いつか人を殺すぞ

「ですが、やはり信じられません」


 シャライは少し考えた後、言った。窓から差し込む陽の光が、困惑する男の顔を眩しく照らしていた。


「信じられないのは私も一緒だ」相手が答える。


「だが何度も言う通り、これは護教騎士団の管区長自らの口から聞いた事なのです。それも、司教と私のみに。本国では徹底的な緘口令が敷かれているようです。まあ、大した効果はないだろうが」


「そのような大事な事を、何故私に教えるのです。私には権力など微塵もないのに」


「だからこそです。この噂はいづれ宰相の、内偵部隊の耳に入るでしょう。宰相はこの情報を利用し、王国に対する民衆の危機感を煽るかもしれない。もしそうなった時、最初の標的は他でもない、帝国人司祭の貴方なのですよ」


「ゼルハルジュ様が、そのような事をする筈がない!」シャライは小さく叫んだ。


「カロル様。司教付書記官の任にある貴方なら、今の皇帝とその側近達が如何に善政を敷いているか、ご存知でしょう?」


「それはよく理解しています。本国の貴族や聖職者より、皮肉にも異教徒の彼らの方が天国に近い。私が言いたいのは、ただ十分に用心なさるよう、という事だけです」


「来訪者様の名を騙る者など、王都の病院には沢山いるでしょう」


「ええ、大勢ね。来訪者だけでなく、あそこには大司教、貴族、国王、姫、将軍、騎士団長、怪物、はたまた自分を山だの海だと思い込んでいる者が大勢います」ニヤリと、カロルは笑った。


「私も、これが冗談で済めば良いと思う。だが、全ては神の意思によるものなのだ。未来がどう転ぶか、下々の我々には決して分からない。しつこいようだが、用心なさい。私はこれで失礼する。貴方に、来訪者の祝福がありますように」


 シャライは馬に乗って去るカロルの背中を見送りながら、ホッと胸を撫で下ろした。


 帝国来訪教会司教の書記官として本国より派遣されたカロルは、時折フラッと、シャライの孤児院に寄ることがあった。


 そうして附属している小さな祭壇に祈りを捧げると、取り留めのない会話をして去って行く。


 シャライはカロルを言葉の上では歓迎しながら、内心、かの男が自分達を監視しているのだと言うことに気が付いていた。


 カロルと話す度、要らぬ疑心を生まないようシャライは多大な気を使ったが、今回は特にくたびれる内容であった。


 王国に来訪者を騙る者達が現れ、護教騎士団と戦闘になった挙句、行方をくらました。そしてあろうことか、その者達はどうやら帝国に逃げ込んだ可能性があるという。


(何故敵国である帝国に逃げる? 何故護教騎士団と戦闘になった? 何故精強を誇る護教騎士団が取り逃した? 何故王国はそれを秘匿している? そしてカロルは、何故その話を自分にした?)


 頭痛を覚え、シャライはこめかみを抑えた。カロルは用心するよう言ったが、これでは逆に不安を煽るだけだった。


(考えていてもしょうがない)


 シャライは取り敢えずそう結論付けると、仕事に戻ろうとした。そんな時、誰かがシャライの服の裾を掴んだ。


「誰だ? ああ、イルデか。どうしたのかな?」


 司祭が振り返ると、相手は言った。


「先生、誰か来たわ」

「誰か。誰か分からないのか?」


「うん。初めて見掛ける人達なの」

「人達? 複数人なのか?」


「うん、4人。背が高くて、力の強そうな人がいるの」


 それを聞いて、シャライの顔から血の気が引いた。(まさか、カロル様の言っていたことが…)


 シャライはイルデに他の子供達と固まって奥の部屋にいるよう言うと、深く深呼吸をした。彼は神の道を行く者らしく、若干の魔術を使うことが出来た。


 だが敬愛する師に従い、それは人を癒し助ける為に使うのであり、決して傷つける為には用いないと、神に誓っていた。


 もしその見知らぬ4人組が、来訪教徒狩りを目的としても、自分は誓いを守るわけには行かない。


 だが子供を守る為には…。そんな悲痛な気持ちを固めて、シャライは玄関の扉を開いた。


「当院に、何かごようでしょうか?」


    ◇


 出て来た男はそう言って、顔に笑みを浮かべた。だがその表情はどこかぎこちなく、声も震えていた。


「先生」ジュードが声を掛ける。


「シャライ先生、お久しぶりです。私です、ジュードです。覚えてはおられませんか?」


 先生と呼ばれた男はポカンと口を開けたまま、相手の顔をジッと観た。


「ジュード。ああ、ジュードか!」


 そう叫ぶと同時に、シャライは自分の膝の力が無くなるの感じた。慌てて扉を両手で掴み、辛うじてその場に立つことが出来た。


 自分の情けなさと安堵の両方から、シャライは泣き笑いのような顔になっていた。


「何てことだ、ジュード。君にまた会えるなんて。ならば、まさか側にいる君はパラティアか?」


「そうです、先生。お久しぶりです」ニッコリと、少女は微笑んだ。


「いや、大きくなった。とても綺麗になったが、その可愛らしい笑みは変わっていないね」


 可愛らしい笑み、と聞いてアーチーは大きく眼を見開いた。この人と自分が観ているのは、果たして本当に同じ人間なのだろうか?


「では、後の2人は誰だろう? すまない、名前が思い出せないのだが」


「先生。2人については中に入ってお話ししてもよろしいでしょうか?」とジュード


「ああ、そうだ! すまない、どうぞ入りなさい。ちょっと考えことをしていてね」


 シャライは4人を応接間に案内すると、直ぐにイルデの許へと行き、もう子供達を好きなように遊ばせても良いこと、それと水を4人分持ってくるよう言い付けた。


「まさか、生きている内に君たちに再会出来るとは思わなかった」


 先程とは打って変わり、シャライの笑みは自然で、この再会を心から喜んでいるようだった。


「先生、私たちもこうして会えた事を心から喜んでいます」とパラティア。


「だが、一体何の用でヴィラぺシオンまで遥々来たんだい? 此処は、君達王国の来訪教徒にとって居心地の良い場所ではないと思うが」


「はい、先生。我々は止むに止まれぬ理由で此処に来たのです。先生のお力に縋る為に」とジュード。


 そこまで聞いて、シャライは何となく彼らの目的が分かったような気がした。多くの孤児の面倒を観る男の眼は、ジュードとパラティアが連れて来た少女に移った。


「なるほど。お嬢ちゃん、君の名前はなんと言うのかな?」


「ウチは、ロタハです」

「この娘は、グミル派なんです」とパラティア。


 グミル派、と聞いてシャライは全てを察した。この娘は異端弾圧に巻き込まれて、親を無くしたのだ。


 それをジュードとパラティアが保護し、此処に連れて来た。シャライはそう結論付け、納得した。まだ名前を聞いていないが、きっと側にいる青年もそうだ。


「分かった。もう心配はいらない」優しげな笑みを浮かべて、シャライは言った。


 それは慣れぬ土地で心配しているであろうロタハを安心させる為であり、またカロルの言葉に怯える自分の為でもあった。


 やはりあの来訪者騒ぎは、王国人の早とちりなのだ。最後の来訪者がやって来て、かれこれ50年になる。そう簡単に本物が現れる筈がない。


 仮に本物だとして、わざわざ帝国に来る筈がない。冷静に考えれば分かる話だった。シャライは先程までの自分を、笑い飛ばしたい気分だった。


「それで、君の名前は?」

「アーチーです。アーチー・アダム」


「そうか、アーチー。苦労したね。ロタハと君とは、兄弟かな?」


 アーチーとロタハは顔を見合わせた。


「先生、この人はグミル派ではありません」とジュード。


「すまない、早とちりとしてしまった。では他の派かな? それとも、何か国を追われる理由がでも?」


「先生、私達が今日参ったのは、そのことなのです」


 ジュードは3人の仲間を見遣った。それから決心すると、言った。


「先生、どうか我々が乱心したと思わず聞いて下さい。これは神に誓って本当の事なんです。嘘ではありません」


「どうしたんだ、私が君達を疑うとでも? 良いから、さあ話しなさい」


「はい、先生。このお方は、このお方は来訪者なのです」


 一瞬、場は沈黙に包まれた。シャライは暫く真顔で4人の若者を眺めていたが、耐えきれず、笑い出してしまった。


「ジュード。君は子供の頃から真面目だったが、冗談を言うようになったのだな」


「先生、嘘ではありません。どうか信じて下さい」


「ジュード、そう言う冗談は良くないな。来訪者の名で気安く遊んではいけない。そんなことでは、君も王都の病院に入れられてしまうぞ」


「埒が明かないわ」パラティアは立ち上がると、アーチーの腕を取った。


「先生、中庭はどこですか?」

「一体どうしたんだい?」


「先生に、面白いものをお見せします」


 パラティアは中庭に行くと、真ん中にアーチーを立たせた。


(やれやれ…)


 少女の魂胆を理解した青年は、心の中で溜め息を吐いた。しょんぼりしながら立つアーチーの横で、パラティアの表情は自信満々だった。


「パラティア、どうした。一体何をするつもりなのだ?」


 シャライが不安そうに見守る中、パラティアは指先から炎を出すと、それをアーチーに向けた。


「何てことを、ああ神様!」シャライが叫び終わらない内に、青年の体は炎に包まれた。


 慌てふためき、パラティアを止めに行こうとするシャライを、ジュードが引き留めた。


「ジュード、何をしているんだ。あの子を止めなさい。人を殺してしまうぞ!」

「先生、どうか落ち着いて。ほら、アーチーのことを、よくご覧になって下さい」


「何を悠長なことを。君達は、気が触れたのか!」


 シャライはジュードの腕を振り解こうともがきながら、人間の火の柱を観た。そこでようやく、司祭は何かがおかしいことに気がついた。


 肉を焼く臭いがしない。それに火を付けられた青年は、苦しみから逃れようと暴れることもなく、静かにその場に立っていた。


「えっと、ハーイ…」


 自分を凝視する司祭に向かって、アーチーはぎこちなく笑いながら手を振った。


「先生、あの人は来訪者なんです。嘘ではありません」


 シャライは「ああ、神様…」と小さく呟くと、ジュードの手の中で気を失った。


(このサプライズは、いつか人を殺すぞ)


 全身を火に覆われながら、アーチーは心の中で呟いた。






 


 

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