第5話・契約
「俺に話とはなんだ」
「彼女がいなくなった途端、怖い顔だね。もう丁寧に接するのはやめたの?」
薄く笑いながらソファに座る鏡夜が言った。
「満島とはそういう関係じゃない。それに、急に人に触ったかと思えば何もかも言い当てるような怪しいやつに、いちいち丁寧に接する必要はない」
「へえ。僕が言ったこと信じてるんだ。何かのトリックだとは思わなかったの」
「……トリックでは説明できないこともあった」
素直な子だね、と言って、鏡夜は自分のコーヒーに口をつける。陽太は改めて正面に座ると、油断なく鏡夜をねめつけた。さっきまで透明な香りに落ち着いていたのに、今の陽太にはコーヒーよりも苦く感じられる。鏡夜のことが気になってしかたない。鮮明な赤色の記憶を言い当てられたことに、未だ動揺している自分がいる。
ミサが入口のドアを閉めると、鏡夜は単刀直入に言った。
「朝倉くん。僕の店で働かないか」
「……は?」
予想外の申し出に、陽太はあんぐりと口を開けた。からかっているのか本気なのかわからない、どこまでも落ち着いた鏡夜の声が続ける。
「こっちも人手不足でね。君みたいないい子が手伝ってくれると助かる」
「ちょっと待ってくれ。話がみえない」
確かに陽太は現在求職中の身だ。早く次の仕事を見つけなければと考えてはいた。が、突然勧誘されても困る。しかも雫師なんて得体の知れない相手に。
「連続行方不明事件を解決したいんだ」
そう告げた鏡夜の顔は真剣そのものだった。陽太の体がかたくなる。
「解決? あんたは警察じゃないだろう。それとも本業は探偵だったのか?」
「どちらでもないよ。ここからは、君を善人だと信じて話すんだけど――」
鏡夜が淡々と話す。
「満島さんは巻き込まれたんだ。僕たち魔法使いの事情にね」
「魔法使い、だって?」
冗談みたいな告白に、陽太は大きな声で聞き返した。ミサがとがめるように陽太を睨んだが、鏡夜は気にせずうなずいた。
「そう、魔法使い。信じられないかもしれないけど、現代にも意外といるんだよ」
「……本気で言っているのか?」
「僕の力を信じてくれたんじゃなかった?」
「それは……。だが、突然魔法だなんだと言われてすんなり受け入れるほど子供じゃない」
陽太は言いながら、微笑む鏡夜の目を見つめた。事件を解決したいと話す彼の雰囲気は、とてもふざけているように感じない。陽太を見つめ返す常夜色の冷えきった瞳。小さく息をのむと、陽太は膝の上で拳を握った。
「まず、話してくれ。そっちの事情を。俺が働く云々はそれからだ」
「構わないよ。こちらとしても話は聞いてほしいし」
鏡夜が柔らかい声で言う。うなずいて深呼吸する陽太を横目に、ミサが静かに窓際に立ってカーテンを閉めた。部屋が薄暗くなり、秘密めいた空気が濃くなる。
「僕ら魔法使いは、基本的には自由に、普通の人間と同じように一般的な社会のルールに則って暮らしているんだけどね」
一つだけ決まりごとがある、と鏡夜は語る。
「普通の人間に魔法を見せるのは禁止。単純でしょ?」
「……ちょっと待て。それを言うなら、あんたはすでに決まりを破っているじゃないか。俺に雫師の力を見せるだの言って」
「僕はワケありでね。色々と例外なんだよ。それに、仕事として申請していれば問題ない範囲の魔法だから。君だって、僕のことを胡散臭い占い師くらいにしか思ってなかったでしょ」
「まあ、確かにそうだが」
「目立ちすぎない程度に仕事していれば、僕の場合は大丈夫」
首をひねる陽太のそばで、ミサが鏡夜に同意するように二度うなずいた。
「でも今回の事件は違う。誰かが私利私欲のために魔法を使って一般人から記憶を奪い、世間を騒がせている。このことに、魔法使いでも古株の――上の人たちがお怒りでね。七星市で仕事をしている僕にお鉢がまわってきたってわけ」
「そう、なのか……。一応聞くが、魔法使いの仕業だという根拠は?」
「魔法を使うと、魔法使いにだけ見える痕跡が残る。満島さんと会って確信した。彼女には誰かの魔法の痕跡が色濃く残っている」
そう言われても、陽太にはピンとこない。ただ一つ言えるのは、事件前と事件後で、満島の様子が明らかに違うということ。それが魔法のせいであるならば、鏡夜の言うこともわからなくもない。
「彼女、意外に鋭いかもね。自分のことを被害者だと言っていた。自分に何かした加害者がいると無意識に自覚しているんだ」
「そういえば、満島には特に金銭を要求しなかったな。なぜだ?」
「満島さんの言う通り、被害者だから。こちら側の面倒に巻き込まれただけの人から報酬をもらったら、僕が上に怒られる。情報提供はしてほしいから、記憶のことはお願いしたけど」
「あの藤色の袋、スターチスの雫だと言っていたが。本当に効果はあるのか?」
「ちゃんとした魔法がかかった雫だよ。彼女に説明したように、雫が記憶を取り戻す手助けをしてくれる」
たとえばこれ、と、鏡夜は奥の棚から小さなスプレー式の香水瓶を取り出した。透明な瓶の中に紫陽花色の液体が入っている。
液体を覗き込んでいると、鏡夜は陽太の頭に中身をふきかけた。
「な、何をする!」
頭上からたっぷりの砂糖と生クリームを使ったお菓子のような甘ったるいにおいが降ってくる。頭部がふんわりとした質感の香りに包まれたような感覚がした。
と――急に、目の前の景色が変わり始める。
視界から色がなくなっていく。
次から次に、あらゆるものが――正面の鏡夜、横に立つミサ、テーブルやソファ、カーテン、奥の棚とアンティークドア、入口のスターチスの花まで――色を失くしたモノクロの姿へ変貌してしまう。
「何が起こっている?」
「雫の魔法だよ。今の君には世界がモノクロに見えているはず」
「それになんの意味がある」
「もうすぐわかるよ」
鏡夜が言い終えたタイミングで、彼の姿だけが色を取り戻し始めた。柔らかそうな髪のミルクティー色。陽太を惑わす瞳の常夜色。バラがとろりと溶けだしたようななめらかな唇の色。
「今、この部屋のなかに色がついたものはある?」
質問にどきりとする。目の前にいるあんただ、とは言えず、陽太は首を振った。
「ある。それがなんだ」
「この雫にかけたのは、本当に必要としているものだけに色がついてみえる魔法だよ」
陽太の体に震えが走る。鏡夜に見られた、激しく濃い赤色の記憶。本当に必要なもの……。
「今の君には何が必要に見えたのかな?」
教えてやるものか、と考えるのとは逆に、唇は彼の名前の形になっていた。
「夏目鏡夜。あんただ。あんたの姿だけ、はっきり色がついてみえる」
言いながら、飛び出た言葉に自分で驚く。勝手に本心を口にしたのは魔法のせいに違いない。かっと頬が熱くなるのを感じたが、鏡夜は特に動揺もせず顎に手をやった。
「僕? うーん、願いを叶えたいっていう君の強い意志がそうさせるのかもね。なんにしても、これで少しは魔法のことを信じてくれたかな?」
「わかった、信じる。信じるから、視界を元に戻してくれ」
「慌てなくてもすぐに戻るよ。効果は短いから」
鏡夜が微笑んで言うと、その通りすぐに色が戻り始めた。鮮やかな世界に目をチカチカさせる陽太を、ミサの無感情な目が見ている。彼女は世界に色があろうとなかろうとほぼ変わらない。ミサが無言でカーテンを開けると、甘いにおいが消えて、陽太の好きな透明な香りが戻ってきた。
「それで? 信じるってことは、僕の話に乗ってくれるのかな?」
「……乗るさ。満島の不安を解消したい気持ちは俺も同じだ。それに、あんたたちの秘密を知った以上、断って無事に帰してもらえるとも限らん」
「君に危害を加えるつもりはないよ。でも、ありがたいね。味方は多いほうがいいけど、僕は信用できる人間が少ないから」
「それはあんたが胡散臭いからだろう」
「違うよ。僕が善人しか信用しないと決めているから」
常夜色の目が試すように陽太を見る。
「この意味、朝倉くんにもわかってもらえると嬉しいな」
陽太の心臓が高鳴った。怯えか、それとも別の何かか。
わからないが、この瞬間に陽太と雫師の契約が成立した。
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