英雄祭

 さらに数日が経ったある日のこと。時刻は昼も終わりに近づき、多神教徒が言う所の、太陽の神と月の神が入れ替わろうとする頃だった。


 外出先から帰って来たシャライは、留守の間に届いた一通の手紙に眼を落とした。


「用心するように」手紙にはそれだけ書かれていた。


 シャライは服も着替えずに、立ったままその文面を凝視していた。「イルデ!」そして、手紙を直接受け取った少女を呼んだ。


「イルデ。誰がこれを持って来たんだ?」

「分からない、知らない人」


「どんな感じの人だった?」

「黒いフードを被った、背の高い人よ」


「渡す時、何か言っていなかったか? 伝言とか」

「ううん。ただ、『これをシャライ先生』にって」


「本当です。本当にそれだけなの」段々と顔色の悪くなるシャライを心配し、イルデは付け加えた。


 既に若くはないシャライの額に、汗が滲んだ。差出人の分からぬこの手紙が何を言わんとしているのか、全てを理解した。


「イルデ。アーチー様はどこに?」

「出掛けたわ、ロタハちゃんと一緒に。今日は英雄祭だから」


「ジュードとパラティアは一緒じゃないのか?」

「多神教徒の祭りには行きたくないって、2人は温泉に行っちゃった」


「ああ、神よ…」シャライは思わずそう嘆いたが、直ぐに気を取り直すと、少女に命令した。


「足の速い子を集めて、アーチーとロタハ、ジュードとパラティアにそれぞれ伝言を送りなさい。『早く孤児院に戻るように』と伝えるんだ。さあ、早く!」


    ◇


 帝国に来て、アーチーは初めてこの世界で四季というものを感じた。王国の荒野にいた時は分からなかったが、今は春だった。


 帝都では街路樹は青々とした葉をいっぱいに枝に付け、神々の祭壇に捧げられる花々は一際種類が多く、華やかだった。


 本来の目的はともあれ、英雄祭はそんな偉大な春の訪れを盛大に祝う祭りだった。


 3日に渡って行われる祭りの今日は最終で、ヴィラに住む人々はこぞって河を渡り、対岸にある、祭りの名前の由来となった英雄広場と大神殿へと赴き、祭りを楽しんだ。


 ヴィラペシオンは正確には、西岸のヴィラと、東岸のペシオンという2つの区域によって構成される巨大な街である。


 ヴィラは小高い丘で、その頂上には皇帝の住む皇宮があり、それを取り囲むように貴族達の邸宅が建てられていた。


 対するペシオンは専ら工房や商店、宿泊所が立ち並ぶ平民の街であった。2つの街の間には橋が無く、代わりに船で結ばれている。


 春に行われる英雄祭は、ヴィラにある英雄広場の建設を祝うものであった。


 英雄広場とは、20年程前に作られた、比較的新しい帝都の名所である。その石畳の広場には、扇形に10数体の石像が建てられていた。


「帝国の建国を手伝った人達なんやって」


 アーチーの肩に乗りながら、ロタハが説明をした。広場は観光目的の人と、それを相手に商売をする人とで酷く混雑していた。


(これで花火があれば、まるで独立記念日のお祭りだ)アーチーは思った。


 アーチーは思春期特有の期待を込めて並び立つ石像を見回したが、胸をドキドキさせるような、身体の隆起が分かるほど衣の薄い女神の像はここには無かった。


 代わりに、頭から獣のような角や耳を生やしたり、耳の長い、筋骨隆々の男の石像があるだけだった。だがそれはそれで、青年の心をざわつかせた。


(ローマ帝国が聖書で悪者扱いされる理由がよく分かるよ。だって、えっち過ぎるもんな…)


 陽が徐々に傾くにつれて客足が少しずつ減ると、ロタハはアーチーの肩からおりて、石像の一つ一つを間近に観た。


 少女が満足し、いよいよ孤児院に戻ろうとする頃には、人は殆ど居なくなっていた。


「すいません。アーチーさんですか?」そんな時、アーチーは声を掛けられた。


 陽は殆ど沈みかけ、相手の顔はよく見えなかった。


「そうだけど、貴方は?」

「良かった。私は来訪教徒で、シャライ先生から伝言を預かっているんです。先生は、教会にいて、貴方をお待ちしていますよ」


「はあ」アーチーは相槌を打ちながら、首を傾げた。教会、教会とは一体何処のことか。


「教会は丘を一番上まで登った所にあります」相手の気持ちを推し量るように、男は言った。


「手前には異教徒の大神殿があり、側には皇宮があります。高い尖塔がついた建物なので、直ぐにわかりますよ」


「それでは、私はこれで」そう言うなり、男は急ぎの用事でもあるのか、そそくさと2人から離れていった。


「一体教会で何の用だろうな」

「怪しいで」ロタハは、アーチーの腕を掴みながら言った。


「何でシャライ先生が教会なんかにおんねん」

「そりゃあいるよ。だって司祭なんだから」


「でも、自分は教会とは距離を取ってるって自分で言ってたで。帝国来訪教会は独立してるけど、それでも王国の教会の配下や。要するに、裏で護教騎士団とも繋がってるかもしれんのやで?」


 アーチーは眉間に皺を寄せ、少女が今言ったことを考えた。何を言っているのかよく分からなかった。この娘は本当に8歳なんだろうか。


「うん。確かに、君の言うとおりかも」青年は答えた。


「でも、でも教会は皇宮の側にあるんだろ? 王国と帝国の関係が微妙ならさ、相手のボスの家の直ぐ近くで面倒は起こさないよ。だろ?」


「分からんで、だって相手は教会や」


「うん。でも、でも、でも…」青年は返事に窮した。少女の言う通りだと思ったのだ。


 行く理由は無いように思われた。だが本当にシャライが自分を待っていて、それを無視し、自分達だけが孤児院に帰ったら? 


 何か本当に重要な用事なのかもしれない。誰か重要な人物に自分達を合わせたいのかも。


 シャライ先生は、本当に自分達によくしてくれている。そんな彼の努力と良心を、無下にするのか? 罠かもしれない、という理由だけで。


 そしてもし、もし本当に罠だったとしたら?


 「敵」は自分達とシャライの関係をもう知っていることになる。であれば、放っておけばまずいことになる。


 シャライは教会にはいないかも知れない。もし居なくても、無視すれば、いずれ狙われる。そしてもし罠だとして、実際に彼が教会にいるとすれば…。


 アーチーはこの考えの全てを上手く説明することが出来なかった。


「あー、でも。うーん、何と言ったら良いか…」イタリア人のように両手を踊らせながら思案していると、ロタハが助け舟を出した。


「アーチー兄ちゃんの言いたい事はよう分かる。もしこれが罠だとして、敵はもうウチらのことを知ってるってことや。だからどちらにせよ無視したら、シャライ先生を危険に晒すことになる。せやんな?」


 青年は瞬きもせずに少女を見つめながら、何度も大きく頷いた。


「分かった。でもウチも行く」ロタハはそう言って、アーチーの手を強く握った。


(何かあったら、ウチが囮になってアーチー兄ちゃんを逃すんや)


 2人は手を取り、人気のない丘を登り始めた。もう夜だった。


 開けた丘の頂上には、先程の男が言った通りに3つの建物があった。左手にはローマのような神殿。右にはローマのような皇宮。


 そしてその奥から、2つの建物を見下ろすような、背の高い尖塔を持つ建物。恐らくそれが、来訪教の教会だった。


 ロタハは直ぐに異常に気がついた。あまりにも人気がないのである。神殿にも、皇宮へと続く城門にも、それを守る兵士が居なかった。


 ロタハが急に立ち止まったので、手を繋いでいるアーチーもそれに倣った。


「どうしたんだい?」

「兄ちゃん、あんな…」ロタハの声は、1人の男の声によって掻き消された。


「背教者よ!」


 その声に聞き覚えのあるアーチーは、直ぐに声のした方に視線をやった。暗闇の中、1人の男の顔が炎によって不気味に照らされていた。


「背教者よ。この異教の地においては、最早主の慈悲の手すら届くことがない。善き者が全て善き神より生まれるように、悪しき者は全て悪きことより生まれるからである。お前は死ななければならない。何故なら、主が私を遣わしたからである」


 アーチーはその顔に見覚えがあった。


 ケサル・マラタでの最後の夜、この男は生きた人間の松明によって、自分を照らしていたのである。


 男の名はベルジマン。護教騎士団序列第6位及び、南部管区長。


 アーチーはまだ男の名前も肩書きも知らなかったが、その顔だけは忘れることが無かった。






 


 


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