16.旧友

「小卿さまっ」


秘書省の石畳をスタスタと歩く潁くんのうしろを、小走りで追いかける。


「ねぇ、ちょっと、どこいくの?」

「太常寺。白爺のところ」

「なんで、いきなり…」

「今晩、東宮で花見の宴席がある。さすがにその格好では、地味すぎるから」

「ん?どういうこと?」

「ほら、急がないと時間がないぞ。女子の着替えは時間がかかるだろ?」

「え?着替えるの?私?」

「オレが着替えてどうする。晴れの席で着飾るのは、女子の特権だろう」

「私、行くの?宴席に?」

「あぁ」

「宮中の宴に、どうして私が?」


変わらず早足のままで、振り返りもせずに潁くんが言う。


「今宵は若手官僚が集まる席だ。まとまった人数を一気に確認できる、絶好の機会だ。顔は割れてるんだから、見つけ出して、その場でオレが問いただす」

「いやいや、相手が役人だっていう根拠はどっから?」

「宮女の職場恋愛は一般常識だからな。間違いないだろう」

「なにその常識」

「良家の娘が行儀見習いとして、宮廷に出仕するのはよくある話。宮中の宴席で顔見知りになって…、は一種の既定路線なんだ」

「へぇ」

「花を見るなんて建前で、実は出会いの場だってことは、往々にある。宮中の宴席は、それ目当ての人間も多いんだ」

「なるほどね」


妙に納得。

いつの世も、男女つどえば、そういう話になる。当然といえば当然ね。


「でも、私が行くの、変じゃない?」

「オレが大理寺の人間を連れて行っても、なんら不自然は無いさ。年頃の部下の顔見せは、コネクション作りの基本。そうやって、この世界は成り立ってる」

「ふぅん」

「それに、男さえ見つかれば、この件は一気に片が付く」

「どうして?」

「自白を得るには、こちらが優位に立つ必要があるだろう。宮廷人が一番恐れるのは、醜聞。そこさえ押さえたら、後はどうにでも出来る。用兵の道は、心を攻むるを上となし、だ」

「つまり、外堀から埋めていくと…」


さっき、この人は書庫で一刻もの間、私のする事を黙って見てた。

ただの気まぐれで、付き添ってたんじゃない。

私の様子から、瑶玉の逢引きを目撃したと推測して、その相手はおそらく役人だから、弱みを握るのは簡単、てところまで予測して、余裕かましてたと…。


「ちなみに、それ、いつ思いついたの?」

「そなたが後宮の出入りを知りたい、と言ってきた時」

「…」


どうしてあそこで、わかるのよ…。

洞察力なのか、思考力なのか。はたまた野生のカン?

機転の速さに驚くけど、ムダに悩んで、損した気分だわ。

こういうの、複雑な心境、って言うんだよね。

私は前をゆく大きな背中を見ながら、小さくため息をついた。




東宮は文字通り、皇太子の住まう宮殿を含む、宮城東側一帯のことを指す。

宮城のそれには及ばないが、四季折々の花が咲く庭園には、舟遊びが出来るほどの広い池があり、蓬莱山を模した岩山からは絶えず清水が流れ、疲れた宮廷人の目と心を癒やしている。


太常寺でお支度をしてもらった私は潁くんに連れられ、東宮の門をくぐった。


「ねぇ、これ、派手すぎない…?」


金糸で縁取られた襟と裾。ふんわり空気を含む肩掛けストールは縫い付けられた宝石が夕日を浴びて、キラキラと光っている。

こんもりと高く盛られた髪には満開の茉莉花ジャスミンの枝が挿され、翡翠と紅玉が揺れる金の簪が歩く度にサラサラと音を奏でた。


「ん?何が?」

「髪も衣も手が込んでて、なんか、気後れしちゃうよ」


もちろん私も女子だし、可愛いカッコにも、それなりに憧れはあるよ。

だけど普段は仕事着ばっかりで、簪も一本だけのごくごく地味な出で立ち。そんな人間にとっては、着飾るってこと自体、不慣れなモノなの。

だからどうしても、ソワソワしちゃうんだよね。


「別に悪くないと思うが」

「そっかなぁ…」


様子を見に来た白奎さまは、「あら可愛いじゃない」と手放しで褒めてくれたけどさ。

身の丈に合わない事をすると、ろくなこと無いし。

やっぱり、落ち着かないのよ。


「一応言っておくが、そなたは宮廷ここではまぎれもなく大理寺の人間だ。宮中の暗黙のルール上、オレたちのような立場の人間に、質素な衣はあり得ない。ただ、今回は捜索が本務だから、白爺には目立ち過ぎないようにと言ってあるが」

「いやいや、それでこの仕上がりって、白奎さまはどんだけ派手好きなの…」


やっぱり、住む世界が違うと、感覚も違うのか。

最近の流行、淡い色を重ねた身体の線を強調する薄手の絹の衣。風をはらんでヒラヒラと膨らむ裾。

可愛いけど、けどねぇ…。


「そういう穎くんは、官服なのね」

「東宮の宴席は宮廷行事と変わらないからな。官僚はみな官服だ」

「夜も仕事とは、お疲れ様です」

「ほんとにな」


心底めんどくさそうな口ぶり。

穎くんはもとから社交的じゃないし、本音では行きたくないのかも。

よほど外交的な人間じゃなければ、人と会うことが主な仕事の官僚って、苦行みたいなもの。

そこはちょっと、同情するわ。


「あと、今日の宴は上弦の月と春の花を愛でる趣旨だ。それぞれ生花を持ち寄ることになってる」

「それで、髪に花を挿したんだ…」

参加者のお約束ドレスコード、というやつだ」


さすが上流階級のみなさま。雅びな遊びをなさいます。

たしかに、すれ違う人を見ると、皆どこかしらに花を身に着けている。

穎くんでさえ、腰巻ベルトに茉莉花の枝を一本差している。

庭の花に引けを取らない数の花が、人々と共に東宮に吸い寄せられ、夕暮れの宴席に文字通り花を添える。

その優雅な光景は「これぞ宮廷文化」ってカンジで、場違いなはずの私の心も、自然と浮き立ってくる。

宮殿の横を抜けて庭に出ると、既に宴は始まっていて、笑い声があちこちから聞こえてきた。

池の周りにいくつもの席が用意され、集まった人々が歓談に花を咲かせていた。


「…あそこにいるのが、礼部文部省。あっちは衛尉寺皇宮警察兵部国防省


少し離れた場所から辺りを見回して、穎くんがしゃくの影から、こっそり耳打ちする。


「…みんな職場ごとに、固まってるの?」

「最初だけな。酒が回ってきたら、各々自由に動き始める」

「あ。穎くん、あの人。この前の―」


部屋に来てた、潁くんの同期という人。

数人に囲まれ、自信満々にその場を仕切ってるのが遠くから見てもわかる。


「あぁ、袁公か。相変わらず調子に乗ってるな」

「なんか、若手の割に偉そうね。潁くんの同期って、みんなそうなの?」

「失礼な。オレとあいつがたまたま出世しただけだ。一緒というのが気に食わないが」

「仲悪いんだね。知ってたけど」

「あいつと仲良くできる方が狂ってる」

「ひどい言われようね。でも、ずっと肩を並べて仕事してたって、袁さま言ってたよ?」

「あぁ。運の悪いことに、国士学官僚育成学校から戸部財務省、門下省と職場がずっと隣同士っていうのが、五品になるまで十年も続いたからな」

「十年か。長いね。そんなに一緒にいるなら、もう親戚みたいなものね」

「あいつと親戚?冗談じゃない。縁を断ち切るわ、今すぐに」

「そんな嫌がられるなんて、かわいそうな袁さま」


あまりの毛嫌いっぷりに、笑っちゃったよ。

腐れ縁、ってやつだよね。しかも、相手は全然気にしてないのが、余計に可笑しいよ。

クスクス笑ってると、潁くんが無言でこっちを睨んできた。

ほんと、幼いよね、こういうところ。

まだまだお子サマ。白奎さまの言うとおりよ。

だから袁さまも、十年経っても未だに絡みに来るんだろうね。かわいいものよ。


「ん?待って…。十年て、潁くんはいくつの時、五品になったの?」

「24の時だが」


え。

24って、24才ってことだよね?


「待って。潁くん、今いくつなの?」

「26だが?」

「嘘でしょっ⁉」


本年度一番の驚きに、思わず声が裏返っちゃった。

26才って、あの諧様と同い年だよ?

そんなハズないでしょう。

目が点になった私を見て、穎くんはいぶかしげな顔をした。


「大の男がよわいなんてものに、わざわざ嘘つく必要は無いだろう」

「そうだけど…」


たしかに、結婚適齢期を世間に言われがちな女子と違って、男子は特に気にすることもないでしょうけど。

でもさ、自分より十も上なんて、この言動から誰が想像できる?

普段の行いは、まんま不機嫌な子供じゃない。


「で、いくつだと思ってたんだ?」

「二十歳そこそこだと…」

「だから見る目がないって、言ってるだろうに」

「むぅぅ…」


そうは言うけどぉ。

反抗期だって、白奎さま言ってたしー。

26才で反抗期って、なに?それはもはや、反抗期じゃないよ?

単にひねくれてるだけの、手のかかる面倒な人じゃない。


「でも、一応、大人なんだね…」

「疑いの余地もなく、立派な大人ですが」


いや、余地があり過ぎて、気づかなかったんだって。

とは思いつつ、流石にそんな年上の人に、くん呼びは失礼過ぎよね…。


「…ごめんなさい。『穎くん』なんて、馴れ馴れしく呼んで」

「何を今さら」

「だって、そんな年上だなんて、思ってもみなかったし…」

「それは嫌味か?」

「うーん。悪意のない悪口かも」

「あん?」

「ごめん。悪気はないの」

「侮辱っていうんだ、そういうのは。まぁ、いい。色々と誤解があったのは、不可抗力だ」

「そうよね。あんなご乱行、普通の大人はしないもんね」

「うるさいわ」


ふん、と鼻を鳴らして、そっぽを向く穎くん。

その横顔に、まだまだ少年らしさが残ってるのを誰か、彼に教えてあげて。


「―まぁ、今までのことは、気にするな」


顔をそらしたまま、穎くんがボソッとつぶやいた。

ふふふ。

きっと穎くんはそう言ってくれるって、思ってたの。

でも、本人には内緒。

だって、言ったらまた、不貞腐れちゃうのが目に見えてるから。

でも、なんだかんだ言って、根はいいヤツなんだよね。


「ありがとうございます。小卿さま」

「…この期に及んで、敬語は気持ち悪いだろう。今まで通りでいい」

「穎くん、でいいの?」

「そなたが知ってるのは、そう呼ばれた男だろう」

「うん」

「小卿、は人前だけでいい」

「わかった。お言葉に甘えて、そうします」

「ん」


振り向きもせずに言う、ぶっきらぼうな態度にも、だいぶ慣れてきた。

もう少し愛想よく、相手に合わせて言葉を選べたら、誤解されることも減るのにって思うけど。

残念ながら、この人は気の利いた言葉なんて、持ちあわせてないの。

でも、この数週間で私、気づいたの。

言葉よりも態度が、彼の本質なんだって。


「お。誰かと思えは、薛小卿じゃないか。これは珍しい―。貴公が女性をお連れとは、どういう風の吹き回しか」


突然、横から飛んできた陽気な声。

ふたり同時に顔を向けると、肩で風を切ってこちらに歩いてくる男と目があった。


「…あぁ。けい公か」

「そう嫌そうな顔するな。で、こちらは?そなたに似合わぬ、可愛らしい方だな」


近づいてきた来た人は私を上から下まで眺めると、潁くんに向かってフフンと鼻を鳴らした。

彼が着ている青緑の官服は、六品か七品の衣。穎くんより官位は下なのにタメ口なところを見ると、仲良しなんだろう。


「新たに雇った直属の部下の陸だ。社会勉強にと、預かってる」

「ごきげんよう、珪さま」


潁くんに紹介され、私はペコリと頭を下げた。


「陸殿か。我は小卿の前の職場の同僚の、珪逹けいたつだ。よろしく頼む」


差し伸べられた手に両手で答えると、彼はぎゅっと握ってブンブンと上下させた。

子供がするような動作に顔を上げると、ニッコリと人懐っこい笑顔が返ってきた。


「しかし陸殿も、この男の元だと、さぞ苦労も多かろう?」

「はい。とっても」


私の答えに彼は目を点にすると、一瞬の間のあと、「あっはっはっ」と声をあげて笑い出した。


「―いやぁ、正直でいいなぁ。面白いお嬢さんだ。いい人材を採用したな、小卿は」

「お前に言われる筋合いはない」

「今日も今日とて愛想の無い奴だなぁ。まぁ、それがお前の平常運転だけどさ。旧知の仲なのに、この扱い。陸殿、我に同情するだろう?」

「どこがだ。馴れ馴れしいのも大概にしろ」

「大丈夫、気にしないよ、我は。党派を違えても、昔馴染みに変わりない」

「…声が大きい」

「隠すべき事など、そなたと違って我にはこれっぽっちもないからな。偉くなって余計に苦労するお前が、気の毒でならんわ」

「もう黙ってろ、酔っぱらいが」


肩を組んでバシバシ叩く彼を、シッシッと冷たくあしらう潁くん。

ハタから見たら、いいコンビだけど。


「なぁ。こんな花を持ったら、気が気でないだろう?」

「なにを言うか」

「不憫だよなぁ、小卿は。痛みに弱いのに、よくやるわ。それでなくとも四賢臣たちの牽制に振り回されて、大変なのに」

「…余計な一言は、身を亡ぼすぞ」

「ご忠告、有り難くいただくわ」


…なんか、結構きわどい会話してるわぁ。

ふたりの会話を黙って聞いていると、珪さまが唐突に私の視界に顔を突っ込んできた。


「陸殿も大変だろうけど、仲良くしてやってね」

「あ、はい…」

「なにを偉そうに」

「旧友の有り難さに、お前もそろそろ気づけ。じゃあな」


そう言うと珪さまはヒラヒラと手を振りながら、また来た方へと戻って行った。

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