司祭の憂鬱

 シャライは眼を覚ますと、飛ぶように上体を起こした。恐ろしい夢を見たような気がし、鼓動は音を立ててそれを煽っていた。


 自分の部屋の寝床だった。辺りを見ますと、右隣には心配そうに自分を見つめるイルデが椅子に座っていた。


「先生、大丈夫?」


 シャライは少女の顔を見つめながら頭の中を整理した。


 少しずつ記憶が蘇ってくると同時に、シャライは自分の身体が汗だくになっていることにも気が付いた。


「私は、気を失ったのか?」

「うん。突然倒れて、ジュードさん達が運んでくれたの」


「そうだ、ジュード! ああ、ええと。ジュードと一緒にいた青年。ええと、アーチー! アーチー…様は何処におられる?」

「アーチーさんなら、晩御飯に使う野菜の皮を剥いてる」


「や、野菜の皮を剥いている?」

「うん。台所で」


「だ、台所で!」

「うん。だって、『働かざる者くうべからず』だもの」


 シャライは殆ど白目を剥きそうになるのを必死で堪えていた。来訪者に、夕食の用意をさせている。


 だが、子供達を責めることは出来なかった。何故ならその標語を考えたのは、他でもない自分なのだから。


    ◇


 大きな桶を真ん中にして、数人の子供達が野菜の皮を剥いていた。アーチーはそこに混ざり、おそらくは人参と思われる野菜の担当をしていた。


 子供達はチラチラと、仕事に励むフリをしながら、今日初めてやって来た青年のことを観ていた。


 アーチーは直ぐにそれに気づき、何かこの子達を楽しませる方法はないかと考えた。


「ねえ、君たち」親戚の小さい子供達にするように、アーチーは声をかけた。


「君たち、歌は好き?」


 子供達は互いに顔を見合わせた。1人が皆を代表して言う。


「好きです」

「仕事をしながら歌ったら、怒られるかな?」


「怒んないです。いつもシャライ先生は歌ってくれます」

「へえ、いい先生だ。君達も歌うの?」


「うん」

「じゃあ、今も歌いたい?」


「うん。でもお客さんの前だから…」

「緊張してるの?」


「うん」その子は耳を赤くして、頷いた。


「じゃあさ、俺が歌っても良い? とっておきの歌があるんだけどさ」


 子供達はもう一度顔を見合わせ、互いに頷いた。ゴーサインが出たので、青年は身体全体でリズムを取った。


「俺は、俺は王様になるんだ。そしたら君は、君は女王になるんだ。誰も連中を追い払うことは出来ないけれど、一日だけなら俺達は奴らを叩きのめせる。俺達はヒーローになれるんだ。一日だけならね」


 子供達は手を止め、聞いたこともない歌詞に聴き入った。ある子は何とか一緒に歌おうとしたし、ある子は微笑みながら一緒に身体を揺らした。


 アーチーも気分を良くし、手を止めて歌った。


「うるさい。口より手を動かしなさいよ!」という雷鳴のようなパラティアの声が隣の部屋から聞こえたのは、丁度2番が終わる頃だった。


 子供達は慌てて仕事に戻り、アーチーも仕方なくリズムを取るだけにした。


「彼女は怒ってなんかいないよ」ビクビクしている子供達に、青年は優しく言った。


「あれが彼女のいつものやり方なんだ。俺は最近、それに気付くまでに自殺せずに済んで良かったって思うよ」


 夕食の時間、シャライは気が気で無かった。


 食べる前に捧げる感謝の言葉を、空の上か、はたまた目の前にいる青年に言うべきか分からなかった。


 全部味がしなかった。来訪者が手を加えた料理と言うだけで、緊張してしまったからである。


 子供達が眠る時間になって、シャライはようやく疑問と向き合えることとなった。蝋燭の光が揺らめく部屋の中で、シャライはアーチー達に尋ねた。


「貴方は、本当に来訪者なのですか?」


(何処かで聞いたような台詞だ。まるで聖書だな)アーチーは思った。


「そうらしいんだ。ジュードとパラティアが言うには」


「この人は来訪者です」とジュード。


「この人は突然、我々の住む荒野に現れました。村人の話を聞き、私とパラティアが其処に行くと、見慣れぬ服を着て、聞いたことのない言葉を話すこの人がおりました」


「聖書の通りだ…」シャライが呟く。


「そうなんです。我々は、シャライ先生の師、パール先生より頂いた聖句集を用いてみました。するとどうでしょう、我々と同じ言葉を話すのです」


「パール先生の聖句集が、本当に使えたのか?」

「はい、使えました」


「何と言うことだ。あの人は、こうなることを見越していたのだろうか?」


 シャライは俯き、ぶつぶつ呟やきながら考え始めた。


 やはり、この人は来訪者なのだ。そう思った瞬間、シャライは顔を上げて椅子から立ち上がったかと思うと、地面に膝を付いて、アーチーを仰ぎ見た。


「主よ、どうかお許し下さい。2度までも貴方を疑ったことを。貴方とは分からなかったのです。全くもって、私は不信心でした」


「やめてよ。さあ、立って。俺は何とも思ってないんだ。子供達は良い子だし、ご飯も美味しかったし」


 青年に促され、シャライはようやく顔を上げると、元の場所に戻った。


 だが座りながらも「主がいる。偽物でも、幻でもない。私の目の前に、神がいる。信じられない。信じられない…」と独り言を続けていた。


「シャライ先生。昼間言った通り、我々は貴方のお力を借りる為に、ここまでやって来たのです」


「力を借りる? 一体何の力を借りると言うのだ、ジュード。来訪者がいれば、それで十分だろう。あとは君達王国人が決めることだ。そもそも、どうして帝国なんかに来たのだ。君達の国には、護教騎士団と言う立派な組織が…」


 そこまで言って、シャライはハッとした。カロルの言ったことを思い出したのである。


「君達のことか!」


 司祭はそう叫び、己の数奇な運命に驚愕した。これも神の成せる業なのだろうか。いや、その神は目の前にちょこんと座っているのだが。


「私は今日、帝国来訪教会司教書記のカロルという男から重大な話を聞いたのだ。彼は言っていた。来訪者を騙る者が現れ、護教騎士団と戦闘になった。逃亡に成功した彼らは、帝国に潜伏しているかもしれないと。それは、君達のことなんだな?」


「はい、恐らく」


 ジュードがあっさりと頷いたので、シャライは思わず眼を瞑った。


「ジュード、パラティア。よりにもよって君達が叛逆者とは…」


「誰かが立たなきゃいけないんです」パラティアが身を乗り出して言う。


「誰かが教団を止めないと。自分に都合の良いように教えを歪め、圧政を敷く大司教と、言いなりになっている国王を止めなければ、国が滅びます。私達の許に来訪者が降って来たのは、私達のやろうとしていることが正しい証拠です」


「それで、来訪者様を連れ回している訳なのだな」


「連れ回すだなんて、そんな言い方はあんまりよ!」パラティアは叫んだ。


「帝国人のシャライ先生には分からないのよ。貴方は来訪教の司祭でも、所詮は外国人よ。私達の苦しみなど、理解できぬのでしょう。神に縋るよう教えたのは、貴方達聖職者じゃない。その教えを実践して、何が悪いの!」


「パラティア!」感情を露わにするパラティアを、ジュードが制した。


「先生になんてことを言うのだ。お前は、シャライ先生とパール先生が我々の村々でしたことを忘れたのか? シャライ先生とパール先生以外、誰も俺達の村に手を差し伸べた者はいなかった。王国人でさえもだ」


 パラティアは俯き、両手で顔を覆った。


 そして震える声で「先生、ごめんなさい。今のは嘘です。私の中の悪が、そう言うよう仕向けたんです。どうか許して下さい」と言った。


 震えるパラティアの背中を、ジュードが優しく撫でた。ロタハは思わず立ち上がってアーチーの側に寄ると、青年の手を握った。


 それまで蚊帳の外に居たアーチーはその手を優しく握り返すと、口を開いた。


「司祭様。そうは見えないでしょうけど、俺は自分の立場をよく理解してます。俺は連れ回されているんじゃない。自分の意思で、2人に付いて行ってるんです。上手い言い方が見つからないけど、2人が自分達の為に、俺を利用したいんだってこともちゃんと知ってます。


 それを知った上で、俺はここまで2人を信じて付いて来たんだ。まだまだ俺は理想の来訪者って奴には程遠いけど、何とかやってみるつもりです。だから、先生。どうかお願いです。力を貸してくれませんか?」


 言い終わって、アーチーはシャライの顔をしげしげと眺めた。相手も眼を見開き、青年の顔を見返している。


「主よ、貴方がそこまで言われるのなら…」シャライは言った。


「ジュード、パラティア。謝るのは私の方だ。私が君達の行いを訝しんだのは、ただ君達の身が心配だからだ。だが君達と、そして主がその道を行くのなら、私は喜んでそれを支える。何が出来るかは分からんが」


 パラティアは真っ赤になった眼を上げると、「ありがとうござます。先生」と呟いた。


「さあ、長旅で疲れたでしょうから、今日はもう寝ましょう。寝床は準備してあります。詳しい話は、また明日聞きます」


「おやすみなさい」口々に答える若者達の中には、アーチーも混ざっていた。


 シャライは困ってしまった。眠る前のお祈りは、一体誰に向けてすれば良いのだろうと。


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