13.対面
初めてのご対面は、案外早くやって来た。
いつもどおり大理寺に出仕して、潁くんにちょっとだけ予定を説明してから、後宮に向かう。
花の回廊を渡り、翠英さまの部屋の前まで行くと、瑶玉が息せき切って飛び出してきた。
「清花さま、ひ、姫さまがお目覚めです…っ」
「ほんとっ!!」
部屋に駆け込み、幕を払って寝所に入ると、半身を起こしてぼんやりと天井を眺める人の姿があった。その人は私に気づくと、ふっと頬を緩めた。
「…清花さま、ですね」
「―はい」
「瑶玉から聞きました。わたくしを、看て下さったと」
紡ぐ言葉はゆっくりで、やっぱりちょっとだけ、かすれてる。でも、思ったより芯の通った声で、ほっとしたのも事実。
「ご気分は?」
「なんとも、たよりないものです…。瑶玉にも、辛い思いをさせて…」
幕の外から心配そうに覗く彼女に視線をやると、翠英さまは苦しそうに眉を寄せて、まぶたをそっと閉じた。震える目尻からこぼれた一筋の涙が、頬につたい落ちた。
「どうか、気に病まないで下さいませ。これから良くなるように、努めましょう」
「えぇ…」
「脈を、お借りしますね」
細い手首に指先を添えて、波打つ紅河にゆっくりと潜る。
全身をくまなく巡り、身体の声に耳を傾ける。
「…」
今日もやっぱり、目立った反応はない。ただ、綿から水がこぼれるように、心臓から伝わる熱は全身に届くことなく、手足の先は冷えていた。
「まずは薬粥を、召し上がってください」
こういう時は、身体を温めるのが一番。用意してもらった粥に、持参した生薬を混ぜる。
瑶玉が背中を支えて、粥を口元に運んで食べさせる。
半分ほど食べたところで、翠英さまが首をふると、瑶玉は素直に
寝起きで胃が受け付けないみたい。
もう少し食べて欲しかったけど。しょうがないね。
「そうだ。お口直しに甘いお茶は、いかがです?」
薬箱に入れておいた瓶を取り出して、翠英さまにお見せする。
とろとろの密色の液体に花びらが閉じ込められた瓶は、ふたを開けただけで、芳香が辺りに広がった。
「味気ないものばかりでは、気分も乗りませんから。瑶玉さま、茶器をお借り出来ます?」
「どうぞ、こちらを」
「お借りしますね」
枸杞や甘草を樹蜜に漬け込んだ汁を匙ですくって器に入れ、湯で溶かしたものを人肌に冷ます。
試しに匙ですくって、一口飲んでみる。自分で飲む時より、少し濃い目。
「…うん。これくらいかな。どうぞ、翠英さま」
さわやかな朝の庭の香りを詰め込んだ小さな茶碗を、彼女に差し出す。
それを両手で受け取ると、翠英さまは疑いもなくコクッと飲んだ。
「お口に合いますか?」
「とても、美味しゅうございます…」
「よろしゅうこざいました。甘い物は女子の必需品。お好きな時に、お飲み下さい。薬ではないのですが、喉に良いものです。瑶玉さまも、よければ」
幕の外に立っていた彼女にも、同じように作った茶を渡す。
瑶玉はおずおずと受け取ると、両手で持ちあげて、静かに口に含んだ。
「美味しい…」
「よかった。明日も、出来たらお二人の時に、ご一緒にお召し上がり下さい。誰かと飲むお茶は、より美味しく感じるものですから」
「はい。そういたします」
頬を上気させて言う瑶玉に、ニッコリと営業スマイルを作りつつ、腹の内でほくそ笑む。
飲んでくれれば、こっちのもの。
私だって、手をこまねいてるだけじゃないの。ここ数日、家でひとり夜中まで試行錯誤したんだから。
私がいない時にも飲んでほしくて、あれこれ工夫しましたよ。
期待通りの反応で、ひと安心よ。
さて、場の空気もほぐれてきたし、そろそろ本題に映りましょうか。
「―翠英さま。胃も落ち着いたところですこし、お話しできますか?」
「はい…」
話を切り出すと、翠英さまのお顔がにわかに曇った。
警戒心、か。心の中で苦笑いしつつも、努めて穏やかに、言葉を選んで聞いていく。
「お身体の不調に、お心当たりはありますか?」
「いいえ…」
「では、一ヶ月ほど前に、周りで変わったことなどありましたか?」
「いえ…。元々、ふさぎ込むことも多くて、あまり後宮の方々ともお顔合わせの機会もなくて…。このような有り様で、お役目を果たせず、申し訳なくて…」
そう言って、袖で目元を押さえる翠英さま。
なんだかなぁ。
途端にか弱い女子に戻ってしまって、聞きづらい雰囲気になっちゃた。
だからといって、このままでは帰れないのよ。
「塞ぎ込まれてはなりません、お気持ちを強くお持ちになって。人間誰しも落ち込むことだってあります。ご自分を責めては駄目です」
「違うんです、清花さま…」
切なげな表情で、私を見上げる翠英さま。そのお顔に、聞いて欲しいと書いてある。
こういう時は、相手が話し出すまでだまって待つのがいい、と父上から習った。
「なにが、でしょう?」
つとめて穏やかに、ゆっくり聞き返す。すると彼女は一度大きく胸元を膨らませてから、小さな口を開いた。
「…実は、わたくし、幼い頃に熱病で肺を痛めていて…。それゆえ、十分に走れぬ身体でございます…。元から身に余るお話しだったのです。もういっそ、この庭の葉の上の露の様に、はかなく消えてしまいたい」
「お気をしっかり持って」
骨ばった手をとり、ぎゅっと握る。痩せてしまったせいで、節くれだった指が余計に痛々しい。
「翠英さまは、まぎれもなく花帝のお妃様。
「…お優しいのですね、清花さまは…」
目元に寄せた袖元から、うるんだ瞳をのぞかせる。
否定も肯定もせずに軽く頷くと、翠英さまの深い茶色の目が弓なりにしなった。
「窓を開けて、花々を眺めてください。それだけでも、気晴らしになりますから―。では、これにて私は失礼いたします。二日後にまた、参ります」
見送ろうとする瑶玉を押しとどめて、私は部屋を後にした。
◇
大理寺に戻ると、部屋に潁くんの姿はなかった。
ちょっと話したておきかったのに。会議かな。
まぁ、いいわ。お茶でも飲んで、ひと休みしよう。
火鉢からお湯を降ろして、いちおう二人分のお茶を淹れて、ひとりで飲む。
「ほんと、原因は何だろう…」
茶器をゆらしながら、無くならない違和感の正体を考える。
初めて見た翠英さまの、茶色の瞳。―あれは気を病んだ人の目じゃない。
弱音を口にするけど、私を見つめる瞳には気丈ささえあった。
言うほど悩んではいない。それが私の見立て。
となると、やっぱり身体の不調なのか。それとも―。
「カギが見つからないと、前には進めないのよ…」
手がかりは、何処かにあるはず。
だって、すべての事象には理由があるはずだもの。
見えないのは、見ようとしてないから。
見落としたモノは、何処に隠れているのか。
事実がゴチャゴチャ散らばって、思考を邪魔してる。まるで、穎くんの机の上みたいに。
「…って、この人、整理整頓って言葉を知らないのかな」
ふと目に入った、彼の机。無造作にモノが積み上げられた机は、どうして雪崩が起きないのか不思議なくらい。
「まぁ、不器用な人だってことは、分かるけどね」
ほんと、白奎さまはなんで、こんな手のかかる面倒くさい人を、わざわざ選んだの?今更だけど、理解に苦しむわ。
ぶっきらぼうで、不愛想で、口が悪くて。
何かにつけ、人を小馬鹿にして。
仕事は出来るみたいだけど、いかんせん人に対する態度がね。よろしくないのよ。
ま、いつか見返してやりますけど。
「それにしても、すごい量だわ…」
机の前まで来て、絶妙なバランスを保つ巻子の山から、一本を手に取る。
彼の主な仕事は、重大事件の判決を裁量することらしい。
そういえば、前任者は何百の未決案件を残して去って(それもどうなのって思うけどさ)、潁くんが半年で全部処理したって、録事の人が言っていた。
毎日大量に運ばれてくる書簡。これを来る日も来る日も、それも相当量を精査するのって、簡単ではないハズ。
可愛げないヤツだけど、仕事はちゃんとするらしい。
彼の仕事への矜持は、言葉はしからひしひしと伝わってくる。
私の事も白奎さまに頼まれた仕事として、ほんとは面倒くさいけど、手を抜かずに付き合ってるってこと、分かってるんだ…。
「分かってるけど、ね」
主のいない机を見てたら、ある衝動がムクムクと湧き上がってきた。
「…やるのなら、今のうちね」
思い立った私は本能の赴くまま、書簡の山に手を伸ばした。
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