月明かりの下で(上)

 ジュードは孤児院に帰ってくるなり、息も整えずにシャライに訳を聞いた。


「先生、何か問題が起きたのですか?」

「ジュード、パラティア。大変だ、アーチー様の身が危ない」


「アーチーは何処です。まだ帰らないのですか?」

「まだだ。今、子供を遣いにやっているが…」


 丁度その時、2人の子供が突風のように孤児院の中に駆け込んで来た。アーチーへの伝言を頼んだ2人だった。


「どうした、2人だけか。アーチー様達はどうしたのだ?」

「先生、先生…」


 必死に走ってきたとみえ、子供は2人とも息も絶え絶えだった。


 シャライは他の子供に水を持って来させると、落ち着き、呼吸を正してから話すよう2人を諭した。


「ヴィラまで渡れなかったんだ。もう暗いから、船は出せないって」


 シャライは窓の方を観た。外は完全に漆黒である。そもそも、船が出せなくなる時間になるまでにアーチー達が帰ってこないことがおかしい。


 彼らは既に、何か良くないことに巻き込まれているに違いなかった。シャライの顔から血の気が引いた。


「子供では埒が明かない」


 ジュードはそう言うなり自身とアーチーの部屋に走ると、2本の剣を持って戻って来た。


「我々が行き、無理矢理にでも船を出させます」

「危険だ。君達はここにいなさい。私が様子を観てくる」


「ダメです。その方が危険だ。先生はここに残り、子供達を守って下さい。ここは人気ひとけも多いし、奴らも馬鹿な真似はしないでしょう」


「どうせ護教騎士団よ。こんな所まで追いかけて来る時点で、相当の馬鹿じゃない」


 この期に及んで軽口を叩く少女を興味深く眺めると、ジュードは口元に笑みを浮かべた。


「ジュード、パラティア。やはり危険だ。敵は君達を一網打尽にするつもりなのだろう」


「そうでしょう」ジュードは口元に笑みを浮かべたまま、シャライを振り返った。


「だが奴らに隙を見せてしまったのは、私とパラティアだ。責任を取り、我々は主を助けに行く。もし間に合わぬのなら、主の往かれる道に我々も従うだけだ。あの人のいない世など、最早生きるに値しない」


 ジュードはそう言うなり、水も飲まずに外へと飛び出していった。パラティアもまた、それがさも当然であるかのようにジュードに付いて行った。


    ◇


(ああ、神様…)


 この世界で神と崇められる青年は、自分にとっての神に祈った。


 目の前に立っている男が誰であるか分かったほんの一瞬、青年は復讐戦を行えることに心が躍った。


 だが冷静になってみると、自分はまんまと嵌められ、剣もなく、そして横にはロタハがいることに気が付いた。さて、どうしたものか…。


 アーチーが逡巡している一方で、ロタハは握っている青年の手を離すと、そのまま前に躍り出た。


「アーチー兄ちゃん。逃げて!」


 後ろに立つアーチーを守るように両手を広げると、ロタハは叫んだ。驚き、慌てふためいているアーチーよりも早く、ベルジマンがこれに反応した。


「知っているぞ、小娘。お前はグミル派の生き残りだな? お前がここにいるということは、全て俺の失態だ。何故なら、グミル派鎮圧の指揮を執ったのは、この俺だからだ」


 ロタハは相手の眼から眼を背けなかった。これが自分に出来る、精一杯の抵抗だった。


 目の前に立っているのは、自分の親の仇だった。いや親だけでなく、自分から全てを奪った仇敵。


 ベルジマンの顔を覚えていたのは、アーチーだけでは無かったのだ。


「悪しき者は全て悪しきことより生じる。何故なら神は善であり、そこから生まれるものは全て善だからだ。神以外から生まれた者は全て悪であり、そして悪は互いに惹かれ合う。何故なら神を恐れる悪は、1人1人では何も出来ぬからだ」


「それは他でもない、お前達のことだ」そう言ってベルジマンは初めて笑った。


 ロタハはまだ耐えていた。何故なら、後ろにアーチーがいたからである。青年が来訪者であることを知ったあの日、少女は慈悲深い神に誓った。


 両親も仲間も失い、自分が1人生き残ったことには意味がある。それはきっと、来訪者を守る為だったのだ。


 だから生きる意味を与えてくれた神に対し、ロタハは誓ったのである。


(偉大なる神様。どうか貴方の試みが成就しますように。ウチは喜んで、この命を彼に捧げます)


 アーチーが無事に逃げ果せるまで、ロタハは頑張るつもりだった。それまでは絶対に身体を震わせることもしないし、泣かない。


(あと少し、あと少しの辛抱や…)


 あと少し経てば少女は思う存分震え、泣き叫ぶことが出来る。


 痛いのは一瞬。それを我慢すれば、全て終わる。全て終わり、両親と仲間達にもう一度会える…。


 だがアーチーは、まだそこに立っていた。そして青年は震えを隠しきれていない少女の肩に手を置くと、言った。


「ロタハ、危ないよ。安全な所に隠れるんだ」

「なんで逃げへんの!」


 少女は敵から眼を離さずに叫んだ。そこには驚きと怒りと悲しみと、若干の喜びが混じっていた。


「逃げないよ。だって俺は、来訪者じゃないか」

「ウチだって役に立つ! だから、ウチを囮にして逃げるんや。だって、兄ちゃん。武器を持ってないやん!」


「そうさ、君は本当に役に立つ。俺はこんな感じだから、いつも君に助けられてる。だから、代わりに今日は俺が頑張るよ。武器はまあ、気合いでなんとかする」


「でも、でも…」


 アーチーはロタハを抱き上げると、自分の後ろの地面に降ろした。「さあ、逃げるんだ」青年は妹にするように言った。


「逃げろだって? そんな事を、2度と俺に言って欲しくないな。俺は、アメリカ人なんだぞ? 泣く子も黙るアメリカ人だ。それからえーと。なんてたって、アメリカ人だ!」


 アーチーが両手に意識を送ると、それぞれが違う力を発揮した。右手には炎、左手には雷。


(アベンジャーズ、総勢1人、結集!)青年は心の中で叫んだ。


 ロタハはゆっくりと後ずさった。そしてアーチーの両手の炎を雷が元気良く音を立てると、走り去り、皇宮へと続く城門の物陰に身を潜めた。


 訓練の賜物か、両手で贅沢に魔術を使ってもアーチーは平気だった。これを観れば、相手もビビって戦う気を無くす。


 青年のそんなささやかな望みは、一瞬にして砕かれた。


 ベルジマンは剣を抜いて右手に持つと、片手からはお得意の炎を出した。最初は赤かった炎は、やがて青白くなった。


 ケサル・マラタの時とは違い、ベルジマンは甲冑を着てはいなかった。


(舐められたもんだ)


 アーチーは覚悟を決めると、自分から相手に向かっていった。永遠に手から火やら雷を出せる訳ではない。そう思っての行動だった。


 最早相手の行動を待ち、半ば偶発的に勝利を手にする段階では無かった。こちらが動けなくなる前に、相手を圧倒する。


 フットボールの一流選手のような勇猛なタックルは、ベルジマンには擦りもしなかった。


 管区長は雄牛のようなアーチーの突撃を既の所で交わすと、相手の背中に火球をお見舞いした。


 青年に魔術は効かなかったが、衝撃で体勢を崩され、そのまま地面に突っ伏した。唇と鼻を切り、早くも血が出た。


「ほう」こちらに振り返ったアーチーの顔を見ながら、ベルジマンは思わず声を漏らした。


「どういうカラクリか知らぬが、噂は本当なのだな。魔術では死なぬか」


 アーチーは血も拭わずに立ち上がると、再び敵に向かって走り出した。


(今度はお前が避けた先に、魔術のパンチをお見舞いしてやる)


 青年は右手に力を篭めた。炎が一際大きく、酸素を吸って音を立てた。


 相手の突撃を避け、ベルジマンが体を捻った所を、アーチーは火球ごと強く殴った。


 だが青年の予想に反し、拳は鋼鉄の壁のようなものを殴った。衝撃が走り、一瞬身体の力が抜けた。


 ベルジマンは剣を盾に、アーチーの攻撃を防いだのだった。またもや隙を見せた青年に対し、管区長は至近距離から火球を打ち込んだ。


 顔面にモロに衝撃を受け、青年はポパイの悪役のように後ろへ吹っ飛んだ。


 青年は背中を強く打ち、また一瞬体の力が抜けた。一瞬、もう立ち上がれないと弱音を吐く自分の心を奮い立たせ、アーチーは立ち上がった。


 一々考えている暇は無かった。アーチーは右手の力を弱めると、今度は左手に集中した。


 途端稲妻が勢い良く手の中で跳ねた。青年はそれを掴み、投擲槍のように細長くすると、ゼウスのように構える。


「雷光魔法まで…」ベルジマンが呟く。


 雷の光に照らされたその顔には、微かに驚きがあった。だが狼狽えることなく、護教騎士団の指揮官はそこに立っていた。


 アーチーの投擲は、真っ直ぐに相手の頭上に降り注いだ。


 ドカン! 一瞬の閃光と爆音と共に青年は眼を瞑りながら、(しめた!)と心の中で呟いた。


 必殺の稲妻の槍。これで相手は粉々になっている、筈だった。目と耳が元に戻ったアーチーは、黒焦げの死体がある方を見遣った。


 だが石畳には大きな穴が空き、周りが黒焦げになっているだけで、遺体らしきものは何も無かった。


 青年は驚き、辺りをキョロキョロと見回した。何処にもベルジマンの姿は見当たらなかった。


(そんな、馬鹿な)アーチーの額を汗が伝った。(まるで映画の戦闘シーンじゃないか!)


「兄ちゃん、後ろ!」


 ロタハが必死の叫び声を上げなければ、アーチーはそこで自分の首を落としている所だった。


 既の所で青年はそこから飛び退け、ベルジマンの剣は相手の首の皮に数ミリの傷をつけることしか叶わなかった。


 アーチーは慌てて敵から距離を取ろうとした。だがベルジマンは片手を背中にやると、火球を後方の空中へと放った。


 ベルジマンはその衝撃で一気に距離を詰め寄り、何とか体勢を立て直そうとするアーチーに一気に詰め寄った。


(馬鹿げてる。そんなのアイアンマンじゃないか。アベンジャーズは、俺の方の筈だぞ!)


 間髪なく繰り出される相手の斬撃を、青年は何とか避け続けた。だが相手の体制が崩れて隙が生まれる度、ベルジマンは容赦無く火球を打った。


 アーチーに魔術は効かない。だが衝撃と、爆発によって時々飛んでくる石畳の破片によって傷つけられ、青年は徐々に追い詰められていった。


 アーチーも何とかして相手に向かって火球を放ったが、狙いの定まっていない攻撃を、ベルジマンは簡単に避けた。


 青年の額からは血が流れ、それが片目を使えなくした。体力を酷く消耗し、足腰は震えた。


 そしてある時、アーチーは遂に動きを止めて、地面に膝を着いた。はあはあという青年の息遣い以外は聞こえない、奇妙な時間が不意に訪れた。


 ベルジマンは表情を全く崩さず、目の前の敵を眺めていた。


「こんなものだ。偽物とは」


 ベルジマンの片手に、再び炎が灯る。アーチーは力なく、その青白い炎を観ていた。


(アーチボルト・アダム、17歳。エリック・アダムと、マリア・アダムの子…)


 疲労と無力感が、アーチーの恐怖を拭い去った。ポタポタと額より流れ出る血が、地面を濡らす。


(アーチボルト・アダム、17歳。彼は善人だった。人を殴ったこともない。彼は童貞だった…)


 ベルジマンが手のひらを青年に向けた。あと数秒で、この痛みもなくなるだろう。


(アーチボルト・アダム、17歳。遠い異世界の地でボコボコにされ、ボロ雑巾のように死す。ごめんよジュード、パラティア。ロタハ…)


「俺はやっぱり、来訪者なんかじゃ無かった…」


「あんたは、来訪者よ!」


 その叫び声を聞き、ベルジマンは速やかにその場から飛び退いた。


 飛び退いた矢先、ベルジマンがいた場所には雨のように大量の石礫が降り注いだ。


 アーチーは石礫が飛んで来た方向を見遣った。ジュードと、パラティアだった。


「さあ、立ちなさい。立てば、あんたは本物の来訪者になれる。あと少し、あんたなら出来る!」


(神様…)青年の眼に、生気が戻り始めた。身体はとてつもなく疲れてはいるが、まだ動かせた。


「ハハッ、映画みたいだな…」


 そうしてアーチーは、再び立ち上がった。






 



 


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る