20.進展

官服から着替えた潁くんと、東市に向かう。


東市は西市と同じ、国営市場。

ここには国内各地の名産品や、遠くは砂漠を越えてやってきた、異国の工芸品など多様な品物が集まる。

役所で使う物品の多くが市内に店を構える商人から納められており、筆などの文具から茶器や宝飾品まで、ありとあらゆる専門店が何千件と立ち並び、賑わいを見せている。

西市が『都城の胃袋』なら、東市は『粋美の集積地』。

他国では成しえない、規模の大きな東西ふたつの市は、貴族や官僚だけでなく、外国使節や地方役人も来城した時には必ず立ち寄る、お買い物好きの聖地となっている。


「東市は今日も人が多いね。昼過ぎは、一層混むのね」


西市の殺人的な混雑に比べたらマシだけど、ここも結構な人出。気ままにそぞろ歩くのが難しいくらい、人通りが多い。


余所よそ見してはぐれるなよ」

「そこまで子供じゃありません」


隣の穎くんをキッとにらみつけたら、スンと鼻先で流された。

皇城官公庁内にいる時はいつも、一応上官だから潁くんは前を歩くのだけど、一歩皇城を出たら関係無いらしい。今は私の歩調に合わせ、横並びに歩いている。


「で、男の顔は覚えてるか」

「うん。はっきり見たから」

「見つけたらすぐに知らせるんだぞ」

「はい」


返事をすると、潁くんは前を向いたまま口角を上げた。

明るい陽の下で見る彼の横顔は、いつもより精悍さが際立って、なかなかの好青年っぷりを見せつけてくれる。

ほんと、黙ってさえいれば、男前なんだよねぇ…。


本人は自覚無さそうだけど、街中に入ると、妙に凛々しい佇まいが余計に目立つんだわ。

穎くんは否定するけど、なんだかんだ、女子には人気あるだろうなって。悔しいけど、納得しちゃうわ。

でも、中身がねぇ。

我儘わがままというか、風変わりというか。

常識人の私からしたら、理解不能な行動が多くて。


「ねぇ、潁くん」

「ん」

「皇城外だど、どうしていつも、そう地味な恰好をするの?」


今、私の隣を歩く彼の服装は、高級官僚とは思えないほどラフなもの。

仕事中は髪も皆と同じく、高くひとつに結いあげてるんだけど、今は背中でゆるく纏めてるだけ。

衣も華美とは程遠い、野蚕糸を使った織り目の粗い、シンプルな仕立てのもの。

そういえば、初めて会った、あの悪夢みたいな日も、穎くんは無頼漢みたいな格好をしてたっけ。

着ているもので身分を判断されるこのご時世に、あえて簡素な衣を選ぶことが不思議でならないの。


「官服を脱いでまで、偉そうな服を着る必要ないだろ」

「いや、潁くんはそもそも存在から偉そうだけど…」

「は。オレは元来慎ましい人間だ。仕事だからあえてそう振る舞ってるに決まってるだろう」

「そのキレキャラは素だと思うけど…」

巫山戯ふざけた仕事をする人間を叱咤するのは、上長として当然のこと。甘やかしたら、組織が緩むだけ。そもそも厳格であるべき職場に、甘えなど言語道断だ」

「じゃあ、皇城にいる時は仕事中だから、わざと怖い顔してるの?」

「顔は生まれつきだ」

「…性格は、顔に出るって」

「あぁ?」

「…なにその顔」


目をかっぴらいた潁くんに、思わず吹き出しちゃった。

そんな面白い顔、大の大人はしないって。なんで気づかないかな。

穎くんって、変なとこが抜けてるのよね。可笑しいの。


「何故笑う」

「だって、言う割に威厳とか、微塵もない顔するから」

「失礼な」

「ふふふ」


不貞腐れ顔は幼子みたい。

この顔を見慣れてる私としては、わざわざカッコつけなくていいのにって、思うけど。

無愛想な上司より、人間味のある上司のほうが一緒に働く人の精神衛生上いいだろうに。

大理寺のみんなの猛将に怯える日々は、当分続きそうだわ。気の毒に。


「そう言う自分は、居丈高な上司がいいのか?」

「まさか。嫌よ、そんな人と仕事なんて、やりづらくてならないわ」

「だろう。オレ等はこれから聞き込みに行くんだ。一般人相手に権威を振りかざしたら、聞き出せるものも出せなくなるだろ」

「ちゃんと考えてるんだ」

「オレを誰だと思っている」

「ほら、偉そう」

「…」


潁くんは口を曲げると、無言で前に向き直った。

ほんと、子供なんだから。

実年齢って、精神年齢とは関係ないってホントだね。

はるかに年下の私に言い返せないようじゃ、潁くんもまだまだよね。

言いくるめた優越感に気持ち良く浸ってたら、不意に彼の足がピタッと止まった。


「…どしたの?」

「あの店だ」


潁くんが指さす先には、『揚州茶園』の文字の垂れ幕がひらめく一軒の店。

今日の目的地を前に、私たちは目を合わせて頷いた。


「行くぞ」

「はい」


潁くんの半歩後ろについて、店に入る。

中を見回すと、壁には一面の茶棚。店の中心に設けられた座壇の前には茶箱が整然と並び、青々とした香りが店中を埋め尽くしていた。


「いい香りだな」

「ほんと。気持ちいくらい」


爽やかな葉の香りを、胸いっぱいに吸い込む。

いつもクセのある薬草に囲まれてるせいか、茶葉独特の軽やかな香りを嗅ぐと、気持ちが穏やかになる気がする。

話し声が聞こえたのか、店の奥から一人の店員が顔を出すと、潁くんの前にスッとやって来て頭を下げた。


「ようこそいらっしゃいました。お客様、本日はお探し物ですか」

「あぁ。献納の品を探していてな。茶などどうかと」

「それはそれは。では、選りすぐりをご用意します。どうぞ、こちらへ」


上客候補と判断したのか、すぐに奥の個室に通された私たちは、広い丸卓テーブルを挟んで椅子に座った。


「ただいまご用意しますので、しばしお待ちを」


店員は茶と茶菓子を出すと、そういって頭を下げてしずしずと出て行った。

潁くんが早速茶に手を伸ばし、軽く口に含むと、ぼそっと呟いた。


「―春茶、だな」

「え。そんなこと分かるの?」

「喉に落ちるとき、香りが鼻に抜けるだろう。香りが立つのは若芽の特徴だ」

「そうなんだ」


美味しいお茶だなぁ、としか思わなかったよ。

なんだかんだ言っても、穎くんは立派な貴族。見た目によらず、風流事にも造詣が深いらしい。


「これから試飲することを考えて、舌に残らない軽い茶を出してるんだろう。商品に自信がある証拠だ」

「そうなの?」

「味の濃い茶を飲んだら、鼻も舌も鈍くなる。誤魔化すには、濃い味を。引き立てるには薄い味を。味覚は特に影響されやすいから」

「へぇ~。物知りね」

「ダテにそなたより長く生きてないからな」

「なによ。突然先輩風吹かせて。やなかんじ」

「まあな」


ふふんと鼻で笑うと、潁くんはまた茶を口に運んだ。

私もお茶を飲みつつ、部屋を眺める。

シンプルだけど、造りの良さが分かる調度品の数々。

窓からは小ぶりながらも、手入れの行き届いた庭が見える。

華美じゃない分、本来の素材の良さが際立つのは、茶も物も同じかもしれない。


「予想よりも美味い茶だったな」

「うん。さすがお茶の名産地ね。おもてなしの一杯からすっごく美味しくて、ちょっと驚いちゃった」

「この茶、部屋にあれば飲むか?」

「もちろん」

「なら、いくつか買って帰るか。他にも気に入ったのがあれば、気兼ねなく言ってくれ」

「嬉しいっ。出仕する楽しみが増えたわ」

「今日も変わらず、単純だな」

「あ。また人のこと馬鹿にしたー」

「空耳だろ」


潁くんがふっと笑ったのと同じタイミングで、 トントンと戸を叩く音が響いた。


「はい」

「失礼いたします。お待たせいたしました―」


声と共に戸が開き、さっきとは違う、若い男が大きな盆を手に部屋に入って来た。


「―」


その顔に、私は息を飲んだ。


「ようこそいらっしゃいました。当店の主人、徐央じょおうにございます」


深々と頭をさげたその青年の、人懐っこい笑顔。

その顔は、まさにあの日、私が背を追いかけた人物のもの。

まさか。

大当たりじゃないの―。

驚きのあまり、言葉も出ない。

こんな用意されてたみたいな偶然、ある?

いくら穎くんの推測が冴えてたとしても、ドンピシャで本人が出てくるなんて、思ってもいなかったよ。


彼は私たちの前に進み出ると、大きな盆を丸卓に置き、ふたたび頭を下げた。

その一瞬を逃すまいと、必死に潁くんに視線を送ると、彼は表情ひとつ変えずに、小さく頷いた。





「こちらは夏の茶葉にございます。果物の香りがただよう、茶好きが食後に好んで使う茶です。どうぞ香りをお試しください」


徐央による聞き茶講座に、私と潁くんは仕事そっちのけで、真剣に聞き入っていた。

細長い聞香杯もんこうはいと呼ばれる小さな茶器を渡され、鼻を寄せる。


「…ほんと。夏の果物の香りがする」

「だな」

「おすすめは食後、おくつろぎの時です。熱めの湯で一杯召し上がると、消化の手助けにもなります」

「湯は熱い方がいいのですね」

「はい。食後には。ただ、暑くなる夏場にはあえて、冷茶にするのもお勧めです」

「冷茶?なんです、それは」

「水で出す茶でございます。お近くによい井戸があれば、夜にその水を汲み、一晩茶器の中で茶葉と共に寝かせます。翌日、酒器のような大きな器に移し代え、流水で冷やしてお召し上がりいただく。それがこちら」


透き通った翠色の水が、涼し気な玻璃の器に注がれる。

勧められるまま、のどに流す。


「…あまい」


口の中に広がる、蜂蜜のような香りと甘み。

予想外の風味に思わず目を見開いた私に、徐央がニッコリと微笑んだ。


「驚いていただけましたか?これが、茶葉本来の甘さなんです。熱湯では消えてしまう、水出しだけの特別な愉しみ方です」

「他の茶葉でも、このような甘みが出るのか?」

「甘みは秋の茶葉のほうが強く出ます。ただ香りはどうしても春に比べ劣るので、香と甘のバランスが取れた茶葉を選ぶのがコツとなります」

「はぁ…。奥が深いのね、茶葉って」

「茶の世界に正解はございません。ご自身のお好みで、その時々に選ぶ楽しみを感じていただければ、茶問屋として幸甚の至りです」


にこっと笑った徐央に、潁くんが懐から銭の入った包みをひとつ取り出して、彼の前に置いた。


「いい時間だった。これで、いくつか見繕って包んでくれ」

「ありがとうございます。では、ご用意いたします」


彼は席を立つと、廊下に出て声をかけ、手に紙袋を持ってまた戻って来た。


「春と秋、それぞれ二種ずつお詰めします。また、夏の冷茶用をふたつ。こちらは香りの違いをお楽しみください」


そう言いながら、徐央は塗箱から取り出した紙に飲み方を書きつけ、茶葉を匙で量り、ひとつずつ梱包した。

その手慣れた動きを見ながら、潁くんは彼に話しかける。


「そなたの話、大変面白かった。この仕事は長いのか?」

「ありがとうございます。実家が代々問屋を営んでおり、生まれてこの方、茶葉に囲まれる生活を送っております」

「この店はいつから?」

「店は以前からあったのですが、私が珀都に参ったのは、実は今年の正月からでして」

「ほう。まだ数ヶ月と」


鍵となる単語に、潁くんが私にチラッと視線を飛ばした。

私は意を汲んで、仕込んでいた話題をそれとなく彼に向ける。


「ーでは、上元節はご覧になりました?」

「はい。もう、それを楽しみに長旅を身体に鞭打って参りましたので」

「今年の幸運を願う祝日。都城の民ばかりでなく、主上もお忍びで参られる慶事だ。初めて見るそなたには、とても心に残っただろう。どうだ、その後なにか幸運はあったか?」

「はい。驚くほどに」


素直にうなづいた彼に、私たちはサッと目配せを交わす。

聴き取り調査、本番開始。

二人がかりで、それとなく身の上話を引き出していく。


「では、素敵な方に出会えた、とか?」

「えぇ。その通りです」

「ほう。聞かせてくれ」

「地元の知り合いが今、こちらの宮城で仕官しておりまして。上元節に街に出てたところ、ばったり出会いまして」

「運命ですね」

「はい。天の計らいだと」


はにかんだ笑顔は、偶然の再会を心から喜んでるように見える。

今までの流れから考えても、作り話とは思えない。

穎くんの描いた筋書きが、徐々に現実のものとして、その姿を現していく。

『物事には必ず、そうなるべき理由があるー』

脳裏によぎる、彼の言葉。

彼は知ってる。

全ての行動には理由があると。

彼は今きっと、掴んでる。

この話の本質を。

核心はもう、すぐ目の前だ。


「お相手はどんな方なのです?」

「まだ童子の頃、実家でよく一緒に遊んでいた少女です。長じてのち、本家のご息女につきそって宮廷入りしたと風の噂で聞いており…。まさか、本当に都にいるとは思ってもおりませんで」

「お相手も再会されて、さぞお喜びでしょう」

「はい。おかげさまで今度、祝言婚儀を挙げる運びとなりまして」

「それはめでたい」


ここぞという話に、信じられないくらいの愛想笑いを貼り付けた潁くんが、自ら会話を拾いにいった。


「これも何かの縁。私も祝いを出させてもらいたい」

「お心遣いありがとうございます。しかし、宴席は設けず、すぐに東都に移る予定なんです」

「なぜに?」

「彼女は元から身体が弱く、最近は体調不良に悩まされておりまして。名医を紹介してもらったので、そこでまず養生しようと考えております」

「そうか。それは致し方ないな」

「はい」


嬉々として話す徐央の言葉が、欠けていたピースをパタパタと埋めていく。

心臓が早鐘を打つのを感じながら、笑顔を必死に繕って話をつなぐ。


「…慶事とはいえ、お仕えしているご主人は、お寂しいでしょうね」

「はい。本音はそうでしょうが、ふたりは幼い頃からの親友のようなもので。我等の事を我が事のように喜んで下さって」

「お会いになったのですか?ご主人に」

「はい。私も幼い時分に仕事の関係で、何度かお目にかかったことがあって。…だいぶ雰囲気は変わりましたが、面影はあって。こちらで再会した折には、懐かしい昔話に花を咲かせました」

「みなさん、幼馴染なんですね」

「はい。なので彼女の為にも、早く養生させて、再び元気な姿で出仕できたらと」

「そうですね…」


もう、疑いの余地は残っていなかった。

笑顔を作るのが精いっぱいの私に変わって、潁くんが話を取った。


「巡り合わせとは、羨ましい限りだ。私もその幸運にあやかりたいものだ」

「何をおっしゃいますか。こんなにお似合いのおふたり、なかなかお目にかかれません」

「茶も口も上手い店だな」

「いえ、都広しと言えど、お二人のようにそろって麗しいお方など、滅多にお見かけしません。まさに眼福にございます。またどうぞ、末永く御贔屓に」

「考えておこう」


からからと笑う潁くんに、あやうく顎が外れるところだったわ。

いや、そこはちゃんと否定しよう?

営業トークなんて普段はバッサリ切り捨てるのに、今日に限って、なんで誤解を増長させるの。

ほんと、理解できない。


「―若旦那には良い話を聞かせてもらった。買い物も出来たことだし、そろそろ我らも暇をもらおう」

「ありがとうございます。またお目にかかれますように」

「近々、また会おう」


潁くんはそう言うと私を引き寄せ、軽やかな笑顔を振りまいて店を出た。

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