23.探索

後宮の庭は、一段と花の香りが濃い。

翠英さまの定期診察の後、私は帰るフリをしつつ途中でそっと庭に下りた。

身を潜めながら花の間をすり抜け、ぐるっと回って宮殿が見える場所までやって来た。

重なる葉のあいだから顔を出すと、湖面を渡る風がいたずらに前髪を揺らした。


「…」


『かくれんぼ』なんて、何年ぶりだろう。

後宮に来てまで密偵スパイの真似事するなんて、思ってもいなかったわ。

あ、ゴシップ狙いで覗いてるんじゃないよ?

もちろんこれは、証拠を見つける為。


あの日、潁くんの対応は早かった。

疑いの目が瑶玉に向いたとたん、考えられる手を彼は全て打った。

まず、茶問屋の彼に見張りをつけ、四六時中、一挙手一投足を監視させている。

一方で翠英さまの周辺は、すでに白奎さまの息のかかった宮女が送り込まれ、捜索を済ませていた。

けれど、白奎さまによると、彼女の部屋にも毒薬や呪詛に使うような代物は無かったという。


「まぁ、花帝の宮で術を使うなど、不可能ですがね」


そういって微笑んだ白奎さまに、私の直感がピンと跳ねた。

術が使えないなら、モノしかない。

誰が見ても疑問に思わない、変哲もない、ありふれた物。

それがきっと、翠英さまの体調を悪化させている原因となってるはず。

幸い、前にお渡しした毒流しの花茶の効能で、眠っている時間は相変わらず長いものの、翠英さまは小康状態を保ってらっしゃる。

ということは、身体の外から原因となる物を摂取してる事に他ならない。

となると、残るは瑶玉その人。

他の人の目は誤魔化せても、私の目は騙されない。

善人のフリをした悪人のように、必ず何処かに違和感があるはず。

これは医療従事者プロフェッショナルとしての意地よ。

必ず、見つけ出してみせる―。


並々ならぬ決意と共に、身を隠しつつ庭を渡る。

青々と茂る葉に隠れて宮殿の様子を伺っていると、不意にクラッと眩暈に襲われた。


「…やっぱり、苦手だわ」


胸に沁み込む、濃厚な甘い香り。

酔いが回ったみたいに、頭がボーっとして、思考回路が遅くなる。

ダメダメ。

こんなところで、倒れたり出来ないから。

念の為、アレを飲んでおこう。

袖の裏に縫い付けてある、小さな丸薬を取り出す。


これは持ってると安心できる、お守りみたいなもの。

医術を生業にする者は皆、自分独自オリジナルの解毒剤を持っている。

これが意外と、世間で重宝されるモノだったりする。


ウチのお得意様の中にも、解毒剤を所望される方は多い。

ぶっちゃけ、高貴な方の不調の原因が「毒を盛られたこと」、だったというのはよくある話。

まぁ、表沙汰には出来ないけどね。

ちなみにこの丸薬は父上特製の、万能系の毒下し。

副作用もなく、食あたりにも作用する、優れモノ。もちろん調合は、門外不出。

これで父上は、沢山の人を瀕死の淵から連れ戻してきた。

イロイロと常識がぶっ飛んでる、世にいう変人の彼だけど、腕の良さは間違いなく天下一品。

一方で娘の気苦労は、絶えないけどさ。


今も、自由気ままに諸国を行脚してるんだろうな…。

短い便りと共に届けられる、珍しい薬の材料。

先日も、干からびた蜥蜴トカゲやら、キノコやらなんやら、よく分からない怪しげなモノが大量にウチに届いた。

『ゲテモノ趣味の奇人』と周囲に囁かれてるけど、父上は何処吹く風。

帰ってきたら、なりふり構わず研究に没頭するんだろうな、また。


やれやれ、とひとりため息を落とし、丸薬を二粒ほど飲み下して、近くの石に腰をおろす。

胃に届くまで、数分。

その間、ひと休み。

ゆっくり深呼吸して、見も心も草木の気配に溶け込むように目を閉じる。


サラサラと葉が風に揺れる音が、耳に心地よい。

目を閉じると、風の流れがよくわかる。

宮殿の奥、北に広がる禁苑から流れてくる風は後宮を取り囲む白塀を滑るように走り、庭の木々の間を気ままにすり抜ける。

花を揺らし、湖面を撫でて、宮殿を巡ってゆく。

まるで包みこむように、風で編まれた香りの幕が、後宮全体をおおっている。


…ここを設計した人は、風を読む人だったのね。

この流れのおかげで、庭から離れている宮殿でもこんなに花の香りが濃いんだ。

感心しながら耳を傾けていると、風の後ろに隠れるようにして、もうひとつ、軽やかな音が浮かんできた。

淙々とした、涼しい気配。

その後ろに、力強く迸る気配が隠れてる―。

これ、水流…?

目を開けて、周りを見渡す。

庭を埋め尽くすのは色と香りの洪水。

見えるのは、サラサラと池に注ぐ水路くらい。

違う。

そうじゃない

何処かにある、もっと大きなもの。

うねりをあげる何かが、地面から足の裏を通って伝ってくる。


なんだろう?

わざと隠すように、前に出てこない音。

だけど、確かに気配は、ある。

こういう時は、直接に聞くに限る。

両手を開いて、ペタッと足元の土に押し付け、また目を閉じる。

地面から感じる、小さな振動。

そこに意識を落とし、流れる気配を辿る。


「…」


冷たい気配が、後宮の周りを取り囲んでいる―。

花の香りで隠されてるけど、地面の深くで脈打つ大きなうねりが、てのひらから伝わって来る。


もしかして、この庭。

何か隠されてる―?


ピンときたら、もう身体は動いていた。

草の上を四つん這いになって、コソコソと庭の奥へと進んでいく。

壁に近くなると、てのひらに感じる振動がどんどん強くなっていく。

きっとここに、何かがあるんだ。


「うわっ」


突然指先に触れた、冷たい感覚。

慌てて引っ込めた手から滴り落ちた水のしずくが、靴にシミを広げた。


「こんなところに、水たまり…?」


草を手でかき分け覗き見ると、人ひとりがやっと入れるくらいの、細い隙間のような水路が壁の周りに沿うようにして走っていた。

その手前の地面に頭を寄せて耳を澄ますと、草の下から小さな波の音が耳に響いた。

やっぱり、これか―。

庭を囲むように、流れの急な水路が張り巡らされてる。

そして、それを隠すように、生い茂る花々。

まるで罠みたい―。


「気をつけて。落ちたら戻れないよ」

「ふわぁっ‼」


顔の真横で聞こえた声に、冗談みたいに飛び上がった。

腰を抜かすほど驚いて振り返ると、可愛らしい顔立ちの男の子がすまし顔でこちらを見ていた。


「あ、あなた、いつの間に…」

「それ、『獣返し』だよ。間違って白壁を越えてしまっても、この先に立ち入らないようにって」

「そ、そうなの…」


いや、びっくりしたよ。

気配もなく、突然現れるんだから。

心臓止まるかと思ったわ。

子供って、ほんと神出鬼没よね。


「えと…、ご親切にありがとう。それであなたは、ここで何をしてるの?」


にしても、獣返しなんて仕掛けがあるなんて、初耳だわ。


「ひまつぶし。口うるさい家庭教師から逃げてきた」

「そ、そっか…」


宮中ここに入れるってことは、この子、それなりの身分って事だよね。

よく見ると、衣から髪留めまで、上等なものを身につけている。

幼いながら、なんというか、世間一般の子供と違って品があるというか、凛としたものを持っている。

雰囲気オーラって、小さい頃から自然と身につくものなのね。

なんて、感心してる場合じゃない。

一緒に居るところを見つかったら、私もお説教コースじゃない。

冗談じゃない。

どこの誰であれ、今は関わらない方が身のため。

御前失礼するといたしましょう。


「じゃ、私はそろそろ戻るね」

「ボクもついて行っていい?ヒマなんだ」

「ダメよ。今頃きっと、先生が血相変えてあなたを探してるでしょう?早くお部屋に戻らなくちゃ」

「いいんだ。彼の事は放っておいて」

「だーめ。心配しすぎて先生がハゲたらどうするの?髪はウチの薬でも治せないのよ。苦労させないであげて」

「いーの。彼らは苦労が仕事のようなもんだから」

「そんな難儀な…」


ああ言えばこう言う、このお子サマ。

先生も、きっと気苦労が絶えないでしょうに…。

他人事ながら、気の毒になるわ。


「ごめんね。私、そろそろ行かなきゃ。お姉さん、こうみえてお仕事中なのよ。だからあなたも、戻りましょ」

「おねえさん、なんのお仕事してるの?」

「それは内緒」

「ふぅん…。―宮女ではない、よね?おねえさんは」


想定外のするどいツッコミに、ピクッと眉が上がる。

な、なに?この子…。

口元に年齢不相応な薄い笑いを浮かべた相手を、まじまじと見る。


「…なんで、わかるの?」

「後宮の宮女の服じゃないから。外宮げぐうの人?」


…思ったより、目端が利く子だわ。

子供とはいえ、迂闊な事は言ったらダメなタイプね。


「ん~。普段は皇城で働いてるの。今日はたまたま」

「ここに入るには、偉い人に頼まないとダメなんだって。おねえさんは誰にお願いしたの?」


あ、やっぱり、ここの住人なんだわ。

大人の事情にも通じてるのは、関係者ならでは。

賢い子は好きだけど、やんごとなき御方のドタバタに巻き込まれるのは、一度で充分。

取り巻きにチクられても面倒だから、ここは上手く誤魔化しつつ、さっさと立ち去りましょう。


「ちゃんとお仕事で来てるのよ。偉い人に頼まれて」

「なんて?」

「『病気の人を看て』って」

「へえ。典医署医局の人なんだ」

「違うわ。単なる町医者よ」

「おねえさん、若いにスゴイね。医者は普通、ジジイばっかりだから」

「…まだ、見習いよ」


大人びてるというか、可愛げないというか。

まったく。変な子に捕まっちゃったわ。

大事な時に限って、こういう面倒事が起こるのよね。

とにかく、早く戻って、探索しなくちゃ。

ニコッと笑顔を作り、膝を折って彼の目の高さに視線を合わせる。


「あの、お願いなんだけど、私がここにいたことは、内緒にしてもらえる?」

「どうして?」

「…今、かくれんぼしてて。誰かに見つかったら、負けになっちゃうの」

「へぇ」


やけに低い声と共に、男の子の片方の眉毛がスッと上がった。

嫌な予感がする。

いやいや、落ち着け、清花。

くせ者とはいえ、相手はまだ子供。

大それたことはしないはず。

そう言い聞かせて、頬の筋肉に力をこめる。

すると彼は口元に袖を寄せて、しばらく何かを考えるそぶりをみせた後、ニコッと目を弧の字にして私を見た。


「じゃ、ボクもいっしょにかくれんぼする」

「え」


唐突な言い出した言葉に、あからさまに拒絶の声が出てしまった。

だってよ?

私、こんなところで子守りしてる場合じゃないの。

仕事中なの。忙しいの!


「…あのね。お姉さん、結構大事なお仕事中なのよ。こう見えても」

「ボク、ここの庭、詳しいよ?色んな仕掛けも知ってるし」

「仕掛け?」

「ここは花帝の庭だよ。不届き者が外部から侵入しようとすることもあるでしょ」

「そうね、確かに」

「だから何重にも仕掛けが用意されてるんだよ。しっかりと隠してあるけどね。でも、迂闊に歩くとひっかかるよ。お姉さん、見つかってもいいの?」

「いや、困るけど…」

「ボクがいた方が、勝率は上がるよ。この庭のことなら、大体知ってるし。裏道もね」

「ん…」

「いい案だと思うよ?協力者がいても、気づかれなければ、勝ちなんでしょ」

「そ、そうだけどー」


子供とは思えない説得力ありまくりな提案。でも、素直に頷けないのは、なんか引っかかるから。

見た目の割に、言う事がやたらとマセてるこのお子サマ。

信用していいものか。

はて、どうしようか…。

腕を組んで考えてたら、すまし顔した彼が私の顔を覗き込んできた。


「遅い。すぐ判断しないと。ほら、ボクが今、『見つけた!』って叫んだら、お姉さん、瞬間で負け確定だよ」

「まぁ、そうね」

「お姉さんはそれでいいの?」

「よくないわ」

「なら、ボクを仲間に入れないと」

「う」

「負けたくないでしょ?」

「…」

「選択肢はひとつしかないと思うけど?」


余裕綽々とのたまうその表情は、大人とみまごうほど不穏な空気を匂わせてる。

私、こんな子供に脅されてる?

驚きと呆れが混ざって、開いた口が塞がらない。

たじろぐ私に、彼は整った顔でニコッと笑って見せた。

いやぁー。

近頃の子供は、恐ろしいわ…。


「…いいわ。一緒にかくれんぼしましょう」

「やったぁ。じゃ、決め事ルールを教えて」


これはもう、このまま誤魔化し続けるしかないわね。

小さなため息をひとつ落としてから、気を取り直して顔を上げる。


「これは難しい競技ゲームなの。誰にも気づかれないように、隠されたお宝を見つけるの」

「お宝って?」

「それも内緒なの。でも、ヒントはある」

「うん」

「この後宮に、あるはずの無いもの。それを見つけたら、私たちの勝ち」

「わかった。絶対に見つけるよ。期待しててね、おねえさん」

「頼んだわよ」


君はイマイチ、信用できないけどね…。

って、子供相手に言うのは、流石にガマンした。


「で、どこから探そっか?」

「隠されてる場所は分かったの。あそこよ」


目を爛々と輝かせる男の子に、私は宮殿の一部屋を指差した。


「さぁ。知恵比べの始まりよ」

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謎解き宮女は恋をひもとく こしあん @15daifu9

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