第13話・囮

 人混み。ねっとり漂う湿気。繁華街のけたたましさが体を直接殴ってくるようで、陽太はうんざりしながら指を組んだ。時刻は午後八時。目の前を横切る人々の視線がたまにこちらを向くと、それだけで心臓が飛び跳ねた。


(なんなんだ、この屈辱的な気分と虚しさは……)


 肩を落としかけて、慌てて正面を向き直した。不審な行動をしてはいけないと鏡夜にしつこく言われている。あくまで自然に、人を待っているような感じで、だ。陽太はスマートフォンを取り出し、操作するフリをしてみる。

 七星市の中心部にある繁華街。陽太はそこで一人、囮としてポツンと立っていた。

 一応、姿は女性になっている――はずだ。陽太自身にその自覚はないが、鏡夜の魔法で今、陽太の見た目は満島似の小柄な女性に変化している。鏡夜曰く、「うん。朝倉くんがいい具合に美化した満島さん風の女性って感じだね」とのこと。

 とはいえ、繰り返すが、陽太にその自覚はない。陽太にとって今の状況は、『女装した体格のいい成人男性がひとり繁華街に立ちすくんでいる』にほかならない。今は多様性の時代だというが、道の端に無言で立ったままおどおどしている女装男の自分はさすがに変質者に数えられるのではないだろうか。スマートフォン相手にため息を吐く陽太の耳には、「あの子可愛いな」と言いながら通り過ぎる男性たちの声は届かない。

 不安に駆られる陽太のこめかみにじんわりと脂汗が滲む。どれくらい待ったか時計を確認すると、まだ十五分にも満たない。体感では三十分以上経っている気がしたが、まだ道は長そうだ。そもそも本当にこれで黒幕が釣れるのだろうか。陽太はどこかで自分を見ているはずの鏡夜とミサを探して問いたくなる。


「大丈夫ですか?」


 落ち着かない陽太の肩を、誰かがそっと叩いた。反射的にそれを払うように振り向くと、陽太と同じ歳くらいの若い男性が立っていた。

 いつのまに、と驚く陽太に、男性が躊躇いがちに声をかける。


「顔色、悪いですけど。具合が良くないんじゃありませんか」

「あ……」


 何か答えようとして、陽太はぐっと唇を結んだ。姿変わりの雫は声まで変えられないと教わった。喋ればいくらなんでも男だとバレてしまう。

 沈黙を肯定と受け取ったのか、男性は陽太の腕をつかんで笑う。


「人酔いしたのかも。ちょっと休んだほうがいいですよ。こっちへ」


 ぐっと腕を引っ張られて、陽太は抵抗しようと足を踏ん張った――つもりだった。実際はふらふらと男性のほうへ体が運ばれてしまう。男性が言った通りなのか、陽太は頭の中を揺さぶられ、頭蓋を打ち鳴らされているような気分になった。細い路地へ、男性がどんどん進む。景色がぐにゃりと歪み、音が遠のいていく。途中で手のひらからスマートフォンが落ちたが、足は止まらない。止めてもらえない。違和感を覚えようにもまともに思考がまわらない。意識を手放すギリギリのところで、陽太はどうにか耐えていた。

 二人は誰もいない小さな空き地に着く。

 ここは――ぎくっとした陽太の目の前で、男性の笑顔が豹変した。

 なんの感情ものらない顔で陽太の腕を離すと、二人の間に水の壁がせり上がった。バケツをひっくり返したような音がして、勢いよく陽太の周囲を取り囲む。わけもわからず、陽太は水の壁に四方を塞がれてしまった。手のひらで押してみるが、水は不思議と硬くびくともしない。


「今度こそ当たりだといいんだけど」


 優しさなど欠片もない、うんざりしたような声で男が言った。


「さすがに正解じゃない? 特徴と当てはまるし、魔力も感じる」


 あとから空き地へ来たもう一人の男が言った。陽太に声をかけた男より小柄で、派手な赤いネイルをしている。


(仲間が、来た……。それに、今の会話……当たりだ!)


 ドクン、と心臓が跳ねる。次第に意識がはっきりしてきた。まさか本当に釣れるとは。

 陽太が二人を見ていると、小柄なほうの男がニヤリと笑って壁を撫でた。


「おとなしくしてろよ。ま、なんにも出来ねぇだろうけど。ボスが来るまでじっとしてな」


 ボス。読みは当たった。『本物』かどうか確認しにやってくるのだ。


「つーか、スマホ持っとけよ、ボスも。毎度俺らが連れてきて確認すんのって地味に面倒じゃねぇの?」

「ボスの呪具は機械と相性悪いんだよ。それに、ボスは実物しか信用しない」


 男二人が疲れた様子で会話を続ける。ともかく、黒幕が直接現場へ来てくれるのならありがたい。あとは鏡夜たちが上手くやれば、この一件は解決だ。

 どこか安心して気の抜けた陽太の心を、すぐにぞくりとする冷気が突き刺した。

 思わず身構える。見ると、気怠そうにしていた他の二人もピンと姿勢を正していた。その視線の先に、闇色の大きな渦が出現する。

 渦の中、履き古したブーツが見えた。徐々に腕、胴体、頭部と、渦から人がひとりゆっくりと出てくる。ずいぶんな巨体だ。陽太もそれなりに身長はあるほうだが、高さの問題ではない。相手は存在そのものが大きい。陽太は冷や水を浴びせられたように硬直した。


「……」


 渦が消えると、そこには年老いた大男が立っていた。浅黒い肌にたっぷり蓄えた髭。鋭い眼光は見るだけで人を震え上がらせる迫力に満ちている。本能による警告が響いた。関わってはいけない存在。

 何より異様だと感じるのは、その腕だ。右腕の、巨大な機械のような義手。大小あらゆる部品をツギハギしたような歪な形。手の甲の部分にはぎょろりと光る目玉に似た部品が埋め込まれている。禍々しい深い紫色をしたそれを見て、陽太の脳裏に言葉がよぎった。『剛腕』のノガミ。見たことはなくとも、間違いなくこの男だと確信した。


「ボス。例の女を捕まえてきました!」


 深くお辞儀しながら、赤ネイルの男が言った。彼も緊張しているのか、声がうわずっている。ボス、とよばれた男――ノガミは陽太を一瞥したあと、たっぷり間をおいて口を開いた。


「……殺せ」

「――は?」


 予想外の言葉を浴びて、男二人と陽太は硬直した。ノガミは陽太を再び見ることもなく、もう一度同じ言葉を告げた。――殺せ。


「え、でも、今までは」

「わからんのか?」


 有無を言わさぬ深い声に、全身が竦み上がった。ノガミが生身のほうの腕を上げ、陽太を指さす。些細な動作にすらこの場全体に緊張が走った。


「偽物だ。くだらん魔法で変装した、ガキを連れてきたな」


 男二人が当惑して陽太を見る。ノガミが改めてこちらを見ると、陽太の体が勝手に後ずさった。後方の水の壁に背中があたる。


「トウマたちを捕まえた連中と関係があるかもな。殺しは面倒が多いから避けてきたが、もういい。下手に首突っ込んだ罰だ。こいつはここで始末する」


 ノガミが淡々と言った。足元に転がる小石を蹴飛ばすような、なんでもない様子。殺す、という表現に慣れきった人間の吐き方だ。男二人は返事もできず押し黙る。

 正直、予想していなかった展開だ。陽太は背中が汗でぐっしょりと濡れているのを感じた。まだ自分は事態を軽く見ていたのかもしれない。危険があるとはいえ、先にある最悪までは理解しきれていなかった。その証拠に膝が笑っている。合図を送るためのスマートフォンはどこかに落としてきた。今の陽太には何もできない。すぐに解決できるなんてとんだ思い上がりだった。

 男たちが覚悟を決めた顔で陽太を見た。向こうも殺しは初めてという顔だ。だがそれでも、ボスの命令ならやるのだろう。ノガミに逆らえないだろうことは陽太でもわかる。鏡夜はノガミを小悪党と表現したが、目の前の男の迫力はそれでは足りない。


「わかり、ました」

「……」


 男たちがうなずき合う。陽太を誘いだした若い男が、懐からナイフを取り出した。銀色の刃に陽太の焦った顔が映る。これ以上下がれないのに、また足が退けて背中が水の壁にくっついた。

 前方の壁だけが取り払われ、ナイフを持った男と陽太の間に何もなくなる。

 殺される。

 こんな短い間に、二度も同じ恐怖を感じることになるとは思わなかった。震えだす体に、男のナイフが無情にも迫ってくる。

 と――どこかから駆けてくる靴音がした。

 上空から、真っ黒な何かが勢いよく降ってきた。


「!?」


 驚く男二人と陽太の間に降ってきたそれは、ぐるりと体を捻ると、一瞬で男の手からナイフを弾き落とした。何事かわかっていない男の顎に、さらにもう一発、黒い何かが攻撃を加える。強烈な一撃をくらった男は、ぐらり、とよろめいて仰向けに倒れた。


「……ほう」


 ノガミの口元が歪む。黒い何かが動きを止めると、ようやく陽太にも正体がわかった。


「――ミサ!」

「遅くなり申し訳ございません」


 涼しい顔で姿勢を正すと、ミサはノガミたちを見たまま言った。そのあいだに、赤いネイルの男が険しい顔で手を振る。見ると、先ほどミサが蹴飛ばしたナイフが宙に浮いている。ネイル男がもう一度手を上下に振ると、ナイフは陽太めがけて全力で襲いかかった。

 そのときだった。

 誰かに手首を掴まれた。ひんやりとした冷たい手。体をかたくする陽太をぐっと引き寄せ、踊るようにくるりと位置を入れ替えた。陽太がいた場所に迫るナイフが、水の壁に当たって力なく地面にからん、と落ちる。

 陽太はあんぐりと口を開けて、自分を助けた相手を見た。


「……な」

「待ってても合図がないから、勝手にきちゃった」


 鏡夜はなんでもないように微笑むと、その笑みのままノガミに視線をやった。


「こんばんは。あなたを捕まえに来た、くだらない魔法の使い手だよ」

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