女の戦い

「本当に災難ね。ヤドヴィガと殴り合うなんて」


 レギナは馬達から視線を離さず、後ろの荷台にいるアーチー達に言った。


 乱立する獣人アヴァルの天幕群を抜けると、馬車を取り囲む風景は青々とした草原だけになった。


 時折、民家と畑、そして神像を祀った小さな祠があった。アーチーはすっかりこの風景に慣れてしまった。


 馬車の右手には幅の広い川が流れている。ロタハは、ジュードの膝を枕にして寝ていた。


(西部に向かった時も、こんな感じだったのかな)


 心地の良い風が草の匂いを車内に運んで来る度、青年はそう思った。アメリカの歴史は西進の歴史なのだ、と小学校の先生は言っていた。


 開拓者精神。明白な天命。カウボーイとネイティブアメリカン。最も、アーチーの曽祖父がアメリカにやって来た時には、そのどれも廃れて久しかったが。


「すっかりやられました。命があって良かった」


 ジュードは口元に笑みを浮かべ、遠慮がちに森人の女に答えた。


「やり過ぎなのよ、あいつ。正義感が強いというか、こうと決まったら曲げない奴なの。根はいい奴なのよ。根はね」


「分かってます。酷くやられましたけど、その分手厚く看病をして貰いましたし。その上、我々の脱出を手伝ってくれるなんて。なんと御礼を申し上げてよいか…」


「良いの良いの」レギナは手綱から外した片手をひらひらと振った。


「根はいい連中なのよ。ヤドヴィガも、フェレンツも、宰相も、皇帝もね。まあ、そうじゃない連中もいるけど」


「ええ、よく分かります」


「ちょっと虫の居所が悪かっただけなのよ。何だか、王国に来訪者が現れて、それが帝国に逃げて来たかもしれないって話らしくてさ」


 アーチー達は顔を見合わせた。


 気の早いパラティアは、口の中で呪文を唱え始めた。それをアーチーとジュードが慌てて抑える。


「あれ。これって、秘密だったかな…」


 レギナはアーチー達の焦りに気づく事なく、独り言のように呟いた。


「駄目だ、しまった。やっちゃった!」


 森人フェルドの女は手綱から外した片手で自分の頬を叩いた。だが直ぐに手綱を握り直すと、言った。


「忘れて、あくまで噂だから。ほら、王都の病院には沢山の自称来訪者がいるんでしょ? 多分、それの部類よ」


「なるほど」ジュードはそれだけ言い、何とかぎこちない笑いを浮かべた。


 何とも言えぬ、嫌な時間が馬車に流れた。


(ば、バレてる…?)


 不安の余り、アーチーは周りの風景がもう美しいとは思えなくなった。


 この森人フェルドの女も、あのヤドヴィガとかいう親衛隊長のように、ゴリラのように強いのだろうか。


「もしかして」不可思議な沈黙の意味に気が付いたのか、再びレギナが口を開いた。


「あんた達って、王国の間者なの?」


 アーチーは両手で顔を覆った。当たらずとも遠からずだった。ジュードは顔をしかめ、次に何を言うべきか考えていた。


 そんなジュードの膝枕で、ロタハはまだぐっすりと眠っていた。


「だったら、何だって言うの?」


 パラティアだった。アーチーは顔を覆った指の間から、少女の顔を覗いた。青年は度肝を抜かれていた。考えられる中で、最低の返答の仕方だったから。


「まさか、図星なの?」


 レギナは初めて後ろを振り向き、そこでようやくアーチー達の表情や仕草を観た。荒野出身の少女はそんな森人フェルドの女を睨み返した。


「違う。失礼ね。断じて違うわよ。でも仮にそうだとして、貴方はどうする気? 私達を斬るの? やりたいならやればいいじゃない。受けて立つ。簡単に殺せると思わないで。馬鹿にしないでよ」


(終わった)


 そう思ったのはアーチーだけでなく、ジュードもだった。


 何故この少女は、ただ一言、「違います」で済ますことが出来ないのか。何故この少女は、出会う人全てを敵に回そうとするのか。


 だが肝心のレギナの反応は、男共が想像したのとは真逆だった。


「へえ」森人フェルドの女は関心したように息を吐くと、眼を輝かせた。


「あんたの言う通り、失礼だったわね。疑って悪かったわ。私はただ、シャライに頼まれてあんた達を遠くに届けるだけよ。ごめんなさい、許してね」


 パラティアは返答せず、口を尖らせたまま横を向いた。


 それでもレギナは怒らず、それどころか楽しそうに笑ったまま、視線を前方の馬達に戻した。


(ああ、この人も変なんだ…)


 アーチーとジュードは、レギナの背中を観ながら思った。ロタハはまだ寝ていた。


 それから暫く、また沈黙が馬車を支配した。


 別に居心地が悪い訳でもなく、心地良い風と馬車の振動に慣れてきたせいか、アーチーは徐々に船を漕ぎ始めていた。レギナが声を掛けたのは、そんな時だった。


「誰か、横に来ない? 狭いけど、1人なら座れるからさ。良い景色。むさい男共でも良いわよ」


 自分から行きたがる者は誰もいなかった。


 こちらに敵意が無いことは分かったが、それでもジュードとパラティアは異民族の異教徒の真横に座るのを嫌がった。


 別の理由から、アーチーも嫌がった。美人の傍に行くと、汗が止まらなくなり、上手く喋れないからだ。


「そこの生意気なお嬢ちゃん、来なよ」


 誰も何も言わないので、今度は向こうから指名があった。パラティアは露骨に嫌な顔をした。


 だが先程から少女が座る位置を小まめに修正したり、身体を伸び縮みしている様を観ていたアーチーは、彼女に前に行くよう言った。


「行きなよ。御者台は壁もないし、風通しも良いし、景色も綺麗だよ。そのままそこに座ってると、尻が鉄ぐらい固くなっちゃうぜ」


 揺れる馬車の中で、パラティアの拳骨がアーチーの頬に触れることは無かった。


 代わりに少女は「覚えておけ」と言わんばかりの鋭い視線を青年に残し、御者台へと這っていった。


「よーく来たわね」


 横に座った来訪教徒を観ながら、レギナは口角を上げた。森人フェルドの女と視線が合い、パラティアは反射的に眼を逸らそうとした。


 だが何とか耐え、負けじと睨み返した。すると相手の口角はさらに上がり、満面の笑みになった。


「気持ち悪い。何がおかしいのよ」


 口火を切ったのはパラティアだった。負けられぬ戦いが始まった。


「あんた、ほんとに生意気な顔ね」

「何、悪いの? これが私の地の顔よ」


「あらそう。いっつもそんな顰めっ面なの?」

「そうよ、悪い?」


「まさか、褒めてるのよ。すんごく可愛いわ」


「はあ?」訳の分からぬ返答に、パラティアは竦んだ。


「馬鹿にしてるの?」

「してない、してない。生意気な女って、私好きだもの。自分も森人フェルドの男によく言われるわ。女の癖に傭兵やら運送をやって、生意気だなって」


 パラティアは黙って、相手のやり方を伺うことにした。敵を知らなければ、こちらも手の出しようがない。


 そんな少女の心理を知ってか知らずか、レギナは続けた。


「生意気な女って言うのは、私にとっての褒め言葉よ。行動力のある、賢い女だって意味だから。あんた、知ってる? この国には生意気な女がそれはそれは多いのよ」


「例えば?」


「まずは私でしょ。それとヤドヴィガ。獣人アヴァル軍を纏めるマチカ。魔術院のカタリン。当然、皇帝もね、皇帝付きの侍女達も曲者揃いよ。シラージにレーカ。それにニナ。この国は、そんな生意気な賢い女供に支配されているのよ」


 パラティアは返答をするのも忘れて、言われたことを自分の中で考え始めていた。


 確かに、帝国には高位の女が多い。そもそも皇帝自身、自分と5歳しか違わない若い女なのだ。


「王国とは大違い…」


 思わず本音を口にして、パラティアはハッとした。少女が本心を見せたその一瞬、レギナの顔から笑みが消えた。


「王国だと、こうもいかないでしょうね。高官は男ばかり、違う?」


 パラティアは自分の心が動揺しているのをハッキリと感じていた。それこそが王国の問題なのだ。


 来訪者には沢山の女がいたのに、彼女達は神であり、性がないのだと教会は言い切った。そのため政府及び教会の中枢に、女は一人もいない。


「あんたは異教徒を嫌うでしょうけど、この国に良いところはある。内戦で大勢が死んだけど、そのお陰で性別にとやかく言うやつはいなくなったわ。良いんじゃない? 私は良いと思う。あんたも生意気な女ね。気に入ったわ」


 パラティアはレギナの顔を観察した。少女は生まれて初めて、じっくりと森人フェルドの顔を眺めた。


 寝物語に聞いていた程、森人の顔は醜くは無かった。


 それどころか、少しでも気を抜けば、すぐに見惚れてしまいそうになる程美しい横顔をしている。


 口元に一つだけあるホクロがこの上なく魅力的であることを、パラティアは認めざるを負えなかった。


 押し黙り、何かを考えている少女を、レギナはそのままにしておいた。


 森人フェルドの女の脳内に、懐かしい記憶が蘇ってきた。初めて皇帝と会った時、あの娘も今のこの少女と同じ年頃だった。


 見事な赤毛を戦場の土で汚し、緑の大きな眼を潤ませ、綺麗な額に似合わぬ皺を浮かべては、何かを必死に考えていた。


 まだ若く、何も知らないのに、必死に祖国を背負おうとする少女。健気で、哀れで、生意気な女…。


「所で、あの、あなた…」パラティアが口を開いた。


「レギナよ。レ・ギ・ナ」

「レ、レギナ。あなた、一体シャライとどんな関係なの?」


「シャライ? ただの仕事仲間よ」


 パラティアは訝しげに、森人フェルドの女を見遣った。流石のレギナも、この沈黙の持つ意味には気が付いた。


「何? 何なの?」

「怪しいわ。ただの仕事仲間? 来訪教の司祭と森人が?」


「別に何もないわ。帝国じゃ普通よ」


 パラティアは手を緩めるつもりは無かった。ここが反撃の時なのだ。


 どこでシャライと知り合ったのか、きっかけは何だったのか。仕事とは何か。そもそも貴方は結婚しているのか。シャライのことをどう思っているのか。


 一度歯止めを失った少女の口は、なかなか閉じようとしなかった。


「生意気な女ねえ…」


 2人の女の舌戦は、引き分けに終わった。


 


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異世界アメリカ人 二六イサカ @Fresno1908

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