第12話・雫師のはなし2
「呪われている? あんたが?」
陽太は自分でも驚くほど間抜けな声を出した。目の前で胡散臭く笑う鏡夜が冗談を言っているようにしか聞こえなかった。それくらい彼の声は軽くて、呪いなんて重たい言葉とはどうも結びつかない。
しかし鏡夜はうなずいた。デスクチェアに乗っていたぬいぐるみを抱えると、自分がそこに座る。クマのぬいぐるみは大きくて、陽太から鏡夜の顔を半分ほど隠してしまう。
「魔法使いとして生きることを選んだのがきっかけでね。この道を行くならって、雫師として活動できる代わりに呪いをかけられたんだ」
「そんなこと、いったい誰が」
「エラだよ」
「――」
鏡夜はあっさり言ってのけた。ごく単純な世間話でもするかのよう。陽太はあまりに簡単に言われたので、言葉を理解するのに時間がかかった。
「君も会ったことあるでしょ? 僕の師匠」
「あ、ある。覚えている。だが……」
陽太は頭にエラの姿を思い浮かべた。ドレス姿の妙齢の美女。いつも優雅で余裕たっぷりで、全く遠慮ない性格をした、ミサの創造主でもある魔女。
師匠である彼女がなぜ、鏡夜に呪いを?
疑問が顔に出ていたのか、鏡夜が薄く笑った。
「元々僕は、魔法とは縁のない生活をしてた」
「そうなのか?」
「そういう人も多いんじゃないかな。魔法の才能って、遺伝的なものには限らないし。カスミちゃんみたいに、一家に突然才能のある人間が生まれたりすることもある。僕はたぶんそれだったんだと思う」
陽太は鏡夜の過去を聞いたことがなかった。陽太自身の話をするばかりで、鏡夜から話をしてもらうのは初めてだ。困惑しながらも続きに耳を傾ける。
「僕は子供の頃、天涯孤独の身でね。その僕を偶然拾ったのが、エラと、当時彼女についてたミサだったんだ。それから僕はエラの家で暮らすことになった」
陽太は鏡夜の子供時代を想像しようとした。天涯孤独の、どこか影のある美少年。きっと今のような余裕のない、もっと寂しそうな目をした、華奢な子供……。
「しばらくして、僕には魔法の才能があることがわかった。というか、エラは最初から気づいていたんだろうね。だから僕を拾って育てた。で、そこからは毎日の勉強に魔法の修行が加わった」
鏡夜は懐かしむように遠くを見た。ちょうど窓の外を一羽のカラスが横切っていく。
「あとはさっき話した通り。僕が魔法使いとして独立することになったとき、エラが僕に呪いをかけたんだよ」
「……その、呪いというのは、どういうものなんだ」
尋ねると、鏡夜の顔から笑みが消えていた。常夜色の目は冷えきっていて、なんの感情も示さない。陽太は頭から冷水を浴びせられたような気持ちになった。
「エラが僕にかけたのは、存在の呪いだよ」
「存在?」
思わず語尾が震えた。汗ばむ拳をぐっと握る。ぬいぐるみを抱える鏡夜の目は変わらず冷たいまま、声にわずかな毒気が混じった。
「自分の存在が、少しずつ人々の記憶から消えてしまう呪い。何もしなければ、僕は誰からも忘れ去られた透明人間になるんだよ」
「な――」
頭蓋を殴られたような衝撃が走った。
陽太は愕然とした。存在が消える呪い。そんな恐ろしいことがあっていいのか。
目の前の鏡夜は無感情でいる。呪いへの怒りも悲しさも感じられない。平然とはしていないかもしれなくとも、呪いそのものは受け入れている顔だった。
「で、呪いを解くためには他人の願いを叶え続けなきゃいけないっていうから、僕はこうして雫師として願いを叶える仕事をしているわけ。理解できた?」
鏡夜はパッと笑みを戻して言った。やれやれ、と声が聞こえてきそうな様子で肩をすくめる。なんでもないことみたいに。
「……理解できん」
「あ、ごめん。わかりにくかったかな」
「そうじゃない!」
軽い調子で言う鏡夜に、つい怒鳴り返した。握った拳に爪がくい込む。陽太はまばたきを繰り返す鏡夜を思いきりねめつけた。
「俺には理解できん。あんたに呪いをかけたエラも、それを受け入れて平気な顔をしている、あんたもだ!」
理解できない。したくもない。生きたまま誰の記憶にも留まらぬ存在になるなど。それは死よりもつらく、苦しい罰ではないか。
陽太の頭が煮えるほど、鏡夜の熱は引いていくようだった。表情の一切がなくなり、冷たく淡々とした目を陽太に向ける。
「そもそも、なぜそんな呪いをかける必要がある? あんたを助けておきながらどういう理屈だ。行き場のない天涯孤独の人間が、存在が消える呪いなどかけられるいわれはないだろう!」
「……わからないよ。子供ながらに、何か罪を犯したのかもしれない」
「だとしてもだ! 子供の罪に対する罰にしても、あまりに重すぎる。俺は納得できん!」
無性に腹が立った。つい、鏡夜を怒鳴りつけるような勢いで叫んでしまう。鏡夜は言葉を失っている。わかっていても、腹の底から沸き立つ怒りを抑えきれなかった。以前、エラを「いい人」と評した自分にも腹が立つ。
鏡夜が抱えるぬいぐるみに視線がいく。エラもキーランも、鏡夜のことを寂しがり屋だと言っていた。それは彼の気質なのかもしれないが、呪いのせいでもあるのではないか。この部屋にある大量のぬいぐるみは、人から忘れられることを恐れ、寂しく思う彼の心の表れなのだとしたら。
考えすぎかもしれない。が、陽太は自分の思いつきを否定しきれなかった。目の前の彼の瞳に時折みえる不安や寂しさの色が、気のせいではなかったのだと思えたから。
固く握りすぎた拳に痛みを覚える。苦労してほどいても、手のひらに爪がくい込んだ感覚が抜けなかった。
「……その呪いは、あとどれくらいで解けるんだ」
「わからない。でも、時がくればわかる。今はまだ、何も」
鏡夜が柔らかい笑顔で返す。表情からは本音がみえない。陽太が奥にしまおうとしている怒りが、また沸々とわいた。
「解くぞ、呪い」
陽太は執務机を叩くように両手をのせ、身を乗り出した。ぬいぐるみを挟んだ向こうで、鏡夜がまばたきを忘れて陽太を見ている。
「……君は本当に人助けが好きなお人好しだね。僕が嘘を言ってる酷い詐欺師だとは思わないの?」
「あんたがどんな人間かは、俺には正直わからん。嘘も本音もよくわからないやつだ。だが、少なくとも、呪いの話は本当だと思うし、理不尽な呪いにかけられていいやつだとは思っていない」
「……」
「俺はあんたの呪いを解くためなら協力を惜しまん。今決めた。だから、もっと俺を頼ってくれ。あんたの力になれるよう努力する」
鏡夜がぬいぐるみを盾にして顔を隠す。奥でくすりと笑う声がした。
「魔寄せ体質で魔法に弱くて、トラウマ持ちでパニックを起こす朝倉くんが?」
「ぐ……。そうだ」
痛いところを突いてくる。しかしこちらも今さら引くつもりはない。ぬいぐるみの向こうで笑っているだろう鏡夜に力強くうなずいてみせる。ますます笑みが深まった気がした。
「協力するって、たとえばどんなふうに?」
「それは、……」
言われて言葉に詰まった。堂々と看板を掲げて宣伝するには、魔法をバラすなというあちら側のルールに反する。魔法のことなどさっぱりわからない陽太には、せいぜい体を張るしかできないが、力も体術もミサのほうが勝るだろう。
「まあ、徐々にだ。魔法のことはこれから学べばいいし、力仕事だって、ミサの足を引っ張らないよう努める」
「……ふふ」
ぬいぐるみが、こらえきれなくなった笑いを漏らした。ムッとする陽太の手の甲に、ぬいぐるみのもふもふとした柔らかな肉球がのせられる。
「君のそういう真っ直ぐなところ、嫌いじゃない」
「……夏目?」
「ありがとう、僕のために怒ってくれて。嬉しかった」
鏡夜がぬいぐるみから顔半分だけ出して言った。
「今のはちゃんと、本音だよ」
「!」
常夜色の目がふんわりと細められる。傷だらけの宝石が、傷を受けてなお輝きを増すかのような、眩しい笑顔。陽太はただ見惚れるしかできない。今はまだ。
いつか彼の本当の手を握り返せるように。
陽太は相好を崩して、ぬいぐるみの手にそっと自分の手を重ねた。
希求の雫 北瀬多気 @kuma3bear
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