第10話・来客

「どういうことだ?」


 出勤した陽太は、ソファで優雅に座る鏡夜に詰め寄った。鏡夜のほうは慌てる様子もなく、落ち着き払った目つきで陽太を見返す。


「どういうことも何も、今話したとおりだよ。また行方不明事件が起きた。今度は場所を変えて、別の空き地だ。同じように短時間いなくなったあと、記憶をなくして見つかってる」

「だが、犯人は昨日捕まえたはずだ。ミサと一緒に、二人組の男を。証言もとれている」

「てことは、犯人はその二人以外にもいるってことだね。組織的なものかもしれない」


 言い返そうとする陽太の前を、隻腕のミサが横切った。彼女はいつものように鏡夜にコーヒーを淹れてよこす。ひらひらと揺れる左の袖を、陽太は苦々しい顔で見送った。


「具合は、どうだ。痛みはないか」

「……」


 ミサは無言。なんともない顔をして次のコーヒーを淹れに踵を返す。陽太は頭を雑にかきまぜて話を戻した。


「……犯人は一体何がしたいんだ」

「それはわからない。僕らにわかっているのは、誰か特定の女性を探しているらしいことだけだ。捕まった彼らが口を割ってくれれば早いんだけどね」

「そうだ。あいつらに話を聞けばいい」

「簡単にいかないよ。『向こう』に連れていかれても、全く口を割らないらしい。口封じの呪いをかけられているのかも」

「滅茶苦茶じゃないか、魔法というのは! 誰でも記憶をいじるだの、口を封じるだのができてはどうしようもない」

「それが、誰でもできるわけじゃないんだよ」


 言うと、ちょうどミサが陽太のぶんのコーヒーを持ってきた。鏡夜はテーブルに置かれたカップと陽太を見比べる。


「魔法にも種類がある。誰でも使える基礎魔法と、それぞれの素質に合った固有魔法」


 鏡夜が右手の人差し指をくるりと動かした。指揮をするように振ると、テーブルに置かれた陽太のカップが宙に浮く。驚いてみていると、カップは中身をこぼすことなくスルスルと陽太の手元に運ばれた。


「例えば、灯りをつけたり、物を動かしたり。こういうのは基礎魔法だ。コーヒーカップくらいの軽いものなら簡単に操れる。でも、これが車だったり建物だったりとなると別。それなりに重量、質量のあるものを動かせるのは、そういう固有魔法を所持している魔法使いだけだ」

「……記憶を操るのも、その固有魔法というやつか。あんたの雫を操る魔法も、素質に合った固有魔法ということか?」

「理解が早くて助かるよ」


 鏡夜は唇を笑ませて自分のカップを手に取る。


「誰にでもできるわけじゃない。なのに、今回捕まった二人以外にも、記憶操作――同じ手口を使える魔法使いがいる。僕らの世界でも、これは異常事態」


 そう、異常事態。なのに解決する様子は一向にない。捕まった二人も、おそらくトカゲの尻尾切りでしかないのだろう。口を封じて、また新しい誰かが手を染めるだけ。

 陽太は苛立ちに顔を歪めた。ぐらぐらと煮えたぎるマグマのような怒りに、心臓を鷲掴みにされているみたいに体が熱い。異様に暴れ回る心臓を引っ掴んで投げ捨てたい衝動を必死にこらえた。


「……人を、なんだと思っているんだ。たった一人の女を探すために、どれだけの人間を巻き込むつもりだ。ふざけている」


 カップを握る力が強くなる。わき上がる怒りに合わせてコーヒーがぐらぐらと揺れた。絞り出すように言う陽太を、鏡夜が不思議そうな目で見つめた。

 夢と同じ。激しい濁流のような怒りに体ごとのみ込まれていくような感覚。記憶を取り戻す前の満島の、不安げな顔が浮かんだ。本来の彼女と大きく異なる臆病な表情。なんの罪もない人が、また、同じような目に遭っているのだとしたら。陽太の目が、ぎらぎらとした赤い怒りにゆらめいた。


「助けなければ」


 あの日、何もできなかった自分にできることは――怒りを鎮めるには、それしか。


「朝倉くん」


 やわらかくて優しい声に、陽太はハッとなって顔を上げた。気付くと鏡夜がソファから立ち上がり、陽太の目の前に来ていた。ふわりと透明な香りが届く。


「落ち着いて」


 常夜色の目が陽太を映す。夢の中と同じ感覚がした。怒りが波のように退いていき、すべてが許されたような気持ち。この青年の何がそうさせるのかわからず、陽太は呆然とした。


「あ……」

「君が何にそこまで囚われているのか、僕にはわからないけど、ひとまず落ち着いて。助ける側の人間がそんな顔をしてちゃいけない」


 鏡夜の手が、カップを握る陽太の手に触れた。ひんやりとした細く白い手。自然とほどかれるように陽太の手から鏡夜へカップが渡される。鏡夜がテーブルにゆっくりそれを置くと、窓の外で鳥が羽ばたく音がした。


「それと、全く手が打てないわけじゃないよ。応援も呼んである……少し、不本意だけど」

「応援?」


 陽太が首をかしげると同時に、入口の扉が勢いよく開いた。


「いやー、久しぶりねえ。相変わらず辛気臭いわね、この店!」


 声の主は遠慮ない言葉を浴びせてずかずか入ってくる。ヒールで仁王立ちしたその人物を見て、鏡夜は珍しくため息を吐いた。


「本当は呼びたくなかったんですけどね、あなたは」

「遠慮しなくていいのよ。可愛い愛弟子とミサのためならいつでも駆けつけるんだから」


 そう言って、相手は藤色の目をゆっくりと細めた。長いドレスに絹の手袋を身につけた長身の女性。耳には目の色と同じ色の小さな宝石をつけている。綺麗に結い上げた白銀の髪と、息をのむような麗しい美貌の持ち主だ。年齢は鏡夜より上に見えるから、二十代後半か三十くらいだろうか。周囲を圧倒する謎めいた雰囲気が彼女をより大人っぽくみせている。

 陽太は突然の来客に戸惑いながら鏡夜を振り返った。


「愛弟子……? あんた、師匠がいたのか」

「まあね。生まれたときから魔法が使えたわけじゃないから、師匠はいるよね」


 答える鏡夜はどこか投げやりだ。いつも動じず落ち着いて構えている彼しか知らない陽太には新鮮であり奇妙でもある。

 様子のおかしい鏡夜になんの遠慮もなく、やってきた女性は来客用のソファにどっかりと腰を下ろした。


「はじめましてね、新しい店員さん。わたくしの名前はエラ。この店のオーナーよ。今後ともよろしくね」


 エラは魅惑的に微笑むと、慣れた様子で片目を瞑った。

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