

「そもそも蹴散らされるどころか、普通はガン無視。走り去ってオシマイだもんな」

「魔術も全く効いてないし」

「いっそ魔獣だったら話は簡単なんだよな」

「報告しにいったら課長さん顔色悪かったよ。気の毒」



 彼らは自力で帰還するとのことで、その場には俺たちだけが残った。

 イノブタを追跡しようにも、あの勢いで突進しているなら、時間の経った今ではすでにキロ単位で離されてしまっている。


「そういえばミヒャエル、何か気がかりがあるのか?」

「いや、あいつらのテリトリーだと地の利は向こうだしね。厄介なことになってるなー、と。おいらの魔術も役に立たないし、諦めない?」


「ねえ、アイツは何で走り回ってるんだろ?」

 フーガが呟く。ミヒャエルが思わず舌打ちをして、しまったという顔をする。そんなに面倒なのか。


「なによ、そんなに面倒なの?気にしない気にしない。ものよ」

 フーガはミヒャエルとは対象的に軽く笑った。




 なんとかなる。

 宿舎に戻ってから、卓を囲む。最初からやるべきだったと反省。

 地図を開いて木を中心に円を引いて、新聞から遭遇情報をポイントしてみる。

 同日の目撃情報の時刻が重要だ。間違いない。


 あのイノブタは、あの樹を目印にやって来ている。


「明日は、一本木のあたりで捜索する」

「あの勢いでは捕捉できても交戦は無理ではないか?」

 ヒートが疑念点を指摘する。


「何か目的があって、あの樹に向かっているんだと思う」

「目的に心当たりはあるんですかい、若」

「わからない。でも多分、何かしてるんだ」

 ミヒャエルがフーガに恨みがましい視線を送りつつ、ため息をついた。


「了解です、明日は朝から張り込みましょう」




 ────────




 昼を過ぎ、陽が傾いても奴は見つからなかった。

 夕刻になり、これを最後の巡回と思ったその時、ようやく見つけた。


 樹の見える草むらに寝そべって、呑気に高いびきしている。

 いっぱい泥浴びをして、美味しい芋だろうか、食い散らかして。

 ぐぷー、ぐぷーという寝息が聞こえてきそうな安らかな寝顔だ。



「で、どうする?逃げ出したら追いつけんぞ」

 風下から双眼鏡で観察するヒートが小声で言う。


「ここで休んでいるということは、ここが目的地だ」

 そう、ここが目的地ならば、逃げることはない。


「そして、魔術が効かないなら」


 疾歩を全開して風下から駆け抜ける。


「殴り倒すだけだ!!」


 握りしめた金棒を小脇に抱えて、狙いは側頭部!

 騎兵突進ランスチャージ!!


 槍のように金棒が突き刺さ、りはせず、左側頭部の皮をこそぎ取りながら抜けた。


 ぶぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!

 未だ経験したことのない激痛にイノブタは飛び起きる。

 左の耳は半分ちぎれ飛び、鮮血が吹き出し、辺りの草を紅く染める。



 荒い息で、俺と樹で忙しく視線を這わせる。寝ぼけた頭が覚醒していっている。

 ふっ、と息を飲み込み、辺りを睥睨する。何かを見廻す視線。

 しかし何も見つけられずに。俺に視線を移す。しぶしぶという感じだ。

 やっとお目覚めか、豚!いい夢でも見てたか。



 ソーンズプライドのメンバーが駆けつけてくる。


 ぐっ!と俺を睨みつけると。一瞬の間、時間が停まった


 ゔるるるる・・・・


 続くは辺りを震わせる咆哮。イノブタが怒っている。啼いている。


 ・・・ヴボぅるるるるるっ!!!!


 とてつもない殺意が場を満たす。


 ミヒャエルの魔術がイノブタに命中するが、全く気に留めない。

 最早こいつの眼は、俺しかみていない。


 ── 殺す!

 ── こいつは殺す!!

 ── 何があっても、生かしてはおけない!!!


 突進


 姿勢を低く、牙を前にしてトラックのような巨体が突き進んでくる。


 疾歩ですれ違いざまに殴りつける。


 と、イノブタが超信地旋回もかくやというターンを決めた。


「うくっ」


 真横からのぶちかましに、高く弾き飛ばされる。

 姿勢を正して、着地・・・

 そこに牙を突き立てようと迫りくるイノブタ。


「若!」


 この近距離では速度は乗っていない。

 特注の靴の強度を信じて・・・サマーソルトでイノブタの顎を蹴り上げて後方宙返り。

 着地し、そのまま組み付こうとしたところで、再度の超信地旋回が来た。

 横から飛んでくる胴体を今度は飛び越え、背中に飛び乗る。

 振り落とされないように、剛毛を掴む。


 ぶちっ・・・ぶちちち!!

 あっけなくたてがみは千切れて振り落とされる。


「ぐは」


 振り回されたせいで、すこし平衡感覚が乱れた。

 一拍、反応が遅れたとき、豚が上体を大きく跳ね上げて。


 踏み付けストンピングが迫る。


 とっさの疾歩によるバックステップ。

 足をとられて転倒しかけるが、


 ずどん!


 後転して脱出していた。

 イノブタは舞い上がる土煙に俺を見失ったようだ。


 豚は嗅覚で獲物を追うんじゃないのか?とりあえずチャンスだろう。

 夢中でその背に飛びつく。

 取り付いた!!


 疾走しながら跳ねまわるイノブタ。

 邪魔な荷物を振り落とそうと立ち木を擦りながら走り回る。


 俺は夢中でイノブタの毛を掴む。しまった、千切れっ・・・!

 その瞬間、俺の手はたてがみをしっかりと握りしめていた。


 バリアで削れた木片が飛散する。

 地面にも何回も転がって、もがく。

 しかし、握りしめたたてがみは千切れることは



 え、なんだこれは・・・

 なんだこれは・・・!!!



 これは

 ・・・考えが正しければ



 夢中で肩口ににじり登る。

 イノブタが俺を振りほどこうと、全力を出す。

 しがみついた厄介な怨敵を睨みつけるために振り向こうとしている・・・

 その動作に俺は身体強化を、気を合する。


 ぶちちちっごぎりっ!

 太い首がねじ切る勢いで回った。


「ふぁっ!?」


 豚は突進の勢いでつんのめり、俺を巻き込んで転倒した。








 ────────







「あの辺の群れの駆除では何人も大怪我をする始末で大変でしたよね」

「ああ、死人が出なくて幸いだったぜ本当に」


 亡骸を運び込んだ時に、ギルドの係員の会話が聞こえた。


「やれやれ、それもこいつでかな?」



 ・・・ヴボぅるるるるるっ!!!!


 耳の奥で、イノブタの咆哮が聞こえたような。気がした。



 俺は、

 振り返って、

 その死体を見た。



 しかし、地に転がったその瞳には、もはや何も映っていない。


 樹も、草原も、■■■も、




 それでも、きっと ────




 ── あの樹は

 ── 今もそこにある

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