第9話・屋敷6

「地下室? そこにカスミちゃんがいるんすか?」

「確証はない。だが、さっき聞こえた妙な声は、俺をそこに連れて行きたがっていた」


 ――おいで。

 例の声が示した先に、人形を抱えた幼い少女の姿があった。


「見えたのは最初についた玄関ホールで会ったあの子と同じだった。間違いない」

「うーん、ヒナタが嘘を言ってないのはわかるんすけど、どこまで信じればいいか……」


 キーランが首をひねる。確かに、偶然見た幻に出てきた少女に、自分が見たことある少女を重ねてしまっただけと言われればそうかもしれない。追い詰められて都合のいい幻覚を見ただけだと。


「でも、今のところはそれしか手がかりがないよね」


 鏡夜の言う通りだった。これだけ探し回っても一向に出会わない少女を探すには、陽太のいう幻にでもすがるしかない。ミサがうなずき、キーランも渋々と首肯した。

 陽太たちは廊下を進み、下へ降りる階段を探すことにした。こつこつと靴音が響く以外、今のところなんの音も気配もない。

 角を曲がると、鏡夜がふと口を開いた。


「それに、僕はただの思い込みの幻じゃないと思うんだ」

「というと?」

「思いだしてみてよ。この家で起きたおかしな現象に狙われてたのは、朝倉くんばかりだったでしょ?」


 言われてみればそうだ。途中で聞こえた声は陽太にしか聞こえなかったし、鏡夜が引きずり込まれた鏡は、最初は陽太を狙っていた。図書室での騒ぎも。どれも陽太に狙いを絞っていたように思える。


「だったらその朝倉くんが見た『声が連れて行きたがってた場所』っていうのも、案外本当にあるのかもしれない」

「うーん……鏡夜くんにそう言われると、そんな気がしてきたっす」


 と、ちょうど目の前に階段を見つけた。鏡夜を先頭に、飴色の階段を慎重に下りていく。陽太はまた声がしないかと辺りをきょろきょろ見回した。目線が低いせいか、何もかもが大きく感じる。


「だが、そもそもなぜ俺なんだ? 狙われるような覚えはないぞ」

「だから、最初に言ったじゃないすか。お化けに返事しちゃだめだって」

「魔法はお化けではないだろう……」

「うん、お化けじゃない。朝倉くんが狙われたのは、もっと単純な理由だと思うな」


 鏡夜がちらりと陽太を振り返った。


「君、普通より魔法が効きやすいんだよ。催眠術にかかりやすい人と同じ。魔除け体質ならぬ、魔寄せ・・・体質ってところかな」


 陽太が怪訝な顔をする。


「魔寄せ体質? 俺が?」

「そう。だからこの家にかかった悪い魔法に狙われたんだ。簡単にいうと、君がいちばん弱そうに見えたってこと」


 鏡夜はご丁寧にはっきりと物を言う。なんの根拠が、と言いかけたところで、鏡夜は笑みを浮かべながら続きを話した。


「僕が初めて君に使った雫を覚えてる?」

「……たしか、必要なものが見える雫、だったか?」

「そう。あれを僕は君の頭にふりかけた。でも正しい使い方は、目薬みたいにさすやり方なんだ。さっき君に使ったのと同じようにね」


 鏡夜が懐から『まじない祓いの雫』をみせる。


「なのに君にはよく効いたよね。僕の姿だけ色がついてるって。しかもぼんやりとじゃなく、はっきりと」

「そ、そんなこともあったが……そんなに効きやすいのか、俺は」


 なんとなく、沈んだ気分になる。思い返せば子供の頃、催眠術師が出るバラエティ番組を見て、術をかけられているタレントと同じように手が開かなくなったり、すっぱいものを甘いと感じたりしていた。それでよく両親や妹に笑われたものだ。まさか魔法でも同じような体質だとは。


「でもそのおかげで、カスミちゃんを見つけられそうだ。役に立ってよかったじゃない、魔寄せ体質」


 喜んでいいのか、馬鹿にされているのかわからない調子で鏡夜が言う。

 それからどれくらい歩いただろう。四人はひたすら階段を降りて、降りて、……ずっと降り続けた。代わり映えしない薄暗い階段がどこまでも続く。キーランが途中で「目がまわってきたっす……」とか細い声で言うので、少し休んだ。休んだあとは、またひたすら歩き続ける。果たして地下何階になるのかと考えだしたところで、先頭の鏡夜の足が止まった。

 鏡夜が階段を降りきる。立ち止まった彼のあとに続いてみると、正面にチョコレートみたいな小さな扉があった。陽太があっと声をあげる。


「――そうだ! 俺が見たのはここだ。階段を降りてずっと先の、扉……!」

「うわっ、まさか本当にあるとは……」


 驚くキーランがふらりと扉に近づいた。不用心な、と思ったが、どうやら仕掛けらしいものは何もないようだった。おかしな声も聞こえない。逆に罠ではと疑うも、進むしかないので陽太はそれ以上考えないことにした。

 キーランが扉に張り付いて耳を澄ます。


「……なんか、声が聞こえるっす。女の子かな?……泣いてる、ような」

「やはり、例の女の子がいるのか」


 陽太も扉に近づいた。かすかに、誰かがすすり泣くような声が聞こえる。とても痛ましい、か細い声。幻で見た少女が膝を抱え込む姿と、聞こえる泣き声がぴったり重なる。きっとこの先に、不知火の妹、カスミがいるはずだ。

 陽太がドアノブに手をかける。驚くほど軽く、扉は開いた。キィ、と古い音がして、部屋の奥で誰かが小さな悲鳴をあげた。冬のような冷たい空気がこちらへ流れてくる。陽太はそっと、小部屋に足を踏み入れた。

 物置のような部屋だ。机や椅子、古い本が何冊かと、空の棚や何に使うのかわからない道具までぎゅうぎゅうに詰めてある。窓はなく、壁にかかった燭台だけがぼんやりと室内を照らしていた。

 陽太はすすり泣く声の主を見つけた。

 部屋の隅で、膝を抱えた少女が小さな体を震わせていた。

 床に、さらさらと金色の髪がこぼれている。しゃがみ込んだせいか、白いフリルのドレスは埃がついて薄汚れていた。柔らかな赤い頬はしとしとと雨が降ったように濡れている。お揃いの白いドレスを着た人形にすがるように泣く彼女は、陽太たち来訪者に気づいたのかピタリと泣くのをやめた。

 おそるおそる、といったように、ゆっくりと少女が顔を上げる。

 邪気のない大きな二重の目。涙ですっかり濡れた目から、まばたきするたび新しい涙がぽろぽろこぼれた。間違いなく、入口で見た少女と同じ。不知火の探していた妹のカスミだ。

 さくらんぼ色の唇から、吐息のような声が漏れる。


「お、にいちゃん、たち……」


 呼ぶ声には、どうして、という動揺が滲んでいた。陽太が横倒しになった棚を跨いでカスミに近づく。幼い体のせいか、不思議と彼女は陽太に怯えることなくそれを許した。


「今度こそ、助けにきたぞ。一緒にここから出よう」

「……だ、だめ、なの」

「だめ? どうして」

「カスミは、いっしょにいちゃ、だめなの」


 うつむいて、何度も「いっしょはだめ」と震える声でつぶやく。戸惑う陽太の後ろから、鏡夜が屈んで声をかけた。


「僕たちが一緒にいると、よくないの?」

「よくない。よくないから、だめ」

「どうしてよくない?」

「…………」


 答えない。カスミはふるふると何度も首を横に振った。人形を抱く手に力がこもる。陽太は戸惑って、同じく困った様子の鏡夜と顔を見合わせた。彼女はその場から動く気配もない。むしろ、動くものかという強い意思さえ感じる。

 鏡夜は辛抱強く優しい声で話した。


「カスミちゃん。君はこの家で何が起こっているか知っているんじゃないの」

「……っ」


 カスミの肩が揺れる。鏡夜はまた少し近づいて、うつむく彼女に語りかける。


「入口で君が『来ちゃだめ』と言ったのは、僕らを守ろうとしたから?」

「……だって」


 また顔を上げると、カスミは青い目をカッと見開いた。


「悪いことが起きるの! カスミといると、ひどい目にあうって! だからいっしょにいちゃだめっ、カスミはひとりでいなきゃだめなの!」


 カスミが激しく首を振った。美しい金髪が乱れ、ぼさぼさの髪が涙で頬にはりつく。肩で息をする少女の腕に、鏡夜がそっと触れた。


「酷い目に遭う? 誰がそんなことを言ったの?」

「……それは」


 カスミの視線が人形に注がれる。お揃いのドレス姿の無表情な人形。


「このお人形がそう言った?」

「……」


 鏡夜が人形を指さす。カスミは躊躇うように目を泳がせていたが、やがてこくりとうなずいた。キーランが人形を興味深そうにのぞき込む。


「これ……たぶん、魔道具っすよ。人形の体から、誰かが注ぎ込んだ強い魔力を感じるっす」

「カスミちゃん。このお人形は誰からもらったの?」

「え、えっと……それは……」


 カスミが躊躇いながら何か言いかけたとき。

 凄まじい振動が小部屋を襲った。積んであった本が崩れ落ち、椅子が倒れる。陽太は咄嗟にカスミに覆いかぶさった。


「きゃああああああっ!」


 立っていられないほどの揺れに、カスミが甲高い悲鳴をあげる。泣き叫ぶ彼女の頭の上に、キーランの大きな鞄がかぶさる。


「今のヒナタの体じゃカスミちゃんを守れないっす! こ、ここはおれがカスミちゃんを守るっすよ……!」

「ビビりながら言うな! お前こそ危ない、自分の身を守れ!」

「こんなときに言い争わないで。僕がいちばん大きいんだから、僕が守る」


 鏡夜が泣きじゃくるカスミの涙を拭いて抱きしめる。縦横に激しく揺れる部屋の中、目を丸くするカスミを守る三人がぎゅうぎゅう詰めになって「お前の細い体のほうが折れそうだ」だの「おれもちょっとはいいところ見せたいっす!」だのと言い合う。そこにミサまで「鏡夜様をお守りするのはミサですので、ミサが皆様をお守りします」と加わってきたので、だんだん収拾がつかなくなった。四方から物が倒れ、ガラスのようなものが割れる音がする。途中で燭台の灯りが消えて、いよいよ何も見えなくなってしまった。


「あ、あはは……!」


 と、怯えていたはずのカスミが突然、笑いだした。

 四人はきょとんとしてカスミを見る。揺れが徐々に弱まるほど、カスミの笑い声が大きくなった。年相応の笑顔を見せるカスミを見てキーランが戸惑う。


「ど、どうしたんすかカスミちゃん。恐怖でおかしくなっちゃったとか?」

「だって、おにいちゃんたち、へんなんだもん。みんなでカスミのこと守ろうとして」


 へんなの、とまた笑う頃には、揺れはすっかり収まっていた。まるでラグビーのスクラムを組んだようにがっしりと固まった四人を見て、カスミはくすくすと笑う。それぞれの顔を見ながら、四人はゆっくりとスクラムをやめた。改めて、揃ってカスミと向き合う格好になる。


「カスミちゃん。その人形、おにーさんに貸してほしいっす」

「……え、でも」

「悪いことはしないし、起きないっす。大丈夫ですから」

「……」

「大丈夫だ。何があっても俺たちが君を守る。さっきと同じように」

「……うん」


 カスミは震える両手で人形を差し出した。アンティーク調の人形は、改めて見るとやや不気味な気配がした。キーランがそれを抱えてじっと見つめる。人形の髪をさらりと撫でながら、キーランが真剣そのものの顔つきになった。


「まじないっす。魔力強化の。ただ、その強化具合がとんでもなく強いっすね。下手すりゃ暴走しちゃうくらい。魔道具ってか、呪具っすよ、これは」

「……やっぱりそうか」


 鏡夜がため息まじりに言う。


「カスミちゃんの固有魔法だ。この家全体に、暴走した彼女の魔法がかかってる」

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