8.誤算

「分かりません…。見当たらないんです、悪い所が」

「そうですか…」

「私の力不足です。申し訳ございません」

「仕方ないです。―ごめんなさい、瑶玉。お役に立てずに」


頭を下げた私の横で、残念そうな白奎さまの声が響いた。


「いえ、とんでもないことでございます」

「では、私たちはここで失礼しますね」

「はい。ありがとうございました…」


瑶玉は泣きそうな、でも安堵したような顔をした。

私たちがいるのが、そんなにプレッシャーなの?

なにか都合が悪いことでもあるのか…?

邪推が顔に出ないように頬を固めて、深々と礼をして部屋を出た。

また満開の花が咲く回廊を悶々とした気持ちで歩いていると、白奎さまが振り返って私の隣に並んだ。


「…清花」

「はい」

「彼女は、どうなるのですか?」

「このままだとすると、体力が戻らず衰弱する一方ですね」

「どうにか良くなる方法は」

「兎にも角にも目覚めるしかない、です」


彼女は病じゃない。それは確か。

身体は嘘をつかない。不調があれば、脈が教えてくれる。

でも、彼女の肌に触れても、この指先は何も感じとらなかった。

本当に、何も無かった。

何かがおかしい。でも、それは他の―。

黙り込んだ私をちらりと見た白奎さまの声が、一段下がった。


「…先ほど貴女は『悪い所が見当たらない』、と言いましたね」

「えぇ」


あの場では、それしか答えようがなかったから。

私の診立てが正しいならば、迂闊なことは言えない。


「本当なら、病の原因は見つかる。でも、彼女にはそれが無かった、と」

「はい」

「つまり彼女は病気ではない、と?」

「ー」


やっぱり、この人は気づいていたんだ…。

これが宮廷人、しかも四賢臣たる人の聡慧さなんだ。

すんなり引き返したのは、それを確認するのが目的だったから。

じゃなかったら、わざわざ私を後宮に連れて来た意味がないもの。

取り繕った返事なんて、通用しない。

私は大きく息を吸った。


「…おそらく」

「彼女が目覚めないのは、病のせいではない、と」


ここで是と答えたら、もう私は引き返せない。

分かってる。

父上が知ったら、きっと怒られる。

でもね、彼女の命が深い沼に沈んでいくのを、見て見ぬ振りなんて出来ないの。


「―はい」


うなずいた私の意図を汲んだらしい。白奎さまの目の色がすっと深くなった。


「清花。作戦会議をしましょう―」


その言葉に、私はまた小さくうなずいた。




後宮を出て、内廷に戻る。

竹林の小路を曲がり、私たちは人気のない池に張り出した釣り殿にやって来た。


「話の続きを、しましょう」


サラサラと流れる風と波の音が響く四阿あずまや

勧められるまま、籐で編まれた椅子に腰掛ける。

池を渡る風が、向かい合うふたりの前髪を揺らす。

前髪をかき上げた白奎さまの顔には、深い憂いの色が広がっていた。

絹の袖に隠れた手のひらが、じんわりと汗ばんでいくのがわかった。


「―清花。妃は病ではない、それは確かですか?」


穏やかに、それでいて真剣な眼差しの白奎さまの言葉を、私は正面から受け止める。


「はい。悪い所はありません。他の医師の見立ても同じかと」

「確かに」

「手のひらをつねると、反応がありました。何かの病で意識を失っているのではない。本当に眠っているんです」

「そんなことがあるんですか」

「ないと思います」

「ならば何故」

「―」


手元に視線を落として、深呼吸をひとつ。

本当の事を言ったら、私はきっと、タダでは帰れない。

やんごとなき方々の裏側を垣間見た人間の末路は、大概決まってる。

それでも、医師として、やるべきことがある。

顔を上げると、湧き水のような澄んだ瞳に、私の輪郭がはっきりと映っていた。

この人に子供だましは通用しない。

私の見ているものを、そのまま言葉にするしか道ない。

それが、不吉な予言だとしても。

自分の身に、降りかかる災難だとしても。

おかしいね。

こんな隘路に立たされてるのに、なぜだか今、やたらと冷静に状況を俯瞰して見てる私がいる。

自分でも驚くほど、頭が冴えてる。

だって、すべきことは、はっきりと見えてるから。

だったら後は、実行するのみよ。


「…眠り姫は、目覚めないのではなく、眠らされているのかもしれません」


口から出た、あまりにも不穏な、度をわきまえない言葉。

不敬罪ともとれる内容は、宮中の暗部に思いっきり足を 踏み入れている。

だけど、これが私の診立て。

確信がある。

腹を決め、私は白奎さまを真っ直ぐに見つめた。


「…」


二人の間を、重い沈黙が流れた。

しばらくすると、彼はほんの少しだけ表情を曇らせて、ふうっと細長い息をはいた。

大丈夫。

わかってる。

彼が私をこの人気の無い四阿に連れて来たのは、確かな意図があってのこと。

もし、今ここで彼が私をこの世から消したところで、彼に大してメリットは無いはず。

それに、巻き込んだってことは、利用価値があるってふんだからでしょう?

宮中の実力者なら、自分の利益に反する事なんて絶対にしない。

しかもこの聡い人はきっと、私の言いたい事を分かっている。

そんな確信を、私は持っている。


「任せていいのですね、清花」


これは私の、一世一代の賭け。


「はい。原因を、必ず見つけてみます―」


断言した私に、白奎さまの目がスッと弧を描いた。

思い返せば、私を屋敷に誘ったのは、初めからこの為だったのね―。

なんて今更気づいても、遅いけど。


「…やはり、私が見込んだ方だけある。頼もしい限りだ」

「初めからそのおつもりだったのでは?」

「賢い子、好きですよ」

「お世辞は全て片付いてから頂くことにします」

「よい心がけです。親御さんのご教育の賜物ですね」


白奎さまはハハッと少年のように笑った。

この顔をしてる時の彼、私、嫌いじゃない。

浮世離れした雰囲気も魅力的だけど、ちょっとイヤミも交じった笑顔の方が、人間味あっていいと思うから。


「さて、これからどうしましょう?」

「少なくとも二日に一回、様子を見る時間が欲しいです。故意に眠らされているなら、誰がいつ、何を使っているのか―。それを見極める為には容体の観察が必須です」


睡眠と体温は関係が深い。

今までの診察結果も精査しておきたい。

やるべきことは山程ある。


「後宮への出入りが必須ですね」

「はい。キチンとこの目で見て、診断したいです」


目的が分からない今、被疑者は関係者全員。

薬を飲まされているとしたら、効力は強い物でも3日。目覚めた時に居合わせれば、相手のしっぽを掴むチャンスがあるはず。


「了解です。正式に貴女を、皇城にお招きしましょう」


こうして、私は思いがけず、宮女として出仕することとなったのだった。

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