第10話・屋敷7

「固有魔法だと? この家の人間は基礎魔法しか使えないと聞いていたが」

「何事にも例外はあるでしょう。今までがそうだったからといって、今後も同じとは限らない。まあ、八歳じゃ魔法の発現自体が早すぎるけどね」


 陽太は信じられないものを見る目でカスミを見た。こんな小さな女の子が、この大きな家まるごと、魔法で動かしていた?


「ご、ごめんなさい。カスミのせいで、おにいちゃんたちが……」


 カスミは居心地悪そうに鏡夜の袖を掴んだ。


「君のせいじゃない。悪いのは人形だ。カスミちゃんは、この子を誰からもらったのかな」

「……い、言っちゃだめって、言われてる」

「それは、お人形に?」


 カスミは小さな頭をこくん、とうなずかせる。キーランの手にある人形を見る目はすっかり怯えている。


「本当は、ほかの人にあげちゃだめなの。でも、おにいちゃんたちが守ってくれるなら……」

「必ず守るよ」

「うん……」


 また、カスミの目が潤んだ。恐怖ではなく、どこか安心して力が抜けたような涙。鏡夜が手を握ってやると、カスミは震える声で話し始めた。


「公園で、女の人に会ったの。まだ引っ越したばっかりで、おともだちもいなくて、ひとりであそんでたとき」

「……女の人?」

「うん。優しそうなひとだったよ。で、いっしょにあそんでくれたの」


 カスミはその女性に心を許し、つい不安を口にしてしまったのだという。

 引っ越したばかりで友だちがおらず寂しいこと。

 両親は忙しく、姉も離れて暮らしていて、ひとりの時間が多いこと。

 女性はカスミの話を聞いたあと、この人形をプレゼントしたらしい。


「エリィ――この子が話し相手になってくれるから、さびしくないよって、言ってくれたの」


 カスミは喜んで人形のエリィを受け取り、家に帰ったらままごとをして楽しんだ。

 異変が起きたのはそのあとだった。

 暗くなるまで遊んで、カスミが後片付けをしていたときだった。

 ――遊びましょう。

 エリィが喋りだしたのだ。

 初めはカスミも無邪気に喜んでいた。新しい友だちができたことに。エリィは物知りで、カスミの知らないいろんなことを教えてくれた。難しい漢字の読み方と意味、季節ごとに咲くたくさんの花の名前。エリィと話す時間はとても楽しかった。

 けれど――エリィはカスミに、秘密のお願いをしてきた。

 ――私と話していることは誰にも言っては駄目よ。

 ――あなたはずっと一人でいるの。私がいるから寂しくないでしょう?

 ――もし約束を破ったら、酷いことになるから。

 カスミは次第にエリィが怖くなった。ずっとひとりでいろなんて。カスミはエリィ以外のお友だちも欲しかったし、そんな約束を守りたくはなかった。


「怖くなったから、エリィとお別れしようと思ったの。ママに聞いて、外の……ショーキャクロ? ってところに、エリィを入れて、お別れすることにしたの……」


 カスミは胸にちくりとする悲しさを抱えつつ、エリィに別れを告げて自分の部屋に戻った。

 しかし――部屋に戻ると、テーブルにはエリィの姿があったのだ。汚れ一つない、いつもの無表情なドレスのエリィが。


「かってに戻ってきちゃった。もう、カスミはエリィとはなれられないんだって思ったの。だから、ずっと一人でいないとって思って。約束やぶったら、悪いことが起きちゃうから」


 そうして心を閉ざしたカスミに、今度は新たな異変が起こった。

 家が突然、形を変え始めたのだ。カスミは部屋の扉をこっそりと開けて外を見た。

 キッチンにいた母が悲鳴をあげて出ていくのがわかった。そのあと、父の怒鳴り声のようなものも聞こえた。二人が慌てて家の外に飛びだしていくと、また家の構造が変わった。カスミを閉じ込めるように。


「きっとエリィが怒ったんだよ。カスミが約束やぶろうとしたから。だから、こんなふうになっちゃったんだ……!」

「カスミちゃんは悪くないっすよ! そんな滅茶苦茶な約束、無効っすよ無効!」

「少なくともエリィはそう思ってない。だから呪具の効果が発動して、彼女の固有魔法を暴走させてしまった」

「じゃあ、どうすれば……」


 ――うそつき。

 地を這うような低い声が響いた。

 冷たい部屋の温度がさらに下がった。重たい冷気がおりて、吐く息も白く、真冬のように冷たい。凍えそうな寒さのなか、キーランの手にある人形――エリィがカタカタとひとりでに震えた。

 ――やくそくをやぶったのね。

 ――わるいこはいらない。

 ――ひどいことになるわ。

 エリィは狂ったように笑いはじめた。キーランが思わず人形を取り落とす。床に転がってもなおケタケタと笑い続けるエリィに、カスミが悲鳴をあげて泣きだした。


「ごめんなさい! ごめんなさい、エリィ! やくそくやぶってごめん!」


 カスミは鏡夜に縋りついて泣きじゃくる。

 と、急にカスミの体がふわりと宙に浮いた。否――浮いたのではなく、消えたのだ。彼女の触れていた床が。


「――きゃああああっ!」


 真っ黒な深い穴に、カスミの体が吸い込まれるように沈んでいく。彼女の手をとっていた鏡夜が、穴の縁を引っ掴んで耐える。凄まじい強風に連れて行かれそうな勢い。陽太は急いで自分も手を伸ばし、カスミの腕を掴んだ。が、こちら側へ戻そうにも、穴へ引っ張られる力が強すぎる。このままでは暗闇の底にカスミが連れて行かれてしまう。


「おいっ、なんとかならないのか!?」

「カスミちゃんと契約を結んだ人形――エリィをなんとかするしかない」


 だが、エリィは焼却炉に放っても勝手に戻ってくるような存在だ。どうすれば……。

 陽太はぎりぎりのところで耐えている鏡夜を見て叫んだ。


「雫だ! まじない祓いの雫! あれを人形に使えばいい!」

「けど、これだけ強い呪具だ。効くかどうか……」

「何もしないよりましだ! やるしかない!」


 陽太の叫びに、鏡夜は覚悟したようにうなずいた。ミサを呼ぶと自分の懐から雫を出させる。キーランが我に返ったように慌ててエリィを拾い上げた。

 しっかりつかんでいるはずなのに、ずる……と、カスミの腕が徐々に陽太たちから離れていこうとする。時間がない。

 ミサが容器の内蓋を乱暴に外した。キーランの差し出したエリィの頭部に『まじない祓いの雫』をかける。

 突然、エリィの体から炎が噴き出し、たちまち美しい髪とドレスを燃やした。手に持っているキーランは燃えず、エリィの体だけが燃えていた。抵抗するようにガタガタと震えるエリィの腕や足が変な方向に曲がっていく。片手が焼け落ち、目玉がぎょろりと飛びだした。

 人形が、真っ黒になり、段々と小さくなって、最後には消えていく。

 ――ぎゃ、あ、ああああああ!!

 鼓膜にこびりつく恐ろしい声が部屋中に響き渡る。それが遠ざかっていくと、やがてカスミを引きずり込もうとしていた暗い穴は静かに消えていった。カスミを引っ張っていた二人が、勢い余って背中を打つ。鏡夜の腕の中で泣き続けるカスミが、何度もエリィに謝り続けていた。


「こ、これで、終わったんすか……?」


 語尾を震わせたキーランがつぶやく。深く息を吐いた鏡夜が、まだだ、と言いかけたとき。

 ぐらり、と、陽太の体が揺れた気がした。

 安心して気が抜けたせいだと思った。しかし、落ち着いて見てみると、周りの物もガタガタと揺れている。揺れは次第に大きくなり、陽太は左右に激しく揺さぶられた。たまらず床に手をつくと、ようやく家全体が揺れているのだと気づいた。


「ま、また地震っすか!?」

「ただの地震じゃない! 早くここを出ないと!」


 カスミを抱えた鏡夜が素早く立ち上がった。陽太もなんとか身を起こす。激しく揺れる部屋を出ようと、鏡夜が傾いた扉を蹴破った。


「暴走していた魔法がなくなった――家がもとの形に戻り始めたんだ。ここにいたら空間の崩壊に巻き込まれる! 急いで外へ!」


 陽太は急いで走り出した。カスミを抱えて走る鏡夜のあとに続いていく。その後ろからキーランとミサも飛びこんできた。部屋の外もぐらぐらと激しく揺れている。よろけて何度も転びかけたが、こらえて階段をひたすら駆け上がった。そのあいだに、陽太は自分の体がいつのまにか戻っていることに気がついた。カスミを抱える鏡夜を追い越す。最後尾でキーランが何か叫びながら走っているのがみえた。

 長い階段を上へ、上へとひた走る。途中で、逆さまに吊るされた扉や燃えるように光るシャンデリアが崩れていくところを見た。急がなければここも崩れてしまう。もしそうなったら? 陽太は恐ろしい想像を振り切るように走った。もうすぐ階段の終わり。悲鳴をあげる足をどうにか動かして数段飛ばしに駆けあがる。

 激しい揺れに陽太の横の壁灯が外れた。と、それが今まさに真下を行くミサに向かって落ちてくる。


「ミサ――」

「ミサちゃん! 危ない!」


 気づいたキーランがミサへ飛びこむように走った。二人して勢いのまま階段に倒れこむ。ガシャン、とキーランの背後で壁灯が割れた。起き上がったミサがわずかに目を見張る。


「キーラン様」

「おれは平気っす。それより、急がないと!」


 キーランは必死の形相でミサの手を引っ張った。再び走り出したミサたちを見て、陽太も廊下へ飛び出す。廊下は崩れたパズルのようにバラバラの景色を見せていた。崩壊が近いのだ。そのなかで唯一崩れていない通路を見つけて走っていく。これが正解の道と信じるしかない。

 陽太たちはようやく、最初の玄関ホールへと戻ってきた。曲がった階段を今度は駆け下りて、正面の玄関扉へ急ぐ。


「おにいちゃん、だいじょうぶっ?」


 振り返ると、肩で息をしながらよろよろと歩く鏡夜に、抱えられたカスミが声をかけていた。陽太はすぐさま駆け戻り、鏡夜の手からカスミをひょいと取り上げる。


「……朝倉くん」

「かっこつけるなら最後までやりきれ」

「無理。僕には、向いてないよ、こういうの。……もう一生分の運動した気分」

「毎日部屋にこもってばかりいるからだ。いいから出口まで走れ」


 陽太は片手でカスミを抱き上げ、もう片方の手で鏡夜の腕を引っ張った。先に出たキーランとミサのあとに続く。三人が外に転がり出ると、玄関扉は勝手に閉まり、中で鈍い大きな音がした。

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