月明かりの下で(下)

 パラティアがベルジマンを牽制している間、ジュードはアーチーの側に駆け寄り、剣を手渡した。


「大丈夫ですか?」

「問題ないよ。全然平気だ」


 そう言って、アーチーは笑った。顔中から滴り落ちた血が口元に集まり、その笑顔は真っ赤だった。


「君達の顔を観たら元気になった。諦める所だったけど、もう一度頑張ってみるよ」

「アーチー…」


 ジュードは感慨深く、自分よりも小柄な青年の背中を見つめた。


 この青年は、倒れそうに観えて決して倒れない。それはジュードが子供の頃から夢にみた、来訪者の姿そのものだった。


「以前も言った通り、剣も魔術も操る護教騎士団には、こちらも剣と魔法によって打ち勝たねばなりません。アーチー、貴方はよく訓練に励み、強くなった。貴方なら、必ず勝てる」


「ありがとう、頑張るよ。それと、近くにロタハが隠れている筈なんだ。行って、見守ってく欲しい」

「はい」


「うん。じゃあ、行ってくるよ」


 パラティアは持てるだけの力を振り絞り、護教騎士団の管区長と魔術で渡り合っていた。


 距離を詰められれば、腕力の力で負けることを十分に理解していた少女は、遠くから相手を攻撃し続けた。


 ベルジマンは降り注ぐ石礫や火球を華麗に避け続けた。そして動き続けながらも、相手に対して反撃を行った。


 魔術を弾く来訪者の力などない少女も、しぶとく相手の攻撃を避け続けた。


 ベルジマンの攻撃が近くに落ちる度、耳障りの悪い音と共に、破片が飛び散る。


 アーチーの時と同様、破片は少女の傷一つない肌を容赦無く襲った。だがそんなことも気にせず、パラティアは相手と対峙し続けた。


 あの不甲斐ないとばかり思われていたアーチーが逃げずにいるならば、自分も同じことをしなければならない。自分が時間を稼げば、青年が力を取りもどす時間が生まれる。


 護教騎士団の管区長は、力が衰える兆しも無かった。


 冷静に相手の攻撃をかわし、お礼に自分の魔術を相手に送った。その顔は、恐ろしい程に無表情だった。


 そんな相手に一泡空かせようと、アーチーは再び迫った。激しく石礫や火球が飛び交う中でもベルジマンは相手に気付き、身を翻した。


 ベルジマンに当たる筈だったパラティアの火球が、代わりにアーチーに当たる。


 だが青年はものともせずに右手を後ろにやると、ベルジマンがやったように火を放ち、勢いに任せて跳躍した。


 左手には雷の代わりに剣を持っていた。それを先に突き出し、まるでミサイルのように相手に迫っていった。


 剣はベルジマンの胸元を擦り、空を切った。だが青年はそれを事前に予測し、無理やりに右手を相手の顔の前に突き出すと、力を込めた。


 相手は再びそれを避け、炎はベルジマンの髪先を炙ったに過ぎなかった。


 だが確かに、アーチーは敵に迫り、その身体に触れることが出来たのだった。よくは観えなかったが、ベルジマンの顔が不快に歪んだような気がした。


(イケる…!)青年は確信した。


 アーチーはパラティアの方を向くと、ウィンクをした。それは本当に一瞬の出来事だったが、賢い少女はその心意を即座に理解した。


 間断なく、相手を攻撃し続けるのだ。アーチーには魔術は効かないから、彼ごと攻撃する。そうして相手を圧倒する。


 若者達の企みは、ベルジマンにも直ぐに理解出来た。理解した上で、管区長はその作戦を受け入れ、逆に相手を打ち砕こうと考えた。


(これは老いた獣が死の間際に暴れるような、奴らの最後の足掻きだ。それを全て受け流し、疲れ果て、絶望の淵に佇んだ奴らの首を刎ねてやる。偉大なる主よ、どうか照覧あれ!)


 アーチーは呼吸を整えると、再び走り出した。(ダメなら仕方ない。どうとでもなれ!)


 青年の攻撃はやはり、ベルジマンに避けられた。そして避けた先にはパラティアの魔術。だがこれも外れた。


 ベルジマンも隙を見つけ、盛んに反撃を繰り出してくる。攻撃している筈のアーチーとパラティアの方がボロボロだった。


 だが2人は怯まず、同じことをやり続けた。


 二回目も駄目だった。三回目は惜しかった。四回目はまた遠のいた、五回目、六回目。次こそは。七回目、八回目、九回目…。


(もうダメかな…)十回目も前にして、アーチーはそう思った。


 最早身体中のエネルギーと血を使い果たしたと青年は思った。恐らく、あと一回しか攻撃ができそうに無い。


 敗北を前にして、だがアーチーの心は再び軽くなった。チラッと、パラティアの方を見遣る。


 少女は肩で息をしながらも、まだ攻撃を続けるつもりだった。殆ど倒れそうになりながらも、立ち続けるパラティアを観ながら、アーチーは思った。


(どうせ次で最後でなら、何か思い切った事をやろう)


 青年の疲れた脳に、ある閃きが生まれた。その時、パラティアもこちらを観た。刹那、2人は見つめ合った。


 アーチーの顔に、疲れた笑みが浮かぶ。青年は何も言わなかった。


 作戦がベルジマンにバレてはいけなかったし、そもそも話す気力がもうどこにも無かった。パラティアは荒く呼吸をしながら、小さく頷いた。


 自分の考えが相手に伝わったどうかは分からなかったが、アーチーはベルジマンの方を振り返った。


(よし。やろう)


 これで最後だと脳と体を説き伏せ、アーチーは再び走り出した。剣を突き出し、アイアンマンのように格好よく、飛び出す。


 そしてベルジマンはそれを避けて、後ろに飛ぶ。そしてその先にはパラティアの攻撃…。


 だが、パラティアは何もしなかった。身体を動かそうとしたベルジマンはそこで不意を突かれ、一瞬戸惑った。


 それだけでなく、管区長は少女の方を見てしまった。パラティアは不適な笑みを浮かべながら、ドジを踏んだ相手を見返した。


 ほんの一瞬だが、致命的な一瞬をベルジマンはそこで無駄にしたのだった。


 ベルジマンが意識をアーチーの方に戻した時、青年の放った雷は既に目の前だった。管区長の回避は完全には間に合わず、稲妻の槍は相手の右腕を抉った。


「ああ、クソ!」信仰に厚い筈の男は怒鳴った。


「クソ共、異端のクソ共。魔物にも劣る者共が!」


 ベルジマンの顔は歪み、感情が理性を越えたようだった。管区長は取り乱し、憎しみに満ちた眼でアーチーの事を見遣った。


「殺してやる。お前は死ななければならない! 汚く醜いお前の身体を神と、部下達の遺骸の前に捧げる。主よ、主よ、照覧あれ!」


 文字通り力を使い果たしたアーチーは、こちらに向かってくる相手に何もすることが出来なかった。代わりに慌ててパラティアが石礫を投げる。


 ベルジマンは理性を失っていたが、辛うじてそれを避けた。そこでパラティアも力尽き、バタリと音を立てて硬い石畳の上に崩れ落ちた。


 邪魔者がいなくなり、ベルジマンは再びアーチーに向かっていった。


 片腕の断面からは大量の血が地面に落ちたが、怒りに身体を支配された管区長は、それを物ともせず歩き続けた。


(あと数歩で奴を殺せる。首を切り、腕と足を切り、睾丸も切り落としてしまおう。そしてそれを神に捧げる。そうすれば、腕も返ってくる。殺された部下達も返ってくる。主は偉大だ。来訪者は偉大だ。来訪者を讃えろ。来訪者を讃えろ。来訪者を…)


 あと数歩の所で、ベルジマンの足が止まった。いや、足だけでなく左手以外の全てが動かない。


 何事かと、唯一動かせる左手でベルジマンは自分の身体を探った。腹部が、生暖かい何かに濡れている。血だった。


 ジュードがベルジマンの背中に突き刺した剣を引き抜くと、相手は立つ力を無くし、地面に膝を付いた。


「主よ…」


 血を吐き出しながら、ベルジマンは掠れる声で言った。


「主よ、何故です…?」


 アーチーはゆっくりと、ベルジマンに近づいた。


 相手の残された片腕は力なく下に垂れ、最早魔術を使うことも、剣を握ることも出来そうに無かった。


 アーチーはふらふらと揺れるベルジマンの頭を掴むと、言った。


「ごめんよ。でもお前だけは許せない。本当に」


 青年は右手に力を込めた。燃える手を伝い、ベルジマンの頭も燃え上がった。


 それで、終いだった。


 




 



 


 


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