17.失恋
「悪い。後で迎えに行く」
「うん。あとでね」
知り合いに声をかけに行く潁くんの背を見送った私はひとり、人の集まる方へ歩きはじめた。
煌煌とひかる灯篭が並ぶ軒先を、人目を避けて歩く。
怪しまれないように、さとられないように、でも、見逃さない距離で人の群れに目をはしらせる。
ほんと、華やかだなぁ。
卓に盛られた目に鮮やかな南国の果実と、皿に有り余るご馳走。
灯火にかがやく金銀や玻璃の器と、香り高い異国の酒。
夜風にのびゆく、月琴と琵琶の音色。
あちらこちらから聞こえる、男女の談笑。
まるで絵物語のような、まばゆいばかりの世界。
すれ違う人は誰も彼も、みな華やいで、天上の宴に紛れ込んだみたい。
「…」
そんな中をさまよっていると、時間が経つにつれ、なんだか心細くなってきた。
雰囲気に目を輝かせてるうちは、まだ良かったの。
しばらくすると、居心地の悪さの方が大きくなって、足どりも重くなってきた。
だって、あきらかに場違いだもん。
そりゃそうよ。
どれだけ着飾っても、中はただの庶民。
耳元でシャランと鳴った髪飾りに、指先をのばす。
視界のはしっこで、囁くようにひかる、小さな宝玉たち。
淡く透ける、やわらかな光。キレイなものは何処にあっても、やっぱりキレイなのね。
「…これも、いい思い出ね」
ジメジメしてても、しょうがない。
華やかなものは、遠くから眺めるだけで十分だって、よく分かったから。
早く仕事終わらせて、ウチへ帰ろう。
「よしっ。もうひと息だっ」
気合を入れ直した私は、池が見渡せる宮殿の角にやって来た。
柱の影に潜んで、池に沿うよう作られた席に集う面々をジッと見る。
みんなそれぞれ杯を片手に、笑い、語り、歌い、その場を楽しんでいる。
その周りでも、ある人は立ち話をしながら、またある人は椅子に軽く腰掛けながら、酒を酌み交わしてる。
場に居合わせた者をひとりずつ、念入りに、目でなぞるように追っていく。
けど、昼間見た顔はどこにも見当たらない。
思い違い、かな。
もういちど、一人ひとりの顔を順を追って、食い入るように見つめる。
「…」
う〜ん。
やっぱり、何度見ても、探し求める姿は見つからない。
役人なら今日の宴席には絶対来るはず、って潁くんは言ってたけど。
これは彼のヨミ、外れたな。
…そう、だよねぇ。
よくよく思い返してみたら、そんな華やいだ雰囲気の人じゃなかった気がするもん。
これ、仕切り直し、だな―。
そう思ったら、張り詰めていた気持ちも、プツンと切れちゃった。
あーあ。
はやく穎くん、戻ってこないかなぁ。
ちょっと話してくるって、言ってたけど。今頃、どっかで飲んでるんだろうなぁ。
羨ましいわぁ。
そう呟いて、欄干に腕をのばし、ふうっと天を仰ぎみたその時。
「ねぇ、貴女も一緒にどう?」
声に振り向くと、少し先に翠色の官服の男性がふたり、さわやかな笑顔で手にした白瑠璃の杯を上げ、目で合図した。
「…大丈夫です。ありがとうございます」
ペコッと頭を下げて、急ぎ足でその場を立ち去る。
お酒を飲みたいのは、ヤマヤマだけど…。
残念だけど、迂闊に話しなんてしたら、ボロがでちゃう。
逃げるように庭におりて、池の淵にそってぐるっと半周を過ぎたあたりで、水辺にせり出した四阿の対岸に出た。
風に流れてくる音楽に顔を向けると、満開の花に囲まれた席で、座談に興じる人たちの姿が見えた。
白い花が灯籠の明かりを拾うおかけで、目を細めれば、ここからでも人の顔がよく見える。
「あっ…」
唇からポトンとこぼれ落ちた声。
視線の先の、よく知った顔に、心臓が止まる。
艶やかな女性たちに囲まれたその人は、ゆるやかに足を崩して座り、リラックスした表情で隣の美女に銀杯を傾けている。
「―」
胸を叩く心臓。速くなる鼓動。
心はこんなに叫んでるのに、どうしても視線を外せない。
「…」
どこから見ても、艷やめいた大人の世界。
いたたまれなくて、私はついに、柱に隠れるようして、冷たい木面に体重をあずけた。
「はぁ…」
ため息とともに、足元に落とした視界がじんわりとぼやけた。
見間違い、なんかじゃない。
あのお姿は、間違いなく、あのお方。諧さまだ。
若手の役人なら、みな来るはず―。潁くんの言ってた通りだ。
良家の跡取りで、有望株と呼び声高い諧さまも、もちろんそう。
当然、その中に入るべきお方だよ。
で、男女の出会いの場に、彼がいたらどうなると思う―?
分かってるけど、どうしてもガマン出来なくて。
振り返って、もう一度四阿を見た。
「―」
目の前の光景に、鼻の奥がツンとひきつり、思わず両手を握りしめた。
普段は見せることのない、桃色に上気した頬と、つややかな深い眼差し。
私が知らない世界で、私の知らない諧様が、楽しそうに笑ってる。
たったそれだけで、私の心臓は音を立てて暴れ出す。
咲き誇る花々に引けを取らない諧さまの姿は誰よりも優美で、この庭の中でも、際立って華やいでいる。
そんなの当然のことなのに、私の胸はキリキリとねじれて、ぎっと鈍い音を立てる。
私って、
なんて、ばかなんだろう―。
お腹の奥に渦巻く、泥ような感情が足元からどんどん流れ出していく。
浅ましい願いに、目頭がジンと熱くなる。
わかってるよ。
わかってたよ。
諧さまとは、住む世界が違うことなんて。
わかってるのに、胸が引きつるように痛い。
せっかくお化粧してもらったのに、涙で滲んだら、あとで絶対、潁くんに揶揄われる。
今は忘れよう。
考えるだけで、どうにかなりそうだから。
金糸の刺繍がまぶしい袖で、目元を押さえる。
大きく息を吸って、吐いて。
めをつむって、吐いて。
何回も深呼吸して、心臓を落ち着かせて。
気持ちをどうにか、まっすぐにして―。
でも、やっぱり。
見たくなかったよ―。
欄干に寄りかかり、空を見上げる。
灯篭が明るすぎて、ここからだと星さえ見えない。
遠すぎる空には、何も見つからない。
「もう、帰りたい…」
池から流れる風が、にじんだ涙をさっと吹き払った。
乾いた涙は跡形もなく、夜にまぎれて消えた。
まるで最初から、なにも無かったみたいに―。
「―月が、恋しいのですか?」
「?」
振り向くと、一人の男がこちらに笑顔を向けて、立っていた。
「
彼は靴を鳴らし、私の前までやって来た。
「…
耳に届いた自分の声が驚くほど沈んでいて、それが余計に堪える。
あきらかに落ち込んでる人じゃない。
こんなとこ、人に見られたくないのに。
だけど、そんなこと気にもしない彼は、口のはしに小さな笑みをのせると、突然私の肩に手を伸ばした。
「天女に憂い顔は似合いませんよ。ほら、こちらにお越しください」
「えっ⁈」
がっつりと肩を組まれて、私は半ば強引に、近くの部屋に連れ込まれた。
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