第4話・屋敷
中に入った陽太たちは、外観と異なる中身に驚いた。
吹き抜けの玄関ホールは白で統一された煌びやかな空間。正面から二階へと曲線を描く階段の先には大きなステンドグラスがあり、光を浴びてつやつやと煌めいている。静かすぎてどこか暗くさえ感じていた外の景色とは違って、中は光で溢れた華やかな雰囲気を纏っていた。
「なんか、映画の中に迷い込んだみたいっす」
キーランが率直な感想を述べる。陽太も同じことを思った。映画やドラマの舞台装置のような、自分とは縁遠い世界が広がっている。
陽太はぐるりとホールを見回した。
行き先は複数ある。正面の大扉と、アンティークらしい花瓶がシンメトリーに並ぶ、左右の廊下から行ける二つの扉。階段を上ればさらに二つ。
「広い屋敷だ。手分けして探したほうがいいんじゃないか?」
陽太の提案を真っ先にキーランが拒絶した。
「いやっ、それはマズいと思うっす! みんなで固まって行動しましょうよぉ」
「お前、この期に及んでまだそんな弱気でいるのか。ミサのために頑張るんじゃなかったか」
「な、な、何を言うんすかあんたはっ! おれは仕事のため、善のためにやってるんすよぉ。別にやましい気持ちなんてなんにもないっす! 誓って!」
キーランはあからさまに顔を赤くして狼狽える。わかりやすすぎる男は鞄を探って、話題を変えようと視線を泳がせた。
「ま、まあ? その気になればおれは一人でも平気っすけどね? いざとなれば爆弾だけじゃなくて、他にも色々手は用意、し、て……」
様子がおかしい。キーランの顔が赤から青に変わっていく。彼は何度も鞄に手を突っ込みごそごそといじくって、まさか、とか、そんな、とか言って動かなくなる。
「なんだ。どうした」
「……鞄が使えないっす」
「は? どういう意味だ」
陽太が聞き返すと、キーランは鞄を頭の上でぐるっと逆さまにして、上下に何度も振って……ついには泣きだした。
「なんにも入ってないっす~~!!」
大きな鞄からぽろぽろとこぼれたのは、数十円程度の小銭と、絆創膏と、何かの紙切れ。もう一度振って出てきたのは、食べかけの板チョコレート。それだけ。キーランは空っぽになった鞄を力なく下ろしてわんわん泣く。
「そんなに大きい鞄にそれだけか?」
「キーランの鞄は特殊なんだよ」
泣き続けるキーランの背中をさすりながら鏡夜が言う。
「鞄は彼の仕事部屋に通じていてね。部屋に置いてある、あらゆる道具を引き出せるはずなんだ。ざっくりいうと、四次元ポケットみたいな感じかな。それが通じないってことは……」
陽太はポケットに入れておいたスマートフォンを出した。画面には『圏外』の二文字。
「外部と完全に切り離された……?」
つぶやいて、自分でもぞっとした。少女を探す前に、謎の屋敷に四人揃って閉じ込められてしまった。連絡手段も封じられる。それだけの力がこの屋敷にはあるのか。
陽太より取り乱したのは、涙で顔をぐちゃぐちゃにしているキーランだ。彼は玄関扉に虫のように張りついてドアノブを回した。
「無理っす! ギブっす! おれじゃ役に立てないっす~!」
ガチャガチャと回すが、扉はうんともすんともいわない。本格的に閉じ込められたらしい。
外とは連絡がとれず、一度入れば出ることも許されない。たぶん、事態を解決しないかぎりは。
全員が沈黙する。と、揺れも何もないのに、突然入口の花瓶が片方ぐらりと倒れた。
ガシャン、と陶器の割れる音がする。活けられていた花が破片とともにぐったりと横たわり、水が床を侵食していく。
――くすくすくす……
どこかから、子供のような高い声が響いた。小さいが不思議とホール全体に響く笑い声。探しても音のありかはわからない。同じような声が、高音と低音、幾重にも重なって不協和音をつくりだす。ステンドグラスが翳り、ホール内は雲が覆うように段々と薄暗くなっていく。
――くすくすくす……
「お前はなんだ。何が目的だ!」
声をかき消すように陽太が叫ぶ。すると声はみるみるしぼんでいき、どこからも聞こえなくなった。何事もなかったようにホール内に光が射す。
再び静寂が戻った玄関ホールでキーランがへなへなと両膝をついた。
「あ、あんた正気っすか? お、お、お化けに話しかけるなんて」
「お化けなわけがないだろう。これは魔法だ、しっかりしろ」
陽太が手を差し伸べ、キーランを起き上がらせる。不安でたまらないといった顔をして、キーランは陽太の手をぎゅっと握り返した。そのあとすぐ、ミサの視線を感じて慌てて手を離す。今さら遅いと思うが。
鏡夜は、先ほどまでの異変など知らん顔のステンドグラスに目をやった。
「キーランの言う通り、固まって行動したほうがいいだろうね」
「なんだ。あんたまで怯えて弱腰か?」
「何が起こるかわからないうえ、連絡も取り合えない状況なら、一緒にいたほうが安全だと思うよ。今のがただの脅しだとして、今後迫りくるだろう危険にひとりで対処できる?」
陽太は苦い顔をした。未知の魔法に立ち向かえる自信は、確かに持っていない。
「早く助けたい気持ちはわかるけどね。慎重にいこう。不知火さんの話が本当なら、今よりもっと派手なことが起こるはずだよ」
言うと、鏡夜は躊躇いなくさっさと中央の扉へ歩き出す。ミサが静かにそのあとについていこうとすると、
「……ん?」
中央の大きな扉がひとりでに開いた。
先には広い廊下が続いていた。真っ暗で、ほんの数歩先もおぼつかない闇。両脇には照明らしき飾りがあるが、今は一つの灯りもついていなかった。
その廊下に、ひとりの女の子が立っていた。
フリルたっぷりの白いドレス。マシュマロみたいに柔らかそうな白い肌。腰まで届く枝毛一つなさそうなさらさらの髪。フランス人形に命が宿ったとしたら、こんな感じだろうか。
邪気のない大きな二重の目が、鏡夜を見つけて固まった。胸に抱えたお揃いのドレスを着た人形をぎゅうっと抱き寄せる。
「君が、カスミちゃん?」
鏡夜が問うと、少女はびくりと肩を震わせた。
「助けに来た。僕らと一緒にここから出よう」
潤んだ大きな目がいっぱいに開かれる。しかし少女は鏡夜の手をとることなく、ぶんぶんと首を左右に振った。小さな足が一歩、二歩とよろよろ下がっていく。引きとめようと動いた鏡夜に、少女は今にも泣きそうな顔で叫んだ。
「――来ちゃだめっ!」
鏡夜の足が止まる。
少女は踵を返して走り出した。
暗闇に消えていく少女へ手を伸ばす。が、鏡夜の目の前で廊下がその向きをぐるりと変えた。
まるでネジを捻ったか、ペットボトルの蓋を回したかのよう。勢いよく景色が左右に回転したかと思うと、目の前の光景がまるで違っていた。先ほどまであった廊下は消え失せ、扉の先には薄暗い食堂らしき部屋が広がっている。もちろん少女の姿はどこにもない。
「な、何が起こったんすか……? あの女の子は?」
「わからない。でも、これで不知火さんの話が本当だって証明された」
鏡夜が陽太たちを振り返る。勝手に構造が変わる家。
かしゃん……と音がして、鏡夜は遠くを睨んだ。全員が彼の視線を追いかける。また、かしゃん……と金属音。嫌な予感がした。キーランが短い悲鳴をあげる。
気づけば左右の廊下と、階段の上からも、何体もの西洋風の鎧が押し寄せ――中身は空っぽのまま動いている――陽太たちを取り囲んでいた。
「僕らは歓迎されていないらしい」
「冷静すぎっすよ鏡夜くん! ど、どうするんすか!?」
「どうするも何も――戦うしかないだろう!」
鎧たちが一斉に襲いかかる。
陽太はそばにあった空の燭台を掴み、正面の敵に殴りかかった。中身はないが一応急所、頭部へ一撃。よろけた鎧の持っていた槍がぽろりと落ちる。
ミサがすかさず槍を拾い上げ、腹部に容赦ない突きを加えた。鎧の腹を槍が貫通する。槍を抜くと仰向けに倒れた鎧は、ぴくぴく痙攣したあと、ただの物に戻ったように動かなくなった。
その後ろから新たな空っぽ鎧がふらつきながら近づいてくる。右手には剣。槍同様本物ではないだろうが、生身の人間は当たればひとたまりもない。
剣を振り上げようとした腕を陽太が蹴り上げる。がらん、と落ちた剣を拾うことなく、鎧は何もない右手を振り下ろした。隙だらけの鎧の頭を再び燭台で殴りつける。見た目以上の頑丈さはないらしく、鎧はふらりと魂が抜け落ちたように地面に転がった。そうなればもう動かない。
ミサに負けじと鎧を倒す陽太に、鏡夜が感心したような声を発した。
「へえ。朝倉くんって、見かけ倒しじゃないんだ」
「馬鹿にするな。単調な攻撃しかないただの鎧を恐れる必要などない」
その見た目ゆえか、陽太は昔から喧嘩を売られることが多かった。小学生時代の小競り合いから始まり、他校の不良集団に絡まれ巻き込まれた抗争まで。魔法関係なしの争いごとなら、それなりに場数を踏んでいる。
それに――以前対峙したノガミの迫力に比べれば、意思のない空白の鎧を相手にするなど大した状況じゃない。
とはいえ、
「数が多いな。一体いくつ鎧があるんだ、この家は!」
左右の廊下からぞろぞろ鎧が出てくる。床に転がっていたはずの鎧も、時間がたつと再び起き上がり始めた。
「きりがないな。撤退しよう」
鏡夜は鎧が来ていない食堂のほうへ向かう。キーランも急いでそれに続き、陽太とミサが最後に扉を閉めた。二人で扉を押さえているあいだも、鎧ががしゃがしゃと扉を叩く。
やがて諦めたのか、鎧たちが扉から遠ざかっていく音がした。
「……ひ、ひとまず安心っすかね」
震える声でキーランが言う。明かりのない暗い食堂で、四人はそれぞれ顔を見合わせた。
「これからどうする。というか、そもそもなぜあの子は逃げたんだ?」
陽太たちを見るなり、怯えたように逃げていった少女。ぐるぐると入れ替わる景色の中に消えてしまった。
キーランがジト目で陽太を見る。
「あんたが怖がらせちゃったんじゃないすか? 見た目ゴツイし目つき悪いし」
「お、俺じゃないだろう。あの子は夏目を見て怯えていたぞ」
言い合う二人の間に、冷静な鏡夜の声が入る。
「彼女が怖がっていたのは、僕でも朝倉くんでもない。おそらく別の何かだ」
「なんすか、何かって」
「近づこうとした僕に、彼女はなんて言った?」
「来ちゃだめ、と言っていました」
抑揚のない声でミサが答える。鏡夜はうなずいて続けた。
「僕が怖いなら、普通は『嫌だ』とか『来ないで』とか言うのが一般的じゃない? でもカスミちゃんは『来ちゃだめ』と言った」
「……それの何が違うんだ?」
「助けに来た僕らを拒絶して、来てはいけないと
少女は要救助者であると同時に、家にかかった魔法の鍵を握っているのかもしれない。
「考えすぎじゃないすか? 相手は八歳の女の子っすよ。咄嗟に出た言葉にそんな違いがあるとは思えないっすけど」
「そうかな……」
鏡夜が顎に手をやり考え込むような顔をする。
と、陽太の背にある扉から、激しくノックする音がした。
何度も何度も叩いて、ついには体当たりしているような強い衝撃。かしゃん、と聞こえた金属音からして、また鎧たちが押しかけて来たらしい。
「考えている暇はなさそうだぞ」
「先に進むしかないね」
薄暗い食堂を見回して、ミサが奥にある廊下を指す。
「あちらから奥に行けるかと思われます」
「よし。行こう」
四人は一緒に、暗闇の中を黙々と進んでいった。
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