第6話・手がかり

 その日はやけに晴れていた。空気が乾燥していて、空はどこを見上げても雲一つなかった。だから、何か嫌なことが起きる、なんて想像すらしなかった。

 嫌な予感がする、とは本当にあることなんだろうか。陽太は、人がこれから起きることを予測できるなどあまり信じていなかった。予感とやらがいちいち悪いことを知らせてくれるなら苦労しない。人を恐怖に陥れる酷い物事というのは、たいてい前触れもなく突然やってくるものだ。

 陽太の場合もそうだった。その日も突然、予感の一つもなくやってきた。


 深夜のコンビニ帰りだった。いいかげん帰るか、とふてくされた気持ちを隠そうともせず、大股で道を歩いていた。ジャージ姿の若い男女が陽太と入れ違いにコンビニに入っていく。辺りは暗く、静かだった。陽太がコンビニにいた少しの間だけ。

 目の前に異様な人だかりが見えた。急に辺りが騒がしくなり、がやがやと何か言い合う人垣が作られている。その向こうはもっとうるさかった。誰かの怒号が響き、バケツをひっくり返したような大きな水音に悲鳴があがった。

 何かが起きている。

 陽太はゾッとした。今まさに帰ろうとしている自宅の前を、警官や消防隊員が規制していた。パトカーと消防車、救急車がそれぞれ道を塞ぐように停まっている。

 明らかにいつもと違う異常さに唾をのむ。それでもまだ、陽太は嫌な予感というものを感じなかった。どこか現実感がなかった。他人事だと思い込もうとしていただけかもしれない。

 淡い期待を裏切るように、陽太の目の前に赤い景色が広がった。

 激しく揺らめく、眼球を突き刺すような赤い色。

 空までごうごうと広がっていく、黒と混ざりあう赤。煙の白や灰色と一緒に、どこまでも、どこまでも赤が伸びていく。赤が広がるほど、陽太の心臓がどくどくと波打っていた。

 誰かの悲鳴や怒ったような叫び声。鼻を突く焦げた凄まじいにおい。皮膚に伝わる熱気。陽太は頭を強く殴られたように全身を硬直させた。


「下がってください! 下がって!」


 警官が叫びながら野次馬を押し出していく。陽太も目の前の人だかりにつられてフラフラと後退した。目は焼けていくそれ・・から離れなかった。


「誰か出てきた人はいないのか」


 野次馬の誰かがつぶやく。答える人はいなかった。かろうじてそこに立っているだけの陽太は、呆然と赤色を見上げるしかできない。

 そこにいるはずなんだ。

 母親が。父が。祖母が。妹が……。

 ガシャン、とガラスの割れる音がした。立ち尽くす陽太の体は燃えているかのように熱いのに、こめかみをつたう汗は氷のように冷たかった。


     *


「え、じゃあ陽太くん、ほんとに雫師さんトコで働くことになったの?」


 公園のベンチでおにぎりを頬張りながら、明星が目を丸くした。横でツナマヨにぎりを食べる陽太が苦々しい顔でうなずく。明星の驚く声は、遊具で遊ぶ子供や談笑する主婦たちの音にまぎれて小さくなった。


「まあ、成り行きでな。とにかく、連続行方不明事件について詳しく調べなければならない」


 陽太は明星に、満島を連れて行ったときのことを話した。もちろん魔法云々のことは伏せて。嘘をつけず曖昧に濁した陽太の説明にも、明星は深く追求することはせず、なるほどねぇ、と二つ目のおにぎりを開封する。

 雇い主である鏡夜に頼まれた最初の仕事は、行方不明事件の詳細を知ることだ。それを伝えると明星は首をかしげた。


「それは警察の仕事でしょ……って言いたいけど、なんかマジっぽいね。オレにできることなら協力するけど」

「本当か? 助かる」


 正直なところ、何をどう調べていいものか困っていたところだ。情報通な明星の力が借りられるならありがたい。陽太は期待して身を乗り出した。二つ目のおにぎりを食べながら明星が言う。


「実はちょっとした情報持ってるんだよねえ、あの事件に関しては。知り合いの女子大生――あ、元同級生ね。その子がさ、聞いてもないのに事件の話ペラペラ喋るから」


 明星が口にした名前に陽太は聞き覚えがなかった。明星が言うには同じクラスになったことがあるらしいが、女子に煙たがられていた陽太には縁のない名前だった。


「ニュースでは、若い女性が続けて行方不明になっている、としか報道されていないが」

「一応、それ以外にも情報はあるんだ」


 明星はおにぎりを食べ終わると、スマートフォンを取り出した。地図アプリを起動して、七星市の地図を表示する。中心部の飲食店や雑居ビルが多く並ぶ通りを拡大すると、陽太に見えるようスマートフォンを傾けた。


「この辺り。みんな、ここでふらっといなくなって、行方不明者になるんだ。何度頓挫したかわかんない開発計画で道が入り組んでるから、ちょっと目を離すと目の前から人が消えた、なんてあってもおかしくない」


 ちなみに時間も決まってる、と明星が続ける。


「だいたい夜の八時前後。まだ人通りも多い時間だから、目撃者がいないのが不思議なくらいだけど」

「一般人がそこまで知っているのに、なぜ警察は何も発表しなければ、犯人の目星もつけられないんだ」

「さあね。捜査はしてるだろうけど、すぐ帰ってくるからあまり重要視されていないのか、別の理由があるのかはオレも知らないよ」


 明星が肩をすくめた。スマートフォンをしまうと大きく伸びをする。

 少ないが重要な手がかりだ、と陽太は腕を組んで考えこむ。まずこのことを鏡夜に報告して、それから事件現場の調査をしてみようか、と思いつく。とはいえ魔法使いが起こした事件だ。現場を見て自分が何かに気付くことがあるかはわからないが。

 なんにしても調べなければ始まらない。

 陽太がそう決心したとき、明星のスマートフォンに着信があった。やけに大きく感じる音に目をやるのと、明星が陽太のほうを向くのは同時だった。


「満島さんからだ。事件のときのこと、思いだしたって」

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