第3話・ある七月の午前3

 七星市の中心部から車を走らせること、およそ二十分。田畑が広がる閑静な道を進んでいくと、小さな坂が見えてきた。周りの住宅からやや離れた土地。夏の昼間なこともあってか、人通りはほぼない。セミのフルコーラスが響く木々の生い茂る坂道をのぼると、ようやく目的の家が顔をのぞかせた。

 敷地内に車を停めて外に出る。陽太はその家を見上げて思わず声をあげた。


「これは……立派な家ですね」


 家というより屋敷といったほうが近い。陽太の背より高い立派な門をくぐり抜けると、西洋風の横長の豪華な建物があった。白い壁に真っ赤な屋根が目を引く、絵本に出てきそうな外観。高さからして三階建てくらいだろうか。正面の二階に張り出したバルコニーや小さな煙突、開放的で大きな窓。玄関ドアは両開きで、凝った装飾と吊るされたカラフルな花飾りが目立つ。貴族が舞踏会を開いていてもおかしくない雰囲気のある屋敷だ。

 不知火が言っていたように、見た目からは何か異常が起きているようには見えない。


「結構古い家なんですよ。築百年は経ってるのかな。昭和初期に建てられて、何度か増改築したらしいです。前の持ち主が相場より安く売りに出していて、両親と妹が一目惚れして買ったんです」


 説明する不知火の表情は硬い。やはり妹のことが気がかりなのだろう。陽太にも妹がいたから、心配する気持ちは嫌というほどわかる。

 曲線が美しい石張りのアプローチを進み、入口前まで歩く。

 と、玄関の前に三人、すでに人が立っていた。陽太たちに気づいた二人の男女がこちらを振り向く。見た目の年齢からして不知火の両親だろう。二人ともラフな半袖姿で何も持っておらず、着の身着のまま出てきたという様子だ。不知火を見つけて慌ててこちらへ近づく。


「おお……! 助けを呼んできてくれたのか」

「こちら、七星市で雫師をやっている夏目鏡夜さん。と、その助手の方々」

「娘を、カスミを助けていただけるんですね!?」


 母親が鏡夜の肩をぐっと掴む。迫力に気圧されたように鏡夜が目を丸くした。


「え、ええ。最善を尽くします。その前に詳しい話を聞かせてください。この家で何があったんです、か……」


 と、鏡夜の視線が両親より向こうに注がれる。

 玄関の前にもう一人、少年が立っていた。

 カーキ色のキャスケットをかぶった小柄な見た目。肩から大きめの鞄を下げている。鞄だけでなく服や靴もぶかぶかで、どこか着られているような印象を受ける。

 少年が顔を上げると、屈託ない笑顔が日射しを浴びて輝いた。中学生くらいだろうか、まだ成長しきっていないあどけない表情。帽子に隠れた短い藍色の髪に、日焼けした小麦色の健康的な肌。ニッと細められた目は真夏の晴れた空と同じ色をしている。


「キーラン。どうしてここに」


 鏡夜が少年を呼ぶと、彼は途端に情けない声をあげて駆け寄った。


「鏡夜く~ん! やっぱり来てくれたんすね~!」


 不知火の母親を押しのけ、キーランが鏡夜に抱きつく。勢いのあまり鏡夜は一瞬転びかけた。胸にぐりぐりと頬ずりをするキーランをうっとうしそうに見下ろしながら、けれど拒絶することなく鏡夜が言う。


「いや、だからなんで君がここにいるの。どういう状況?」

「あ、わたしが呼び止めたんです」


 不知火がさっと手を挙げる。


「偶然通りがかった彼に助けを求めたんです。そしたら」

「七星市には凄腕の雫師がいるって教えてあげたんすよ! 鏡夜くんなら万事解決! 蛇口のゴムパッキン交換から世界平和までなんでもお任せって!」

「誇大広告をどうも。それでうちに来たんですね」

「え、ええ。それに以前の、ノガミの一件でのご活躍も知っていますし、力になってくださるかと思いまして」


 話を進める鏡夜たちに、陽太が遅れて割って入る。


「ちょっと待て、納得し合うな。俺にはどういうわけかわからんぞ。この子供は誰だ?」


 陽太に指をさされたキーランがムッと頬を膨らませる。彼は鏡夜に抱きついたまま陽太を睨み上げた。


「ちょっと、鏡夜くん。誰すか、このいかつい強面筋肉ダルマは」

「誰って、うちの従業員だけど」

「ふぅーん……?」


 キーランが陽太の頭からつま先まで無遠慮に見てくる。まるで値踏みでもされている気分だ。ものすごく居心地が悪い。一通りじろじろ見回したあと、キーランはなぜだか面白くなさそうな顔でつんとそっぽを向いた。


「年上に向かって失礼なやつっすね。おれはこう見えても二十七っすよ? 鏡夜くんの一個上なんすから!」

「なっ……またそのパターンか」


 どうみても中学生なキーランだが、実年齢は鏡夜より上らしい。鏡夜の師匠といいミサといい、最近の陽太の周りの人間はどうも見た目通りの年齢とはいかないようだ。

 陽太はキーランに巻きつかれた鏡夜をじっと見る。


「……念のため聞くが、実はあんたも百歳とか言わないよな?」

「そんなに怖がらなくても、僕は外見そのままだよ」

「そ、そうか。よかった――いや、問題はそこじゃなくてだな。キーランといったか。お前は何者なんだ? 夏目とはどういう関係だ」


 聞かれた途端、キーランは得意げに鼻を鳴らした。


「おれは魔道具屋のキーラン。魔法の杖でも大鍋でもなんでもござれな、鏡夜くんの大親友っす!」

「お、お前も魔法使いなのか」

「おれは魔道具職人っす。魔法のかかった道具をつくったり、その材料を集めたりしてます。鏡夜くんには、主に雫の材料を納品してるっす。うちのお得意様っすね」

「なるほど……しかし、あんたに親友と呼べるような相手がいたとはな」


 陽太の視線が鏡夜に向く。鏡夜はため息まじりにキーランを引っぺがしながら返した。


「キーランもだけど、君も大概失礼な子だよね。僕だって友だちくらいいるよ。君にだってひとりくらいいるでしょ?」


 言われてすぐ、元同級生の明星悟が思い浮かぶ。陽太と反対に明るく社交的な明星は、以前とある事件解決の手助けもしてくれた、友だち思いのいい男だ。周囲に誇れる友人だと陽太は思っている。年上だと威張りながら鏡夜にはりつくキーランより、よっぽど。

 陽太の顔を見て馬鹿にされていると感じたのか、キーランの頬が再び丸く膨らんだ。


「な、なんか生意気なやつっすね……! 言っておくけど、おれのほうが鏡夜くんに詳しいし、とっても仲良しなんすからね!」

「誰もそんなことで競おうだなどと思ってないから安心しろ」

「その余裕ある態度もムカつくっす! ちょっと雇われたくらいで調子に乗らないで――」

「鏡夜様のことは、ミサがいちばん詳しいと自負しております」


 突然、さっきまで沈黙していたミサが名乗り出た。暑さなど微塵も感じさせない冷たい表情のまま一歩前に出る。見た目にはわからないが、怒っている……ような空気を感じる。


「な、なんだ。どうしたミサ」

「……」

「まさか……やきもち、なの、か?」


 戸惑っていると、キーランは急に笑顔で素早くミサの前に出た。


「そうっすよね~! その通り! ミサちゃんがいちばんっす! やっぱり鏡夜くんといえばミサちゃん! ミサちゃんといえば鏡夜くん! ふたりはいつでも一緒っすもんね!」

「……これは、どういう」


 ふにゃふにゃ笑うキーランを、鏡夜が同情的な目で見守る。


「昔から、キーランはわかりやすい性格してるんだ。良くも悪くもね。ミサは全然気にもしてないみたいだけど」

「ああ……そういう」

「そんなことより、問題は家と妹さん――カスミちゃんの救出だよ。もちろん、キーランも手伝ってくれるんだよね?」

「えぇっ!? おれもっすか?」


 キーランがあからさまに嫌そうな声をあげる。不安げに表情を曇らせる両親と不知火の前だというのに、明らかに「危険はごめんだ」と顔にかいてある。確かに、良くも悪くも正直な男のようだ。

 しかし――キーランはちらりとミサを見た。陽太にはキーランの思考が手に取るようにわかる。大好きな彼女の前で、こんな弱気でいいものだろうか。というか、この状況は逆に、彼女にいいところを見せるチャンスなのでは……!?


(全部顔に出るな、この男)


 呆れて眺めていると、キーランは予想通りの結論を出したらしい。ぱちん、と指を鳴らして調子よくウィンクしてみせた。


「もちろん、キーランにお任せっすよ! 仕事とあらば野に咲くたんぽぽだろうが光り輝く金塊だろうが、なんでも見つけてみせるっす!」


 不知火、ではなく思いきりミサのほうを向いてアピールしてみせたが、ミサは完全に無反応。それでも気にせずにこにこしている姿はある意味感心する。


「あの、わたしもご一緒します」

「いえ、不知火さんはご両親とここで待っていてください。依頼人を危険な目に遭わせるわけにはいかない」


 身を乗り出す不知火を鏡夜が止める。キーランを加えた陽太たち四人は、並んで大きな玄関の前に立った。異変が起きているとは思えない静けさ。


「さて、どうしようか」


 鏡夜がドアノブに手をかける。何度試しても、当然のように開かなかった。鍵はかかっていないはずなのにびくともしない。陽太とミサで体当たりも試みたが、駄目だった。ぶつかっても全く手ごたえが感じられない。

 回り込んで真っ暗な窓を見る。中が一切見えない塗りつぶされたような窓。やはりドアと同じく開かなかった。思いきって割ろうとしたが、ヒビのひとつも入らない。

 揃って玄関前に戻ると、鏡夜は腕を組んでため息を吐いた。


「玄関は閉じられている。同じく窓も。正攻法じゃ無理そうだね」

「ここはおれにお任せくださいっす! 鏡夜くんたちは下がってて!」


 キーランが鞄をごそごそ探りながら声をあげる。言われた通り数歩下がると、彼はテニスボールほどの大きさの黒い球体を取り出し――玄関に向かって全力投球した。


「――は?」

「くらえ、キーラン印の『スペシャルどっかん爆弾』!」


 カッ! と眩い光が走る。

 玄関に球体がぶつかったかと思うと、光のあとに激しい爆発音が響いた。

 いきなり目の前で爆弾が放り込まれた。

 理解した頃にはもう遅い。陽太は爆風に尻餅をついてあんぐりと口を開けるほかなかった。豪奢な玄関が粉々に吹っ飛び、もくもくと白い煙に包まれる。辺りを取り囲む木々から鳥たちが一斉に飛び立っていくのがみえた。


「開いたっすー!」


 煙が晴れると、木っ端微塵にされた玄関に大穴が空いていた。奥には薄暗い玄関ホールのような空間が見える。

 が、そんなことより。

 陽太は起き上がって、ぴょんぴょん飛び跳ねているキーランの胸倉を乱暴に掴んだ。キーランの足がぷらん、と頼りなく宙に浮く。


「な、何するんすか!」

「馬鹿野郎! いきなりば、爆弾を投げるやつがあるか! もし扉のそばに子供がいたらどうするつもりだったんだ!」


 さすがにばつの悪そうな顔でキーランが視線をそらした。陽太の視界の端で、不知火がポカンと口を開けている。彼女の母親にいたっては膝から崩れ落ちてしまい、今にも気絶しそうだ。


「それは、その……でもほら、誰もいなかったみたいだし、結果オーライっすよ」

「何がオーライだ! いいか、もう少し慎重にだな――」

「見て、二人とも」


 言い合う陽太たちに鏡夜が呼びかけた。

 二人して同時にそちらを見ると、


「えっ」


 玄関が瓦礫を集めて、元の姿を取り戻していくところだった。

 まるでジグソーパズルのピースをはめていくように、爆発で開いた大穴がみるみる閉じていく。重たそうな両開きドア。凝った装飾と花飾り……。一分とたたずに、陽太たちが来たばかりの玄関に戻ってしまった。

 あまりのことに、陽太はキーランを掴んでいた手を離した。ふぎゃ、とかなんとか言ってキーランが地面に転がる。


「どうしても中に入れたくないみたいに感じるね」

「ああ……だが、入れないことにはどうしようもないぞ」

「困ったな。僕はああいう乱暴な道具は持ってない」


 と、鏡夜は大げさに痛がって尻をさするキーランを見た。


「ねえキーラン。今のやつ、もう一回できる?」

「おいっ、正気か!?」


 声を荒げる陽太をよそに、「できるっす」とキーランが新しい爆弾を出した。


「さっきも言ったけど、正攻法じゃ無理だ。ここはキーランに任せよう。もちろん投げる前に、人がいないかの確認はすること」


 大丈夫、と微笑む鏡夜に、陽太は渋々了承する。三人が下がると、キーランは扉を何度か叩いて叫んだ。


「カスミちゃーん! いるっすか? いるなら扉をノックしてほしいっすー!」


 少し待ったが返事はない。相変わらず扉の向こうは静かだ。

 キーランは鏡夜に目配せすると、再び爆弾を放り投げた。玄関が激しい音と光に包まれ、ドアがあらぬ方向へ吹っ飛んだ。ひらひらと飾りの花びらが舞い散る。


「入るよ。また閉じる前に」


 鏡夜に続いて、ミサ、陽太、キーランと順に中へ駆けていく。

 彼らが入っていった次の瞬間、玄関扉は豪奢な姿を取り戻していた。

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