第16話・その後

 数日後。

 夜遅くに降り続いた雨が嘘のように翌日の公園は晴れやかで、遊具で遊ぶ子供たちや散歩するペット連れで賑わっていた。その一角を借りて、ベンチに陽太たち三人が並んで腰掛ける。


「例の事件、解決したみたいでよかったね」


 左端でコンビニ弁当を広げる明星が言った。割り箸を綺麗に割って、卵焼きをぱくりと一口。中央に座る満島が、ハムサンドを両手で持ちながら小動物みたいに笑った。


「ほんと、よかったぁ。……でもまさか、女の人を連れ去って写真を撮りまくる盗撮魔なんてね。最低だよ!」


 満島がハムサンドにかぶりつく。怒っているのに、子犬が噛みついているようで可愛らしい。その通りだ、と言いつつも陽太の口元はつい緩んでしまう。

 世間では『そういうこと』になっているらしい。芸術のためと称して女性を空き地に連れ去り、写真を撮る犯罪者。女性は薬で眠らされたせいで記憶が曖昧だったとのこと。陽太は悟られないよう話を合わせた。

 鏡夜から聞いた話だが――ノガミの件は、魔法側の秩序を守る『議会』とやらで、一般人の認識を操作したらしい。魔法の存在自体を公にしたくないあちら側からすれば、今回のことは由々しき事態だったはずだ。一般の警察にも魔法使い側の人間はいると聞いたし、陽太の知らないところで色々な人間が事件解決に奔走したのだろう。

 陽太は怒る満島に同意しながら、ちらりと明星を見た。


「写真はもちろん嫌だけど、満島さんがそれ以上危ない目に遭ってなくてよかったよ。ねえ陽太くん?」

「あ、ああ。そうだな」

「陽太くんは事件解決したいって頑張ってたもんねぇ。警察から感謝状贈られたんでしょ? すごいじゃん」

「……本当なら、お前も貰っていておかしくないんだがな」

「オレは大したことしてないよ。ま、役に立ったならよかったけど」


 事件解決に協力してくれた明星も、同じく認識が歪められているのだろう。それを思うとやや申し訳なくなる。しかしここで「実は魔法が」などと言いだすわけにもいかない。ただ変人扱いされるだけだ。


「満島さん、陽太くんのこと見直した?」

「おい、なんだ急に」


 ニヤニヤしながら話を振る明星を短く咎める。余計なことを言うつもりではないだろうな。

 満島は空を見ながらのほほんと口を開いた。


「え? うーん。見直したっていうか……朝倉くんって、元からそういう人じゃない? ほら、正義感強いし。困った人を放っておけない感じ」

「……」

「だから、力になってくれたのも朝倉くんらしいなあって。感謝してる。……あ、でも、あんまり危険なことするのはだめだよ? 自分のことも大事にしなきゃ」

「……そう、だな。ありがとう。気をつけるよ」


 満島の微笑みは、花壇に咲く花々のようにふんわりと明るく優しい。彼女の笑顔の隣でニヤニヤしている明星はひとまず放っておくことにする。

 と、満島の鞄に自然と視線が移った。鞄についたお守り袋のようなもの。

 手のひらに収まるくらいの小さな藤色の袋には見覚えがあった。鏡夜が満島に渡した、スターチスの雫だ。


「それ、まだ持っていたのか」

「あ、うん。中に入ってる瓶は、いつのまにか空っぽになってたんだけどね」


 満島が照れたように笑う。


「あのとき、私すごく変だったでしょ? でも、これを貰ってからは記憶のことだけじゃなくて――なんだか不思議と気分が落ち着いたの。だからその、お守りにと思って」


 大事そうにお守り袋に触れる満島は、少しだけ頬を赤くして言った。……いや、まさか。陽太は僅かに生じた違和感に気づかないふりをする。ハッとした様子で口元を大げさに覆う明星の顔がうるさい。


「スターチスの花言葉は、途切れぬ記憶、だもんね。これからも大事に持っておくよ。みんなに助けられたこと忘れないように」

「そ、そうか……」

「朝倉くん、このあとお店に戻るでしょう? 改めて、ありがとうございましたって伝えてくれるかな。よかったら、これも一緒に」


 はにかんだ満島に渡されたクッキーがおそらく手作りであることを察しながら、陽太はぎこちない笑みを返した。



     *



「そう。あとでありがたくいただくよ」


 渡された本人の反応はそっけない。鏡夜はオフィスデスクに何かの図鑑を広げながら言った。本から顔を上げようともしない。この男のどこがいいのやら。まあ、見た目だけなら一級品だし、魔法使いとしてもなかなかの腕前らしいが……。

 陽太は顔をしかめて、クッキーを応接用のテーブルに置いておいた。二人の間を、花瓶の水を入れ替えたミサが横切る。もうすぐ彼女がコーヒーを淹れる時間だから、そのときに食べさせればいい。

 ページを捲る鏡夜をじっと見ていると、彼がようやく顔を上げた。


「……何か?」

「いや、別に。暇だなと思っただけだ」


 そう言って陽太は作業に戻る。

 実際、この店は暇なのだ。満島の件以来、陽太はここで客を見た覚えがない。陽太がやることといったら、店内の掃除と、本棚に並ぶ大量の本の分類くらいだ。それは現在鏡夜が読んでいるような分厚い図鑑だったり、心理学などの専門書だったりする。陽太には半分もわからない内容の本だ。バラバラに並んだそれを整理したら、特にやることはなくなる。

 他に仕事はないか、とミサに聞いても「お客様のお相手をしてください」と言われるだけだ。その客がいないからやることを探しているのだが。ちなみに彼女は、なぜかコーヒーを淹れるのだけは自分の役目とばかりに頑として譲らない。

 そんな様子でも給料はしっかり入る。陽太は先日振り込まれた金額を見て驚いた。いまどきの正社員の相場よりやや多いくらいだ。閑古鳥なこの店の一体どこからそんな金が出てくるのか、陽太には謎で仕方ない。

 黙って掃除を再開しようと、陽太が用具入れを開けたとき。

 バァン! と激しい音と共に、入口の扉が盛大に開かれた。


「ごきげんよう! 新しくオープンした洋菓子店でマドレーヌ買ってきたの~! みんなでおいしくいただきましょう!」


 紫陽花色のドレスを着たエラが、洋菓子店の袋片手にずかずかと入ってきた。あっけにとられる陽太と鏡夜をよそに、どっかりとソファに腰を下ろす。


「用件はなんですか。特に呼んだ覚えはありませんが」

「愛想ないわねぇ。解決祝いよ、事件の。だいたい、わたくしはこの店のオーナーよ? 来ちゃダメなんて決まりはなくてよ」


 不機嫌になる鏡夜にエラが手をひらひら振って返す。と、彼女はテーブルに置かれたクッキーを見つけて目を輝かせた。


「あら、可愛らしいクッキーじゃない。どうしたの?」

「満島――事件の関係者が、お礼にと。夏目……店長に」

「あらあら、そうなの。ちょうどいいわ。マドレーヌと一緒にいただきましょう!」


 ミサがいそいそと人数分のコーヒーを持ってくる。クッキーとマドレーヌを広げると、静かだった店内がちょっとしたお茶会のような雰囲気になった。


「あんたもこっちに来て食べたらどうだ。元々、クッキーはあんた宛てに貰ったものだぞ」

「……まあ、そうだね」


 すでにマドレーヌを食べ始めているエラを見て、鏡夜が観念したように本を閉じる。


「どうかしたのか?」

「ちょっと考え事。色々とわからないことが残る事件だったからね」


 鏡夜が立ち上がって軽く伸びをする。


「ノガミが言っていた女性というのは議会が調査中だし、固有魔法を他人が使えるなんて聞いたことがないし。彼の最後の言葉からして、裏にもっと大きな何かが潜んでいることは間違いない」

「……確かに、そうかもしれんな」

「それに――呪い、だなんてね」


 そう口にする鏡夜が、どこか寂しそうに微笑んだのは、陽太の気のせいだろうか。何か大切なものを失くしたような、夕方の空のように朧気で物悲しい色。

 彼はすぐに元のすました顔に戻ったからわからない。


「ともあれ、こう騒がしい人が来ちゃったら仕事にならないし。考えるのはまた今度だね」

「あんたの師匠だろう。あまり邪険にしてやるな。こうして事件解決を祝ってくれて、いい人じゃないか。若くて美人だし、普通の男なら羨ましがるだろう」

「……ああ。朝倉くんにはそう見えるんだね」


 げんなりと肩を落としながら、鏡夜が哀れむような目で陽太を見る。


「あれは一般人向けに魔法で若く見せてるだけ。僕から見た彼女は、百歳越えの立派なおばあちゃんだよ」

「ひゃっ…………ひゃくぅ!?」


 思わず大声を出した陽太を、エラがにっこりと笑って見た。どうやら聞こえていたらしい。笑顔のままゆっくりと手招きをする。


「きょ~やぁ~? 早くこっちへいらっしゃい。でないとあなたの恥ずかしい話のあれやこれや、窓の外まで言いふらしちゃうかもしれないわぁ」

「はいはい。慌てなくても行きますよ……!」


 鏡夜が早足でテーブルに向かう。全員が席に着いたところで、エラの「乾杯」の声が店内に明るく響いた。

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