15.動揺
揚州の献上品と同等、というお茶は、確かにとてもいい香り。
ひと口飲んだだけで、カラカラに渇いた喉が一気に新緑が芽吹いたように生き返った。
一食分の食費と同じ金額だから、当然なのかもしれないけど。
「…落ち着いたか?」
「まだ」
フラフラと覚束ない足取りで大理寺に戻って来て、穎くんの顔を見るなり、「何か飲ませて」と言い放ったのは、つい半刻前の話。
さすがの潁くんも驚いたらしい、無言でお茶を用意してくれた。
熱めのお茶を一気飲みして、ようやく一息つけたんだけど、衝撃が大きすぎて、正直、まだ動悸が収まらない。
「…真っ青な顔して、帰ってきて―。何があったのか、そろそろ説明しろ」
「短気なところ悪いけど、ちょっと待ってて」
「わかってるなら、待たせるな」
「わかった、黙ってて」
噛みついてくる潁くんを手で制して、腕を組んでジッと考える。
私は今、悩んでる。
ひとつは、知り合いの宮女が職場を抜け出して、逢引きしてる現場を目撃しちゃった、ってこと。
これをなんて、説明すればいいのか。
だって、恥ずかしいじゃない。逢引き、なんて、乙女の口から簡単に言えないよ。
そして、もうひとつ。
報告すべき上司が、官吏の不正を弾劾(官職にある人を処罰すること)する役を担っている、という事実。
考えてみて。
お仕えする妃が重篤な状態なのに、それを放って外出して、男と会ってたなんて、それだけで重大な背信行為じゃない。
臣下としては、一発アウトよ。
逢引きを目撃したショックが大きくて、頭回ってなかったから、すぐに言わなきゃって急いだんだけど…。
大理寺に帰ってきて、彼の顔を見て、はっと気づいちゃったの。
彼ならきっと、知らせた途端に何かを察しちゃう。しかも、曲がりなりにも大理寺小卿。執行権を振りかざして、瑶玉を即刻捕縛するようなことになったら―。
考えすぎ、なんかじゃない。
だってこの人、なんでか仕事は異常に出来る男なんだもん。
「…」
今はまだ、彼に知られちゃダメなのよ。
ちゃんとした証拠も無いのに、たった一人の侍女の瑶玉にあらぬ疑いをかけたくないの。
いや、本当は私だって、疑ってるよ?
でも、根拠のない事は口にしてはならない。
だから、今じゃない。
翠英さまの不調の原因が分からない以上、病状に悪影響を与えるものは極力避けたい。
だって、瑶玉が捕縛されたりしたら、翠英さまが失意の底に落ちてしまう―。
疑うよりも、証拠が先。
今すぐ、動かなきゃ。
「潁くんっ!」
「なんだ」
「後宮の出入りの記録が見たいの。今すぐに」
「…わかった。ついてこい」
立ち上がった彼の後を追って、私も部屋を出た。
◇
秘書省。
この国には天子にまつわる全ての事を文字に起こし、記録する習慣がある。
建国以来の膨大な記録の保管・管理を司るのが、この秘書省。
秘された書、には宮城内部の出来事を記した書物も含まれる。
これらは当然ながら、一般の官吏は閲覧不可。書庫も一部の関係者と、一定以上の官位の者しか立ち入りを許されない。書庫には常に武官が配備され、24時間体制で厳重警備される皇城内でも珍しい部門なのだ。
大理寺から東に歩いて、十分ほど。
『秘書省』と書かれた門を抜け、潁くんはスタスタと慣れた足取りで、そのまま奥へと向かった。
いくつも並ぶ建物のひとつにやって来て、潁くんが門衛に身分証代わりの腰ひもを見せると、鍵付きの扉が開かれた。
「陸、ついて参れ」
「はい」
彼の言葉にうなづいて、門衛から手燭を受け取り、後に続く。
虫よけの香が立ち込める薄暗い建物の中には、私の1.5倍の高さの書架が見渡す限り並んでいた。
外の音も聞こえない、しんと静まり返った廊下をツカツカとふたつの足音が奥へと進む。
「ここだな。…灯をもらうぞ」
潁くんはそう言うと、私の手燭を取り、廊下に並んだ燭台に灯を移した。
辺りがパアッと明るくなると、手蜀を床に置いて、書架の前に立った。
「直近は…、これか。ちょうど先々週の分まである」
彼は棚から麻紐でくくられた、紙の束をいくつか床におろした。
私はそれを廊下に運んで、紐をほどき、順番に広げて、一枚一枚に目を通していく。
日付、時刻、名前。
瑶玉、の文字を見つけては、書き写す。
書いてるうちに気がついた。
直近の一か月は五日に一回、さかのぼっていくと、十日に1回と、だんだん回数が減っていた。
「…」
潁くんは床に座ったまま、無言で私のすることを眺めている。
何も聞いてこない彼は不気味だけど、今は構ってられない。
手を動かすのが先。
麻紐をほどいては結んでを繰り返し、二年前まで掘り起こして、気になった日付を片っ端から書き写していった。
「終わった…」
額ににじむ汗を拭き、書き写した反故紙を古い方から読み直していく。
やっぱり、ある時期を境に、外出が増えてる…。
上元節。
今から三か月前。
不吉な予言を告げるような、この日付。
瑶玉がこの日以降、頻繁に外出し、時には外泊までしている。
あぁ…。
やっぱり、私が見たのは、逢引きだったんだ―。
どうしよう…。
揃い過ぎた証拠に、鼓動が大きく跳ねて、胸が痛い。
「どうした」
「ふえっ⁈」
潁くんの声に、床から浮き上がるくらい驚いて、つい変な声を出しちゃった。
悟られないように平静を顔に広げてから、ゆっくり振り向くと、思いのほか鋭い視線とぶつかった。
「…」
何も言わない、揺らめく炎に照らされ金色に光る眼差し。
胸の奥まで射貫かれたようで、私は思わず身震いした。
蛇に睨まれた蛙って、こんな気持ちなのね。
悲しいかな、今、ものすごく実感してる。
「分かったんだな」
「いや、まだ…」
「宮女が逢引きでもしてたんだろう」
「!?」
図星過ぎて、目が飛び出そうになったわ。
何も言えず硬直する私に、潁くんがニヤリと口元をゆがめた。
「簡単にカマにかかるなぁ、そなたは」
「え…」
「その証拠を探してたんだろう」
「…」
さも当然と言いたげな、余裕をかました態度に、私はすっかり毒気を抜かれてしまった。
もう、何も言えないよ。
なんでこう、あっさりバレるんだろう。
「で、相手の顔は見たか?」
「…見たよ。はっきりと」
「探しに行くぞ」
「ほ?」
「相手の男」
「え」
「共犯を野に放っておく理由はない」
「…」
全てを察した彼はすでに、私とは違う、もっと先を見ていた。
****************:*::**
こんにちは。こんばんは。
作者です。
ご覧いただき、ありがとうございます✨
わちゃわちゃした、デコボコ年の差カップルものを読みたくて、自家発電に手を出してしまった人間です。
ボーッとしてるときに見えた、まぼろしみたいな人間の横顔を元に登場人物を決め、不意に見えた光景をストーリーにしてます。
この「謎解き〜」は最終回の風景(清花と穎くんの会話場面)がふっと見えて、この前の光景も見たいなと思って、書き始めました。
書いてる時って、不思議と勝手に話が進むんですよ。
自分で意識しなくても、展開していくというか。
これがプロの書き手さんとの違い、かもしれないですが。
いいんです。
だって、書きたいんだから。
あの二人の馴れ初めを、知りたいんだから。
これ、ただの自己満足ですね。
私は寝起きによく夢を見るんですが、何故か登場人物が、実際には会ったことない人ばっかなんですよね。
無意識の中にある記憶が、この話を作ってるのかもしれません。
最近、仕事がパツパツで中々書く時間が取れなくて、ストレスと共にネタが溜まってきております。
読んでくださる方に、早く結論をお見せしたいので、細々ですが書き続けますので、よかったらまたお越しくださいませ。
ご愛顧に感謝を込めて。
金曜の深夜、寝る前に。
こしあんでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます