第4話・満島楓の依頼

 繁華街の入口で待つこと五分。満島楓は陽太を見つけて駆け寄った。


「お待たせ。えっと、久しぶりだね、朝倉くん」

「ああ、久しぶり。卒業式以来か」


 そうだね、と、満島がはにかんだ。小柄で茶色いボブヘアの満島は、どこか子犬のような印象を与える。白いフリル袖のトップスに、フェミニンな花柄のスカートというファッションも、彼女の可愛らしさを強調していた。


「えっと……一緒に行ってくれるって、明星くんから聞いてる。ありがとね」

「構わない。早速だが、店に行こう。案内する」


 陽太が歩き出すと、満島も早足でついてくる。彼女にペースを合わせながら、陽太は雫師のいる細い路地のある通りへ向かった。

 満島楓は、陽太と明星の同級生で、陽太にとって数少ない『まともに話せる女子』だった。

 明星と違い外見で女子に怖がられることの多かった陽太は、高校時代ほとんど異性と会話することがなかった。そこへある事件が重なって、いっそう人が寄り付かなくなってしまう。そんな時期にも声をかけてくれたのが、女子では満島くらいだった。

 学級委員という立場もあったのかもしれない。とはいえ、陽太を怖がらず、偏った目で見ることもなく優しく接してくれた彼女にほのかな好意を抱いたのはごく自然なことだった。今も残る高校時代の淡い想いに、明星が気を利かせたかどうかは陽太の知るところではないが。


「満島は進学組だったか。今は大学に?」

「あ、うん、そうなの。W大の文学部」

「すごいな。あそこは県内でもかなりの難関大だと聞いてる」

「そ、そんなこと……うち、文学部はそうでもないんだよ」


 話をする満島はどこかぎこちない。陽太は少し疑問に思った。おしゃべり、というほどではないが、以前の満島はもう少しはきはきした女性だった気がする。聞き取るのがやっとの小さな声など、らしくない。事件が原因なら、その話題は陽太から触れないほうがいいかもしれない。

 路地に入りながら、陽太は先日の雫師――鏡夜の顔を思い浮かべた。美しいが得体の知れない青年。満島に紹介して本当に大丈夫なのか、まだ不安に思う自分もいる。


「あの。雫師さんって、どんな人なのかなあ」


 ビルに入ろうとした陽太の背に、満島が小さくつぶやいた。


「なんというか……変わった人だな」

「会ったの?」

「先日、少しだけ話をした。露骨な詐欺師だったら断ろうと思って」

「そうなんだ……。変わった人って、どんなふうに?」


 言われて、あのとき鏡夜に触れられた手が熱くなった。なんと説明すればいいだろう。あの日は初めてのことばかりで、陽太は混乱しっぱなしだった。何より、鏡夜が魔法のように言い当てた色の記憶が眩しすぎて、陽太は言葉に詰まってしまう。


「その……占い師、とは違うんだが、似た雰囲気がある。けど、別に妙な壺を売りつけるとか、変なお守りを買わせるとか、そういった類ではないんだ。怪しそうに見えるが、悪人ではない。そんな感じだ」


 鏡夜の不思議な瞳を思いだし、今度は陽太がぎこちなくなる。あの目に見つめられると、何もかも見透かされているようで、居心地が悪いというか、妙な気分になるのだ。

 陽太の答えに、そうなんだ、と返事する満島の表情はどこか暗い。心ここにあらずといった感じだ。心配だがかける言葉が見つからない。雫師なら――心の奥を見通せるあの青年なら、満島に必要な言葉がわかるのだろうか。

 考えているうちに、二階のアンティークドアの前まで来た。静かでひんやりとした空気に、満島の顔が余計に強張る。陽太にも緊張が伝わってきて、ドアノブを握る手に力が入った。


「いらっしゃいませ」


 ドアを開けると、出迎えたのはミサひとりだった。ちょうどテーブルを拭いていたところらしく、彼女の手がピタリと止まる。


「朝倉陽太様ですね。そちらの女性は」


 ミサは二人に向かってお辞儀をすると、無感情にそう言った。黒曜石のようなミサの目が満島に向く。


「彼女は依頼人だ。満島楓さん」

「満島といいます。えっと、雫師さん、ですか?」

「違います。ミサは雫師ではありません」


 ミサが機械のように首を左右に振った。困って陽太を見上げる満島に小声で教える。


「雫師はこの子じゃなくて、夏目という男なんだ」

「はい。夏目鏡夜様です」


 陽太の言葉にミサが同意する。


「ミサは鏡夜様をお呼びいたしますので、お二人はどうぞ座ってお待ちください」


 言われた通り室内に入ると、またあの透明な香りがした。謎だらけでこちらを惑わせる鏡夜とミサとは違い、部屋の匂いは不思議と陽太の心を落ち着かせた。満島も同じならいいと思い彼女を見ると、まだ緊張しているようで、ソファに座ったまま裾をぎゅっと握っている。

 ミサが奥の部屋へ入っていく。隣の緊張の色はまだ薄れそうになかった。二人して無言で待っていると、五分と経たずミサが戻ってきた。その後ろから、雫師――鏡夜がゆっくりと歩いてくる。

 相変わらず気怠そうなのに、どこか品のある立ち姿。白いシャツと無地のグレーのパンツというシンプルな格好すら、世間から浮いた印象を与える。肩にかかるゆるい三つ編みを後ろに払うと、鏡夜は顔を上げて陽太たちを交互に見た。常夜の輝きを持つ瞳に、陽太の心臓がドクンとうるさくなる。


「はじめまして。雫師の夏目鏡夜です」


 鏡夜が満島に向かって礼をする。満島はハッとなった様子で慌ててお辞儀を返した。


「え、えっと、はじめまして。満島楓です」

「満島さん。どうぞ、楽な姿勢になさってください」


 鏡夜が言うと、またいつのまにか消えていたミサがコーヒーを運んでくる。三人分、陽太と満島にはミルクと砂糖もつけて、機械的な動作でテーブルに置いた。


「ごゆっくりどうぞ」


 これまたプログラムでもされているかのようにミサが言う。彼女は先日と同じように、鏡夜の隣でピタリと直立した。優美な鏡夜と人形のようなミサ。妙な二人の空気に落ち着けないまま、陽太は満島が口を開くのを待った。

 満島は、えっと、とか、その、だとか言いながらコーヒーにミルクを注ぐ。楽な姿勢になどなれるはずもなく、彼女は緊張した面持ちのままコーヒーを含んだ。この場所が動揺させているせいもあるだろうが、やはり満島らしくない、と陽太は思う。おどおどした態度は、陽太の記憶にある満島とは大きく異なっていた。陽太の知る彼女なら、得体の知れない鏡夜たち相手にも笑顔で接しているはずだった。


「……夏目さんは、七星市の連続行方不明事件って、ご存知ですか?」


 ようやく口を開いた満島に、鏡夜は静かにうなずいた。


「若い女性が突然いなくなるという話ですね。それも、ごく短い期間だけ」

「はい。私、その被害者のひとりなんです」


 満島の告白にも鏡夜は動じない。次の言葉を黙って待つ。


「色々騒がれてるから、これもご存知でしょうけど。……えっと、私、行方不明になってた頃の記憶が、ないんです。だから、なんで自分が行方不明扱いになっていて、そのあいだどこにいたのかも、なんにも思いだせなくって」


 満島の声が徐々に震えていく。彼女は泣くのをこらえるように、ぐっと両手に力を込めた。


「お医者様には、すぐに戻るのは難しいかもって言われたんですけど……私、怖くて。自分が覚えていない間に何があったのか、すぐに知りたいんです。ちゃんと、はっきりさせないと、不安で眠れなくて」


 陽太は満島の目に、化粧で隠しきれない濃いくまがあることに気づいた。形のハッキリとしない事件に対し、内側から怒りが膨らんでくる。陽太の隣で満島がぐっと唇を引き結んだ。

 鏡夜は立ち上がると、後ろにある棚の引き出しから何かを取り出して見せた。手のひらに収まるくらいの小さな藤色の袋。それを満島に手渡す。


「中に小瓶が入っています。スターチスの花からとった雫が少し」

「……スターチスの、雫」


 聞き返すと、鏡夜は満島に優しく微笑んだ。


「これを夜、枕元に置いて寝てください。スターチスの花言葉は、途切れぬ記憶。夢の中で、あなたが記憶を取り戻す手助けをしてくれます」


 満島は戸惑いながらもそれを受け取った。陽太のほうは、また手を握ったり秘密を言い当てたりするのかと思っていたので拍子抜けした。満島相手だと丁寧な対応をするのか。


「あの、お代は」

「結構です。その代わり、といってはなんですが、あなたが行方不明だった頃のことについて思いだせたときは、何があったか教えてください。もちろん、話せる範囲で構いません。それを今回のお代としましょう」


 にっこりと微笑んだ鏡夜に、満島の頬がパッと赤くなる。陽太は面白くない気分でそれを見ていたが、満島の表情が少し明るくなったことにほっとした。

 それからコーヒーを飲みながら、満島と鏡夜は少し雑談をした。大学の講義の話や、サークル活動などの他愛ない話だ。ときどき陽太も会話に加わりつつ、穏やかな時間が過ぎていく。


「それじゃあ、ありがとうございました。早速今夜試してみます」


 立ち上がった満島の顔は、ほんの少し、陽太の知る彼女に戻ったような気がした。ありがたくも複雑な気持ちで鏡夜を見る。彼は終始穏やかな表情のまま、出ていく満島を見送った。

 陽太もそれに合わせて一礼して出ようとする。


「朝倉陽太くん」


 が、急に鏡夜に呼び止められて立ち止まった。


「少し話がある。君は、このまま残って」

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