置いていかんといて
(兄貴のフロリアンは宰相、弟のフェレンツは財務長官。大した兄弟だ。王国と違って、帝国はそこまで魔術が盛んじゃない。その代わり、
孤児院に来て一週間程が立ったある日の昼下がり、アーチーはロタハと共に街を歩いていた。
(5年前、この国には皇帝はおらず、摂政が代わりに政治をやっていた。その摂政は、とんでもない悪人だった。ヒットラーや、スタリーンみたいな。それで一部の貴族が反乱を起こした。反乱は成功し、新しい皇帝が出てきた。名前はマルギット。赤毛に、緑の眼。賢く、優しく、そして、物凄く美人。物凄く、美人…)
ロタハの手を取りながら街を歩く青年の頭の中では、連日シャライに教え込まれた様々な事柄がぐるぐると巡っていた。
移動や日銭を稼ぐ為の労働をする必要がなくなり、暇が出来るかと思った青年の期待は裏切られた。
午前中はシャライ先生の年少者向け授業に混じり、昼からはジュードかパラティアと、剣と魔術の訓練を受ける。
(ジュードとパラティアはきっと、俺をアベンジャーズの新メンバーにする気なんだ)
夜になればくたくたになり、野宿よりかはマシなだけの硬いベットに眠る、それがアーチーのここ数日だった。
そんな中で、今日は久しぶりの休みであり、青年はロタハを連れて、気持ちの良い天気の街に出ていた。
街は決して安全な訳では無かったが、ここにやって来た初日のように絡まれることは無かった。それだけ街は広く、人の出入りは多かったのだ。
少しばかりの危険を冒しても、青年は街に出たかった。ロタハとこうして歩いているだけで、故郷にいた頃を思い出して、心を休める事ができた。
「こんな事を言うと、怒られるかもしれないけど」道に並ぶ裸の女神の像に目を遣りながら、アーチーは言った。
「良い街だと俺は思う。治安は良いし、物に溢れてるし、綺麗だし、人は皆元気だし」
「別に怒らへんよ」ロタハが答える。
「パラティア姉ちゃんは怒るかもしれへんけど、ウチは異教徒とか気にせえへん。ていうか、王国じゃこっちが嫌われてたんや。ウチらにとって、神は1人だけや。でもそれ以外の神を信じる人達を懲らしめようなんて思わへん。誰がどの神を信じようと勝手や。だからその点、この街はウチにとっても居心地が良い。王国人ってバレなければな。姉ちゃんには言わんといてな」
「言わないよ。絶対」
アーチーはロタハの話が、他人事のように思われなかった。
それは青年が元いた世界にとっても、耳が痛い話だったからだ。悲しいやら嬉しいやら、結局どこでも文明の行き着く先は一緒らしかった。
「あんな、アーチー兄ちゃん。お願いがあんねんけど」
「何だい?」
「あんな、確かにこの街はええ所や。これだけ人も物も多ければ、多分いくらでも食い扶持はある。でも、でもな。その、ウチをここに置いていかんといて欲しいねん」
「何だって?」アーチーは思わず立ち止まり、少女の方を観た。
「一体何の話だ?」
「兄ちゃんは、ウチをあの孤児院に預けて旅を続けるつもりなんちゃうん?」
「初耳だよ。誰からそんな話を聞いたんだ?」
「ううん。自分1人で考えた」
青年は驚き、相手を凝視した。自分がこの娘と同じ歳の頃、鼻くそをほじる以外何か他の事を考えていただろうか?
「なあ、お願い。何でもするから、ウチをここに置いていかんといて。何でもする。荷物運びも、食事の準備も、敵が来たら、囮に使ってもええよ。ウチ、奴隷みたく働くから」
「奴隷なんて!」アーチーは思わず叫んだ。その二文字を、あろうことかアメリカ人相手に使うとは。
「ロタハ、君は本当に賢い。俺達はいつもその賢さに救われてるよ。でも、今回ばかりは間違ってる。置いてかないよ、絶対に。これからも俺達と一緒に旅を続けて欲しい。君がいないと、俺達は途端にダメだよ。だからついて来てくれよ。勿論君が良ければだけど」
「行く!」ロタハは即座に答えた。
「行く、絶対について行く。アーチー兄ちゃんも、ジュード兄ちゃんも。パラティア姉ちゃんもみんな好きや。絶対について行く。本当に、神様は偉大や。父さんと母さんの代わりに、ウチに新しい家族を下さった」
ロタハが笑顔になると、自然とアーチーも笑顔になった。「ねえ、ロタハ」青年は妹に言うように言った。
「肩車してあげようか」
大人並みの賢さを持つ少女は一瞬考えたが、期待を抑えきれず、青年の提案に頷いた。
途端、少女の視界がそれまでの倍になった。ロタハは年相応の喜びを声に出し、アーチーもそれを楽しげに聞いていた。
そんな2人を、建物の影より見つめる者がいた。
◇◇◇
カロルは私室に戻って来ると、書類の束を無造作に机の上に置いた。陽はあと少しで沈みきる所で、バルコニーの向こうに見える対岸のヴィラの街並みには、火が灯りはじめていた。
召使が瓶と杯を持って来ると、カロルは召使を下がらせ、瓶の中身を自分で杯に注いだ。
「この国の果実酒です。中々どうして、味わい深い」注ぎながらカロルは言った。
「一体いつからそこにいたのです? まるで盗人か魔物ですな」
すると、バルコニーの横に縛られたカーテンの隅から、1人の男が音も立てずに出て来た。男は背が高く、無表情だった。
「来訪者もどきについてはまだ調査中です。ベルジマン殿」カロルは男にそう言った。
だがベルジマンと呼ばれた男は何も言わず、ただただ対峙する男の顔を睨み付けていた。
(こいつ、何かを掴んだな?)笑みを浮かべたまま、カロルは考えた。
「見つけた」カロルの考えは当たっていた。
「ペシオンの場末にある、孤児院だ。帝国人の来訪教徒が、奴らを匿っている」
ベルジマンはそれだけ言うと、また黙った。その声色に怒りと疑念の念が篭っている事を、カロルは直ぐに察した。
「盲点だった!」カロルは。大袈裟に驚いてみせた。
「流石は護教騎士団の管区長殿です。我々の諜報など、足元にも及ばない」
無言でベルジマンは踵を返すと、また音も無く部屋から出て行った。
「無能共が。2度と邪魔をするな」去り際に、ベルジマンは低い声でそう言った。
カロルは暫くバルコニーの向こうを眺めた後、「ふん」と鼻で笑った。
「無能だと? どちらが無能だ。連中を取り逃し、挙げ句の果てに帝国まで追いかけてくるとはな。お前達のその妄信ぶりには、ほとほと呆れ返る」
言って、カロルはバルコニーの向こうに耳をそば立てた。
暫くそうしていたが、風が対岸の喧騒を微かに運んでくる以外、何も聞こえなかった。ベルジマンは、もう居ないらしかった。
「なんだ、いないのか」
カロルはそう言って、果実酒を一気に飲み干した。
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