14.嫌疑
しばらくして、廊下に響く靴音と共に、穎くんが姿を現した。
「あら、おかえりなさい」
「…何事だ?これは―」
「綺麗になったでしょう。片付いてない部屋だと、仕事も考えごともはかどらないから」
小一時間くらい、かな。黙々と書類の山を分別して、整理して、それなりに整理できたと思う。
決裁前、保留、疑義あり、差し戻し―。それぞれ分けて、古い物から新しいもの、と順番に並べて置いたら、机の上もスッキリ。
「これ、返すものよね?渡してくるわ」
「あ、あぁ…」
拍子抜けした顔の潁くんを横目に、書簡を入れた箱を抱えて、部屋を出た。
庭を右手に廊下を渡り、人で賑わう本殿に入る。
昨日、書類を届けに来てた人を探して、入り口できょろきょろしてると、私の存在に気づいたらしい。奥に座っていた人がすくっと立ち上がり、小走りにやって来て、声をかけてくれた。
「陸殿だね。何かご用かい?」
「すみません。押印済みの書簡、お持ちしました。どなたにお渡ししたらよいかと」
「見せてくれ」
「はい」
箱を渡すと、彼はその場に腰を下ろし、一つずつ広げて確認しはじめた。
整理した時、小卿の署名と押印があるかは全部見たから、大丈夫なはず。
「ぜんぶ決裁済みだ…。ありがとう。助かったよ」
「いいえ。では、これで」
「あ、陸殿」
立ち上がった私の肩に、彼の手が触れた。
「そなたが来て、もう半月になるが、大丈夫だろうか?」
そういえば、宮女は三日で辞めるって言われてたね。
彼の背後で黙々と仕事している人たちも、こちらをどことなく気にしてる感がある。
みんな気になってたんだろうね。
「えぇ。口うるさいのにも、ずいぶん慣れました」
「そうか。若いのに根性あるね」
「こう見えて、口喧嘩は強い方でして」
ははっと笑って言うと、彼は一瞬目を見開いてから、ハハハと笑った。
「羨ましい。私なんて口答えさえ出来ないよ」
「聞き流す方が賢いですよね。私はつい、言い返しちゃうんですけど」
「あの方の理詰めに対抗するなんて、大したもんだよ」
「負けず嫌いは負けませんから。あ、小卿にお渡しするものあれば、承りますよ」
「あっ!これ、頼めるか?」
彼の後ろから飛んできた声に、笑顔で答える。
「もちろんです」
「急ぎで判をお願いしたい。この五件分だ」
「承知しました」
渡された巻子たちを脇に抱え、机の並ぶ方へ振り返り、ニコッと愛想笑いをする。
「では、これで」
「すまんな。助かるよ」
「いいえ。失礼します」
一礼して、部屋に出る。
廊下を通り、新緑の鮮やかな庭を眺めながら、離れの殿舎に戻る。
一応、部屋に入る前に立ち止まって、コンコンと戸を叩く。
「失礼します~」
返事がないのでそのまま入ると、部屋の主は長椅子に、折本を片手に寝転んでいた。
ひじ掛けに頭をもたれ、足を伸ばした、なんともゆる〜い姿勢で、読書中らしい。
「急ぎの押印ですって。置いておきますよ」
「んぁ」
潁くんはちらっとこちらを見て気の無い返事をすると、また手元に視線を戻した。
どうやらお取込み中らしい。
話しかけるのも悪いし、手持ち無沙汰もなんだし。思い立って、静かにお茶を淹れて、彼に差し出した。
「潁くんも飲む?」
「あぁ。貰おう―」
彼はパタンと折本をたたむと、長椅子から足を下ろし、座り直した。
私も長椅子の横の椅子に腰かけて、ぬるめに入れた茶を口に運んだ。
熱すぎないお湯で淹れると、茶葉の甘みが出て好きなんだ。
「…もっと熱い方がよかった?」
「淹れてもらって、文句は言わん」
「そっか」
彼はすぐに一杯目を飲み干すと、私に茶碗を出した。
「もう一杯頼む。この温度で」
「はい」
こぽこぽとゆるやかな音と共に注がれる新緑色の水で器を満たし、茶托にのせて彼に差し出す。
「どうぞ」
「どうも」
そう言って彼が右手を伸ばすと、茶托を両手で持つ私の指に、ごつごつした手が重なった。
「ねぇ、潁くん。剣術やってるの?」
「ん?」
「手のひらに、おっきな握りマメがある」
ちょっと触れただけで、剣術やってる人ってすぐにわかるんだ。
この国最強の一族と呼ばれる朱家の人もそう。老若男女、一様に手のひらにマメがあるのよ。
「あぁ。『自分の身くらい自分で守れないと』と、幼少期に白爺に叩き込まれてから、習慣になってて」
「え。白奎さま?」
「ああ見えて爺は、剛腕だから」
「あんな天女みたいな見た目なのに、剣を?」
「…そうやってまた、すぐに騙される…」
「騙されない方が珍しいでしょっ!」
呆れたと言いた気な顔をする彼に、口をとがらせ反論する。
「誰だって白奎さまを見て、武術の心得のある人だなんて思わないでしょ」
「考えてないだけだろう。立ち姿を思い出しみろ」
「…優雅、だよね。ほんと」
「一つ一つの動きに、隙が無いだろう」
「ん…。確かに」
優雅な仕草(と、お顔)に見惚れちゃってたけど、思い返せば、彼の動きに無駄なものは何一つもない。
お手本のような完璧な立ち居振る舞い。それって、隙が無いってことなんだ。
「あの爺は狡猾だからな。澄まし顔して欺いてるのさ、世間を」
「そ、そっか…」
狡猾。なるほど。
恐ろしく賢い人だとは思ってたけど、腕っぷしの強さを隠し持っていたとなると、本当に油断ならない人かもしれない。
天女の姿をした、猛将、ってとこか。
そんな人が普通に仕事してるって、宮廷ってどんだけなのよ。
まったく、恐ろしい場所に来ちゃったよ―。
はぁっ、と大きなため息と共に、肩を落とす。
こういう時、ぬるくなったお茶が心に沁みるわ…。
うなだれていたら、潁くんが空になった茶碗に茶を注いでくれた。
「…で、今日はどうだった?」
「あ、あぁ。初めて話したよ、翠英さまと」
茶をひとくち含んでから答えると、彼は自分の茶碗にも茶を淹れつつ、聞いてくる。
「何か掴めたか?」
「ううん、何も。弱気な事ばかりおっしゃるから、お気をしっかりって、つい言っちゃったわ」
「そなたらしいな」
潁くんが茶器を片手に、ははっと笑った。
「肺が悪いって言ってたけど、そんな様子は無かったんだよね…。そうだ」
ふと思い立って、資料が入った箱を取り出し、入内前の奏上が記されていた巻子を探す。
確かそこに、経歴が書いてあったはず。
「熱病はいつの話なんだろ…」
両親の名前、生まれた日、育った環境、資質に特技…。妃として適格であることを宣言する文章には、これでもかという美辞麗句が踊っている。
「病の事は書いてないのよね…」
「嫁入りの手紙に、不利になる事はあえて書かないだろう」
「でも、お妃になる方の審査ってあるじゃない?身体検査も含めて」
後宮は特別。将来の天子の御子を宿す身体かどうか、事前検診があるはず。
また別の巻子を広げて探したけど、診断の欄には『適格』としか記載がない。
「熱病だったら肺にかすれた音が残るの。診察で見落とすかな…」
う~んと、腕を組んで考え込む。
こればっかりは、推測したところで資料だけじゃ何もわからない。
私の考えを察したのか、潁くんが口を開いた。
「今、白爺の方で、彼女らの実家についても調べてる。来週には結果が届くはずだ」
「実家…」
「家系の遺伝もあるだろう。少し時間がかかってるが、有益な情報が得られるはず」
「そうね。過去の事は、調べないとわからないもんね…」
ぐだぐだ考えてても、どうにもならない事もある。
視点を変えて、なんか新しい情報を探さないと。
「一度、頭を切り替えなくちゃね。私、聞き込みにでも行こうかな」
「…確か、蔡氏の故郷は茶の名産地だったな。東市でも行ったらどうだ?地元の人間が店を出してるかもしれんぞ」
「そうね。生家の評判も聞けるかもしれないね」
「せっかくだから、部屋用にひとつ買ってこい。ほら」
「わっ」
ぽんっと投げられた銭入れを、慌てて両手でつかむ。ずっしり重い。
「え、ちょっと多くない?」
「宮廷は見栄の張り合いだ。一番よい品を買うにはそれくらいだろう。珍しい茶菓子があれば、一緒に買ってくればいい」
「ありがと…。行ってくるわ」
お茶をぐいっと飲み干して、私は立ち上がった。
◇
都には東市と西市の、二つの官営市場がある。
宮中御用達の高級品を扱う東市と、経済の中心であり、「この世で買える物は全てある」といわれる西市。
普段の買い物先と言えば西市で、庶民は東市なんて滅多に行かない所。
土地勘も無いから、ふらふらと見学がてら、そぞろ歩きしていると、嗜好品をひさぐ問屋が軒を並べる一画に出た。
花や薬の問屋が並ぶ先に、『茶』の文字の白旗が掲げられてる。
よかった。無事到着しましたよ。
近づくにつれ、茶葉独特の青い香りが、風とともに人の間をすり抜けていく。
この青々としたさわやかな匂い、好きなんだよね。
見回すと、鮮やかな刺繍で『雲州名産』や『特上品』なんて書かれた垂れ幕が、各々の店先に揺れている。
茶葉の産地って多いのね。どこの店にも違う土地の名前が書いてある。
「あれ、そういえば翠英さまの実家、どこだっけ…」
しまった。
聞き慣れない地名だったから、ど忘れしちゃったよ…。
うわぁ…。やっちゃった。
聞き直しでもしたら、これでもかってくらい馬鹿にされるんだろうなぁ。
一瞬で、あの、人を見下した嫌見たらしい顔が浮かんじゃった。
戻って聞くなんて、絶対にイヤ。ないない。あり得ない。
こういう時は、足で探すしかないね。
開き直って、近くの店からしらみつぶしに、暖簾をくぐった。
そんな感じで、何軒目かをはしごし終え、店を出たところで、私の足がピタッと止まった。
「あれ…」
視線の先に、今朝見たばかりの顔が歩いている。
って、瑶玉じゃない―?
髪型も服装も違うけど、たぶん本人。
そうか、彼女も地元のお茶を買いに来たんだ!
これは天の助け、彼女に聞けばいいじゃないの!
きっと、日頃の行いの良さのおかげよね。ウキウキで人をかき分け、彼女に近づく。
「瑶玉さ―」
声を賭けようとしたその瞬間、彼女の姿がフッと人混みに消えた。
「え」
ちょっと待って!どこ行った?
心の中で叫んでも、聞こえるわけない。慌てて彼女が消えた方に走って、辺りを見回すと、その道の先で、ちいさな背中が小路を曲がるのが見えた。
なんでそんなに早いのよ。
急いで後を追うと、瑶玉はそのまま市を抜けて、大通りを越えた先の通りに入っていった。
「え…。なんでここに…?」
通りの前まで来て、私は足を止めた。
ここは飲食店が軒を連ねる、都城イチの夜の歓楽街。
他国からやって来る旅人が、一度は遊んでみたいと願う、色恋の街でもある。
若い女の子が、一人で来るようなところじゃない。
嫌な予感がする―。
物陰に身をひそめがら、彼女の後を追いかける。
派手な店構えの飯店が建ち並ぶ通りを、小走りで進んでいく瑶玉。
夜は客引きや店を探す人であふれる
瑶玉は脇目も振らず、タカタカと一心に道をゆく。
人気の無い道の角を曲がって、水路沿いに柳が並ぶ細道に入る。すると、その奥にひとりの男が佇んでいた。瑶玉は彼を見つけると、一目散に駆け寄った。
男は瑶玉に気づくと手を振り、やって来た彼女の身体を労わるような手ぶりで背中に手をまわし、二人並んで、また街路を歩きはじめた。
「嘘でしょ…」
見てはいけないものを、見てしまった。
気まずい。まず過ぎる。
だって、これって、いわゆる逢引きじゃない―っ!
二人の距離感は、完全に恋人同士のもの。
こんな遠くからでも、親し気な雰囲気が充分に伝わってくる。
ふたりはしばらく歩くと、大きな飯店の中に肩を寄せ合い、消えていった。
どうしよう―。
当たってしまった予感に、私は道端で茫然と立ち尽くした。
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