第14話・元『剛腕』

「ごめんね、朝倉くん。人払いに『眠り姫のいばら』をかけていたら遅くなった」

「……お前がリーダーか」


 ノガミの威圧感に全く怯むことなく鏡夜がうなずいた。陽太の手を離すと、彼は店にいるときと変わらぬ微笑みを浮かべる。


「一応ね。とはいえ、戦闘は専門外だから」


 任せるよ、との言葉にミサが首肯する。ノガミは手を出さず無言で部下の動きを見た。赤ネイルの男がよろめきながら立ち上がり、ミサを睨みつける。一瞬、気絶した同僚のほうを見ながら「ふざけやがって」と吐き捨てた。


「とっととくたばれ! クソ女!」


 彼は上着を脱ぎ捨てると、内ポケットに入っていた大量のナイフを宙にぶちまけた。男の合図で刃先が一斉にミサを向く。ミサは動じることなくそれらすべてを視界に入れて構えた。彼女の手には、なぜか水拭きモップが握られている。

 男がニヤリと笑って腕を振り下ろす。ナイフが弾丸のような速さでミサに襲いかかった。くるりとモップを回転させ、ミサは次々にナイフを弾いていく。どちらも凄まじい速さだ。陽太は見ていることしかできない。弾かれたナイフのいくつかが、アスファルトにバターを切るようにさくりと刺さった。時折飛んでくる数本は、陽太に届く前に鏡夜がかわす。

 やがてすべてのナイフが弾かれると、男は肩で息をしてその場に立ち尽くした。


「なんなんだ、この女……!」

「もう終わりですか?」


 疲れをみせる男と、淡々とするミサ。彼女はモップを構えなおし、勢いよく地面を蹴った。

 空気を切る音を出しながらミサのモップが男に迫る。慌ててその場に落ちていたナイフを拾い上げると、モップとナイフが激しい金属音と共にぶつかった。が、ナイフ一本では、成人男性を軽々持ち上げるミサの腕力にはかなわない。抑え込まれると理解した男は、モップを受け流しつつぐるんと後方に一回転。先ほどまで男がいた場所に、モップの先端が鈍い音をたててめりこんだ。


「ナイフ芸でしたらもう結構です」


 ミサが無表情のままモップを肩に担ぐ。へたり込む男を見る無感情な目には、味方の陽太ですら恐怖を覚えた。睨まれた本人は震える両手でナイフを正面に構えている。顔には明らかに動揺がみえた。華奢な女ひとりに手こずっている現状に焦っているのか、あるいは後方のノガミに失敗を見られたことを恐れているのか。陽太にはその両方にみえた。

 ノガミはまだ手を出さない。腕を組んだまま静かに部下を見ている。その視線を感じてか否か、男の顔が徐々に青ざめていく。

 命令を。仕事を果たさねば。

 男はさらにずりずりと後ずさり、背中を廃ビルの壁に預けた。片手で握ったナイフをミサに向けたまま、もう片方の手で何かを探すような素振りを見せる。

 と――ズズ……と何かが這うような音がした。音のしたほうを見ると、錆びたドラム缶が二つ、ゆっくりと動いているのがわかる。

 あの男が動かしているのか――陽太は男を振り返る。額に汗を浮かべた男は笑いながら、ドラム缶を引き寄せる。あれもナイフのように自在に動かせるとしたら。


「危険だ、ミサ」


 避けろ――と言いかけて、止まった。ミサは避けられない。ミサの後ろには陽太と鏡夜が控えている。彼女は攻撃を受けざるを得ない。

 男が力任せに腕を振り上げる。その瞬間、二つのドラム缶はダンプカーさながらの迫力でミサに突っ込んでくる。ゴオッ、と激しく空気を揺らしながら迫りくるそれを冷静に見ながら、


「失礼いたします」


 ミサは黒いスカートをたくし上げた。

 ドラム缶がぶつかる、まさにそのタイミングで、ミサの蹴りがさく裂した。

 車同士がぶつかったかのような音と衝撃。突風が巻き起こり、二つのうち一つのドラム缶は空に舞い上がった。襲いかかるもう一方は、上体を捻って器用にモップでひと突き。串刺しになったドラム缶を、


「こちらお返しします」


 淡々と、しかし猛烈な勢いで男に向かって蹴り飛ばす。え、と間抜けな声をあげる男のもとに、アルミ缶の如くぺしゃりと潰れたドラム缶が返却される。倒れ込む男の体に、追撃とばかりにもう一つのドラム缶が落下した。

 陽太は驚きを隠せず棒立ちになった。終わってみれば、ミサの圧勝。陽太を捕まえた男たちは、ミサひとりの活躍であっさり地面にのびている。


「あとはあなただけだ、ノガミさん」


 鏡夜が黙ったままのノガミに告げる。ノガミは特に動揺することもなく、短く息を吐いた。横で気を失っている部下のことなど、どうでもいいと言いたげな顔だ。


「捕まえる前に聞きたいな。なぜ特定の女性ばかり狙った?」

「……自分が勝ったつもりでいるか、小僧」


 ノガミがようやく口を開いた。彼が組んでいた腕をほどくと、モップを正面に構えたミサが一歩前に出る。


「まだ、終わりではない」


 ノガミが右腕を振り下ろした。地面に向かって。

 アスファルトが砕け、激しい振動が伝わってくる。陽太は思わずよろめいた。ノガミの右腕に埋め込まれた目玉の部品がぎょろりとミサのほうを向く。

 ノガミの右腕から無数の光線が放たれミサを襲った。モップで受けようとしたが、受け止めた先端がどろりと溶け出す。直前でかわしたスカートの裾も焼け落ちた。それでも、ミサは残りの光線を素早く回避する。訓練された動きというよりは、野性的な、直感的な動きに近い。なんとかすべてをかわしたあとには、アスファルトは穴だらけ。ミサも服の一部分が破れ、肌が露出していた。役目を終えたボロボロのモップを投げ捨てる。


「やはり人間ではなかったか」


 最後の光線を避けきったミサに、ノガミの攻撃が迫る。その巨体からは考えられないスピードでミサの目の前まで移動し、左の拳をミサに浴びせた。ミサの体はあっさり吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。かろうじて受け身をとったミサが顔を上げると、ノガミは再び高速で迫り、今度は左より二回りも大きな右腕で殴りつけた。右腕の目玉が不気味に光って笑む。ミサは咄嗟に腕を十字に交差し防御する。それでも攻撃の勢いは凄まじく、彼女の小さな体は壁に向かって飛ばされた。

 背中を強く打ちつけたミサが、ぐったりと地面に崩れ落ちる。ミサ、と叫ぶ陽太を、ノガミが軽く睨みつけた。それだけで陽太の喉はしめつけられる。


「人真似の人形……あの魔女エラの差し金か」

「何か問題でも?」


 問う鏡夜に、ノガミはため息まじりに答えた。


「くだらんのだ。魔女も、その人形も。どんなことも、最後は己の手で仕上げなければ信用ならんというのに。奴はけして自分の手を汚さん」

「へえ。くだらない、か。僕の魔法みたいに?」


 鏡夜はつかつかとミサのほうへ歩く。ノガミが構えているというのに、なんでもない道を行くように。倒れた彼女を助け起こす。


「全部自分の手で始末をつけるなんて、立派だね。だから部下も信用してないの?」

「少なくとも、その人形を片付けるには足りんと踏んでいた」

「なのにやらせたんだ。酷いな」

「お前こそ、俺に勝てないと知ったうえで人形をよこしたのではないか」

「ミサは強いよ。その呪具が初見でなければ、負けているのはあなたのほうだ」


 鏡夜が言いきると、初めてノガミの表情が変わった。一層眉間の皺が深くなる。ほう、と口元を歪ませるノガミの目は笑っていない。


「ずいぶんと強気だな、小僧」

「事実だからね。証明してあげようか。自分の目で見ないと信用ならないんでしょう?」


 鏡夜はノガミを振り返って優雅に微笑んだ。


「ミサより弱い僕が勝つことで、彼女の強さを証明しよう。あなたを見習って、僕も自分の手で仕上げてみようかな」

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