9.悪夢

大理寺だいりじは皇城の西端、順義門からすぐ。白奎さまの文に同封されていた門符通行証を見せて、皇城に入る。

瓦屋根の殿舎が整然とならび、官服姿の人々が行きかう光景は『THE・官庁街』って雰囲気で、すこしだけ緊張する。

大理寺と額の掲げられた門を見つけて中に入り、真っ直ぐ続く石畳を一番奥の建物に向かう。

白い瓊花が両脇に咲く階段を上がり、入口横の部屋に向かって声をかける。


「すみません。せつ小卿のお呼びで参りました。陸清花でございます」

「あぁ、君か。こちらへ」


手前に座っていた男性が立ち上がり、私を手招きした。

彼の後に続き、奥に入る。

初めて入る、役所の内側。

廊下からチラッと奥を覗くと、みんな文机に向かって、黙々と仕事してる。

揃いも揃ってみんな怖い顔して、しかも背筋伸ばしたままで仕事なんてしていられるなぁ。感心しちゃう。

人の多さに反比例してとっても静かな職場を横目に、係の人について板張りの廊下を早足で進む。

殿舎を抜け、渡り廊下まで来たところで、不意に前を歩く彼が振り返った。


「君も、大変だね」

「え?なにがですか?」

「聞いてないの?」

「え…」

「…」


彼は私を見ると眉を寄せて、そっと袖で口元を覆った。

いや、ちょっと待って。

なになに?その「この子可哀想…」っていいたげな仕草は。

不吉な予感がバリバリの中、次の言葉を待ってると、彼はパタっと足を止めて私に向き直った。


「―君、宮女は初めて?」

「はい」

「紹介者から説明は無かったの?」

「特に」

「そっか…」


気まずそうな顔をすると、視線をそらして唇をキュッと結んだ。

あ―。

これ、予感的中、じゃないですか?


「あの…、どうされましたか?」

「…ココだけの話だけど」


絶対ココだけじゃないだろうが、コクコクとうなずいて腰をかがめた彼に耳を寄せる。


「君の前任、今まで何人も来たんだけど、全員三日ともたなかったんだ」

「えっ?そんな仕事大変なんですか?」


寝耳に水、とはこのことよ。

今回私に用意されたポジションは『大理寺の薛小卿付きの宮女』というもの。

ちなみに大理寺は刑法により重大事件を裁く、国の最高機関。その長官が大理寺卿で、小卿は副長官。

宮女がどんな仕事かなんて考えもしなかったから、そっちの覚悟は全然無かったよ。


「仕事はね、そこまでじゃない。問題は上司なんだ」

「薛小卿ですか?」

「彼はね、少し難しい方で」

「…厳格な方、とか?」


上に立つ人は往々にして、自分にも他人にも厳しいよね。

薛小卿も、やっぱりそういう人かな。


「まぁ、厳格ともいうかな。それが限界突破してる感じ」

「…短気で怒りんぼう、って感じでしょうか?」

「平たく言うとそう。有能な方だけど、武将っていうか、猛将?ここは兵部軍部かって感じ」


どういうことかね。

大理寺の役人って、机仕事だから文官だよね?武官じゃないよね?

吏部人事は配属、間違えちゃったのかな?


「それで、部下にも厳しいと?」

「俺等が失敗して怒られるのはわかるが、宮女にも容赦なくて。些細な間違いで怒鳴られるわで、今まで来た宮女、全員3日と保たずに逃げ出したよ」

「全滅じゃないですか…」


ちょっと白奎さま、聞いてないよぉ―。

死屍累々の職場に送り込むって、なんか私にうらみでもあるの?

死んだ目をする私を気の毒に思ったらしい、彼が小声で耳打ちする。


「陸殿はどなたからのご紹介なんだ?」

「白奎さまです」

「太常寺卿か…。朝堂の巨星だからな。仲良いもんな、小卿と」

「私は白奎さまとしかお会いしてなくて。小卿は存じ上げないんです」

「そうか…」

「どんな方なんですか?」

「半年前に着任されたんだが、前任者が残していった千件の訴訟処理をひとりで全部片づけたやり手なんだ。すんごい方なんだが、仕事には尋常じゃなく厳しくてね。我らも呼び出される度、戦々恐々としてる」

「あぁ…」


目眩と共に脳内では既に『ハイスペック鬼上司に怒鳴られている図』が出来上がってますよ。

もう、働く前から気が重いよ…。


「陸殿も大変だな。雲の上の方々に振り回されて」

「…ははは」


憐れみの視線がしぼんだ心にグサッと刺さる。

同情って時に傷をえぐるのね。


「諦めは早い方がいい。他への異動も出来るから、無理しないで」

「…ご親切に、ありがとうございます。心します」

「まぁ、頑張って。俺は録事の王明。小卿のお部屋、あそこだから」


角の部屋の戸を指さすと、彼はそそくさと立ち去った。

遠くなる彼の背を見送って、ため息をつく。

なんか、面倒くさいものを充てがわれた?

まぁ、本職じゃないし、今からどうするってものでもないしね。

指示通りに動くのみよ。

開き直ったモン勝ち。部屋の前に立って、一呼吸置いてから、トントン、と戸を叩く。

すると中から短い返事がした。

カタンと戸を開けて部屋に入り、頭を下げて名を名乗る。


「失礼致します―。白奎さまのご紹介で参りました。陸清花でございます」


無言の反応に顔を上げると、山積みの書簡たちの奥に、紅い官服を着た人の姿がある。

書架の前で折本を手にした人の、精悍な横顔がゆっくりとこちらに向けられる。


「来たか」


短く言ったその人はちらっと私を見て、口角を上げた。

炯々とした眼差しの持ち主は、想像していたよりはるかに若い。


「よく化けたな」

「?」


初対面で、なんて言われよう。

早速の洗礼ですかね。まぁ、そんなことでめげる私ではございません。


「どこかでお目にかかった…」


と、言いかけて、止まった唇。

私、この人を知ってる―。


「あ、あなた…」


あの日の悪夢が、目の前に色鮮やかに蘇る。


「…え、頴、くん―」

「やっと気づいたか」

「え。えぇぇぇぇ―っ⁉」


あまりのことに、頭の上からすっとぼけた声が飛び出てしまう。


「ちょっ、ちょっとあなた、こんなところで何してるのっ?」

「自分の職場にいて何が悪い」

「職場?」

「そうだ」

「って、あなた役人だったの?」

「ご覧の通り」


両手を広げ「ほら」と、深紅の袖を振って見せる彼。

白奎さまの屋敷で見た時と180度違う、その姿。ボサついてた髪はピッチリひとつに結い上げられ、深紅の官服をまとった背中には威厳さえ漂っている。

…そっか。

この人も、白奎さまに送り込まれたのね。


「もう、びっくりした。それにしても、変装上手ね」

「何が変装だ。こんなに凛々しい官僚、そうそういないぞ」

「自己評価高いと嫌われますよ」

「事実を述べただけだ」

「さては白奎さまにお世辞言われて、真に受けちゃっいました?」

「失礼な」

「はいはい」

「はいは一回でいい」

「細かい男は嫌われますよ」


本当にこの人とは相容れないわ。

って、私、こんなところで油売ってる程暇じゃなかった。

早く小卿を見つけて、サクッとご挨拶済ませなくちゃ。


「まぁ、いいです。…とりあえず、薛小卿さまは何処いづこに?ご挨拶しなくちゃなんですけど」

「ここにおりますが」

「え」

「貴殿の目の前におりますが」

「は」

「私が大理寺小卿の薛頴せつえいですが」

「―」


立ちくらみに、目を閉じる。

まぶたの裏に浮き上がる、白奎さまの悪戯っぽい微笑み。

そっか。

あの日、『頴くん』をただの友人って紹介したのは、この為だったのか…。

あぁ、やられた―。

どこまでも仙人の掌で転がされていたことを悟って、私は天を仰いだ。

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