第11話・雫師のはなし

 屋敷の中が、大きな音をたてて元の形を取り戻していった、数日後。

 陽太はいつも通り、店内の掃除に集中していた。今日はひとりで留守番の日。外に降り注ぐ悪夢のような日差しはここでは意味をなさず、冷房のなか陽太はなんの問題もなく作業に没頭できた。

 そのはずだったが、


「お邪魔するっす! 鏡夜くんいるっすか~?」


 能天気な声とともに開けられたドアを振り返って、陽太はこのあとのスケジュールが大きく乱されることに嘆息した。

 やってきたキーランは陽太を一瞥して片手を上げる。


「あ、ヒナタ。お茶いれてほしいっす。外は暑いなんてもんじゃないっすよ~。まだ七月なのに、ちょっと歩くだけで汗だくっす。来月にはおれ、溶けちゃってるかも」


 言いながらソファにだらりと座るキーランはすでに溶けそうだ。陽太は呆れながら掃除を中断してかまってやることにする。


「茶ぐらい構わんが。夏目なら、買い出しとかでミサと一緒に出かけたぞ」

「え、ミサちゃんと? じゃあヒナタだけっすか」

「出かけたのはしばらく前だし、茶でも飲んで待っていれば帰ってくるだろうが」

「それなら待つっす。鏡夜くんのところ回れば、おれも今日は暇だし」


 キーランは帽子を脱いでうちわのように仰いだ。冷えた麦茶を持って行ってやると、喜んで一気にコップ半分ほどまでごくごく飲む。


「お前と会うのは、屋敷の一件が片付いて以来だな。カスミちゃんの具合はどうだ?」


 屋敷が元通りになったあと、陽太たちは一連の事件がカスミの魔法が暴走した結果であることを不知火たち家族に告げた。自分たち家族から、しかも通常より数年早い八歳で固有魔法が使える存在が現れたことに彼らは驚いていた。心配するやら感動するやらで不知火一家は泣いたり笑ったりと忙しそうだった。

 とはいえ、まだカスミは八歳だ。基礎魔法のコントロールもまだの未熟な歳で、再び何かがきっかけで暴走しては困る。

 そこで手を挙げたのがキーランだった。魔道具職人の彼なら、魔力を抑制するための魔道具も取り扱っている。指輪型の抑制装置を渡すことでひとまず解決ということになった。


「今日ちょうどメンテに行ってきたっす。元気そうだったっすよ。新しい友だちもできたらしくて、なんか全然印象違ったっす。すっかり明るくなっちゃって。女の子はすぐ大きくなるもんですからねぇ」

「そうか。何にせよ元気ならよかった」

「でも、結局カスミちゃんにエリィを渡したっていう女が謎っすよ。あんな小さな子に、あんな危ない呪具を持たせるなんて、どうかしてるっす」


 問題はそこなのだ。不知火に報告し、カスミの証言から周囲の人間を調べてもらったものの、少なくとも近隣の住民ではないという。

 誰なのかはっきりしない正体不明の女性。鏡夜はかつてノガミに呪いをかけた女性との関連を疑っているようだが、どちらも今は謎のままだ。不知火は、再びカスミに接触する危険がないよう、しばらく『議会』の人間が彼女の警護にあたるといっていた。


「ノガミといい今回の呪具といい、魔法界は最近物騒っす。ヒナタも気をつけるっすよ。何せ魔寄せ体質らしいですから」

「ああ……そうだな」


 話していると、再び入口の扉が開けられた。一瞬、セミのフルコーラスが聞こえたかと思うと、すぐに閉じられて外の世界から隔てられる。入ってきた二人はどちらも涼しい顔でキーランを見つけた。


「キーラン。もう来てたんだ」

「鏡夜くん! おかえりなさいっす。ミサちゃんも」


 ミサは無言で一礼し、買い物袋を持ってミニキッチンのほうへ下がる。鏡夜が向かいに座ると、キーランは鞄から中くらいのポリ袋を取り出した。


「さっそくですけど、頼まれてた材料っす」

「うん。いつもありがとう」

「材料? 雫の材料のことか」


 陽太が聞くと、鏡夜は穏やかにうなずいた。


「そうだよ。自分で買えるもの以外はキーランに任せてる」

「へえ……。ちなみに、どういうものなんだ?」


 キーランがポリ袋の中身をガサガサと確認する。


「色々っすよ。今回は、四つ葉のクローバーと七色のバラ、それから樹脂と銅線とタイヤのゴム……」

「ま、待て待て。後半がおかしいぞ。そんなものが雫の材料になるのか? もっとファンタジーというか、らしい・・・ものというか……」

「もしかして、妖精の粉とか、ユニコーンの角とか、山頂で満月の夜にだけ咲く幻の花とか期待してる? ないよ、現代にそんなもの」


 ばっさりと言い捨てる鏡夜が楽しげな笑みを浮かべた。


「大昔はあったのかもしれないけどね。今は現代で代用できる品でつくってる」

「……そ、そうなのか……」

「あれ、もしかして期待してた? 純粋な朝倉くんの夢を壊しちゃって申し訳ないなあ」


 絶対にそんなこと思っていない鏡夜の笑みに、陽太は苦い顔をした。普段はからかっているのかどうかわからないときもあるが、今はわかる。面白がっている。間違いなく。


「と、ともかく。仕事のことなら、俺は席を外そう」

「気を遣わなくても、おれはお茶飲んだらすぐ帰るっすよ」


 キーランは陽太を呼び止めて鏡夜を見た。


「それよりも……鏡夜くん。ヒナタに内緒にしてることがあるっすよね?」


 キーランが睨むような目つきで鏡夜を見る。彼は視線をそらして窓のほうを見た。


「さあ。どれのことだろう」

「とぼけても駄目っすよ。鏡夜くん、変なとこで臆病なんすから。ちゃんと話しておいたほうがいいっす。ヒナタがこれからもここで働くのなら」

「……」


 なんのことだ、と口を挟むには、二人の空気は真剣そのものだった。鏡夜が陽太に話さなければならないこと。陽太にはすぐに思い浮かばない。

 鏡夜は少しして無言で立ち上がった。ミサがコーヒーを淹れて戻ってくるが、「あとでのむよ」と奥の部屋へ向かう。


「朝倉くん」

「……なんだ」


 振り返った常夜色の目が、どこか不安そうに見えた。大あくびするキーランを見たあと、再度鏡夜を振り向いたが、どこにもそんな隙はなかった。いつもの余裕ある、胡散臭い笑み。


「僕がどうして雫師をしているのか、知りたいって言ってたでしょ」


 陽太はどきりとして、二度まばたきを繰り返した。


「前に、そんな話をしたな。それがどうした」

「教えてあげる」


 あまりにあっさりと言うので、陽太は若干拍子抜けした。


「い、今か? もっと重要な場面になって言われるのかと」

「だって、キーランに釘を刺されちゃったし。これからも働いてもらうのに、いつまでも秘密ってわけにもいかないかなって」


 肩をすくめる鏡夜が奥の部屋の扉を開ける。


「向こうで話そうか。一応言っておくけど、ほかの人には内緒だよ」

「……そもそも、魔法の話ができる相手などいない」


 陽太は緊張をできるだけ隠して、鏡夜に続いて部屋に入った。



     *



 働き始めてからというもの、陽太が奥の部屋に入ったことは一度もない。部屋の主人が「許可なく入ってはいけない」と言っていたからだ。掃除もミサがしている。だから奥の部屋は陽太にとって謎の塊であった。

 一体何があるのだろう。胸をざわつかせながら入ると、意外にも中は普通の執務室のようだった。店内より立派な執務机には、羽ペンとブルーブラックのインクが置かれている。隣の小さな机にはカセットコンロが置かれていて、小鍋自身が、誰がするでもなく勝手に中身をかき混ぜている。魔法の小鍋。おそらく雫の調合をしているのだろう。先ほど聞いたような材料を使ったものを頭からふりかけられたり、目に入れられたりしていたと思うと、なんとも言えない気分になるが。

 それよりも陽太を驚かせたのは、執務室を取り囲むように置かれたぬいぐるみだった。

 高そうな黒のデスクチェアの上には、我が物顔で巨大なクマのぬいぐるみが鎮座していた。左右の壁の棚にも、大小さまざまな動物の可愛らしいぬいぐるみが飾られている。どうやらエラの言っていたことは本当らしい。寂しがり屋の鏡夜の、ぬいぐるみたっぷりの部屋。


「さて。あんまり時間をかけても仕方ないし、さくっと話すね」


 鏡夜はなんでもない顔で扉を閉めた。


「僕、呪われてるんだ。その呪いを解くために雫師をやってる」

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