空っぽね

 シャライは一晩寝ずに考えたのち、遂に決心をした。アーチー達を、自分の孤児院に匿おう。カロルの忠告から、まだ一日も経っていなかった。


 出自のよく分からぬもの達を置けば、それは直ぐに噂になり、いずれあの書記官の耳にも届くだろう。


 だがそれでも、シャライはアーチーを匿うことを決めた。


 聖書には、来訪者に酷い仕打ちをした者が、いかにそのしっぺ返しをされたかが事細かに書いてある。


 来訪者と知っておきながら匿うことを断った街は、帝国軍によって燃やされた。


 来訪者の居場所を帝国軍に漏らした者は、100頭の魔物に身体を食い尽くされた。


 来訪者を追放した反乱軍の部隊は荒野を彷徨い、最後は骨と皮だけになって全滅した。


 来訪者の女を寝取った者は、文字通り塵一つ残さず地上から消え去った…。


 今は亡きシャライの師、パールはこの手の話を嘲笑した。曰く「主はそのような心の狭き者ではない。これは教会が、己が畏怖を受けるべき対象であると、民衆を脅すための詭弁に過ぎない」。


 シャライはその奔放な、殆ど異端と言える来訪者の解釈を論じた師を懐かしんだ。


 先生が生きていて、今この瞬間、自分の立場にあったらどうしただろう。


 その答えは直ぐに出た。彼はアーチー達を匿うだろう。何故なら彼らは来訪者とその仲間である前に、救いを求める若者なのだから。


 シャライの孤児院の朝は早かった。年長者は陽がまだ登りきらぬ内に起き、掃除と朝食の準備を始める。


 準備が終わった後、来訪教徒の子供達(孤児院には多神教徒の子供も大勢いた)はシャライと共に朝のお祈りを行なった。


 アーチー達は当然のようにそれに混じった。日頃から農園の手伝いをしているアーチーにとって、これぐらいの早起きは何でもなかった。


 当たり前のように起き、眠たい眼を擦りながらも鍋をかき回し、何も分からないままに朝のお祈りに参加している青年の事を、シャライを含めた周りの者達全員が感心して眺めていた。


(何だ。俺、何かしたのか…?)


 だが肝心のアーチーは、そうやって自身に集まる視線にビクビクしていた。


「みんなに新しい仲間を紹介します。アーチー、ジュード、パラティア、そしてロタハです。彼は先生の古い友人で、ある重要な仕事の為にこの街にやって来ました。仕事が終わるまで彼らはこの孤児院に滞在し、仕事を手伝ったり、みんなと共に勉強をしたりします。みんなも、彼らが困っていたら助けてあげるように。それでは、改めて挨拶を」


 朝食が済むと、アーチー達は年少者達向けに行われる授業に混ざっていた。


「こんにちは」「初めまして」「これからよろしく」礼儀正しく、子供達は背の高い新しい友人達に挨拶をした。


 シャライがアーチー達に協力できるまず最初の事、それは帝国について教える事だった。


 この国について詳しく知っておけば、いざというときに役に立つ。シャライはそう考えた。敵になるにしろ、味方になるにしろ…。


「今日はこれまでの復習をやろう。とても大事なことだ。この国を治めているのは、誰かな?」


「はい! はい! はい!」と一斉に子供達が手を挙げた。


 アーチーはそれを観て、自分が小学生だった頃を思い出していた。懐かしい。あの頃が、自分の全盛期だった。


「皇帝です!」桃色の頬をした、黒髪の少女が答える。


「名前は、マルギット様。赤毛で、緑の眼。すんごい可愛いの!」


 その言葉に、アーチーは眼を見開いた。(す、すんごい可愛いだって…?)椅子の上で姿勢を正した青年の横で、パラティアが咳払いをした。


「とっても賢くて、優しいの。私も大人になったらそうなりたい。マルギット様とおんなじ23歳になったら、きっと私もあんな感じになると思うの」


(23、23歳か)アーチーはそれを聞いて、深く考え込んだ。自分より5つも上だった。


 だが、大丈夫なように思われた。何故なら青年の初恋の相手は、15歳も上だったからだ。眼に光を取り戻した青年の腕を、パラティアは強く小突いた。


「それでね、それでね。私もマルギット様と一緒で、フロリアン様みたいな賢くて、背が高くて、ハンサムで、お金も家もあるような人を結婚するの!」


 黒髪の少女が言い終わると、同年代の女達も同じように悲鳴を上げた。それに反し、男共は苦々しい顔をし「ハッ」と息を漏らした。


 勿論、アーチーもおんなじだった。もう相手がいるのでは、どうしようもない。(アーチー、冷静になれ。お前にはカレンがいるじゃないか)


 やる気をなくし、椅子に座り直した青年の横で、パラティアが「救いようのない馬鹿ね」と小声で呟いた。


「ありがとう、ターシュカ。正解だ。皇帝について本当によく知っているね。でもマルギット様とフロリアン様は結婚はされていないよ。確かに、仲は睦まじいが」


 アーチーは既に諦め切っていたので、これ以上シャライの言葉に心を動かすことは無かった。そんな青年の気など知らず、シャライは続けた。


「皇帝に次いで二番目に偉いのが、そのフロリアン様だ。彼は宰相として、日々人々の為になるような事をしている。道を作り、壊れた橋や街を直し、悪人を取り締まっている。彼の弟のフェレンツ様も立派な方だ。ここで質問だが、フェレンツ様の役職は何かな?」


 アーチーは、その名前に聞き覚えがあった。(ああ、そうだ。あの栗毛の男)青年が勢い良く手を挙げるのを観てシャライは驚き、思わず彼を指名した。


「知ってるよ。この街に来たその日に会ったんだ。えっと、そうだ。雑務長官だ。雑務長官!」


「お兄ちゃん。それはあだ名で、本当の役職は財務長官だよ」


 シャライが答える前に、頭の良さそうな少年がそう言うと、部屋は笑いの渦に満たされた。パラティアはこれみよがしに、「はあ」と大きく溜息を吐いた。


「ああ、そうか。間違えちゃったよ。二択か…」青年は消え入りそうな声でそう言うと、背中を丸めた。


「タナールの言う通りだが、雑務長官というのも決して間違いではない」咄嗟に、シャライが補足を加えた。


「雑務長官というあだ名は、自分に縋る人々があれば、権限を越えてそれに必ず応じようとする彼の人柄を称えたものだ。それだけ、彼は人々に愛されている」


 笑いが収まり、シャライは続けた。


「この国には、まだまだ有能な人々が沢山いる。カラム・フネドラン様は外務・駅逓長官で、北方の森人フェルドの国や、東方の獣人アヴァルの国と仲良くする為に、日夜奔走しておられる。街に交易品が溢れ、それぞれの国に旅行に行けるのも、全て彼のお陰だ。ジョルト・ジエリンスキ様は帝国元帥という、軍の中で最も偉い立場におられる。彼は非常に真面目で、規律を大事にし、兵士が悪さをする事を許さない。立派な兵士が増え、治安が良くなったのは彼のお陰だ。カタリン・シェーネ様は、つい先日新たに魔術院の院長になった。彼女はまだ若いが、魔術の才能に溢れ、人々の為になるような魔道具の研究を…」


「アーチー様は、大丈夫か?」暫くして、シャライは心配そうに声を掛けた。


 部屋中の視線が、一点に集まる。その先には、眼を見開いたまま、その場で微動だにしないアーチーの姿があった。


 余りの情報量の多さに、青年は動きを止めたのである。こんこんと、パラティアはそんな彼の頭を軽く叩いた。


「空っぽね」そう言って、少女は1人楽しそうに笑った。

 

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