悪徳の都

 4人の若者は、門を前に立ち尽くした。


 唖然と見上げるアーチー達を、それぞれ背中に翼を持った2人の巨大な女神の像が見降ろしている。


 身体つきは豊満で、衣服は肌にぴったりと張り付いていた。アーチーは特に、女神の胸元にある豊かな2つの膨らみから眼を離せなかった。


 青年の行動を咎める者が1人もいなかったのは、皆似たように眼を釘付けにされていたからである。


 それくらい石像は見事で、まるで生きた人間をそのまま石にしたようだった。


「どうした。何をしている」


 長々と門の前にいる若者達を見兼ねて、門衛の兵士が声を掛けてきた。慌てて、ロタハが答えた。


「余りにこの像が神々しいから、見惚れてしまってたんです。ウチら、初めてこの街に来たものですから」


「観るのは一向に構わんが、そこだと通行の妨げになる。端に避けて観るように」


「いや、もう良いです。すいません、ご迷惑おかけしました」


 ロタハはそう言いながら、他の3人に早く行くよう促した。


「誰があんな売女の像なんかに見惚れるのよ」門をくぐって少ししてから、パラティアは吐き捨てるように言った。


 アーチーは女神像の膨らみを忘れる事が出来ず、それのせいで今晩はよく眠れなくなる事を思うと、憂鬱になった。


 だがヴィラぺシオンの街は、そんな小さなことにいつまでも青年を固執させる程面白みのない場所では決して無かった。


 まず初めに、アーチーは道の広さに驚いた。道は3つに区分けされていて、両側を人が、真ん中をロバや馬、そしてそれに牽かれた車が通っていた。


 両脇に並ぶ建物は、これまで寄ったどの街のものよりも高く、丈夫そうだった。


 道は真っ直ぐと伸びていて、その先には大きな広場が観えた。そこには石柱が聳え立ち、更にその上に騎乗した人間の石像が置かれていた。


 まだ広場に行きて付いていないアーチーにもその様がよく観えるのは、その2つが余りにも巨大だからだった。


 人の数はサロヤン以上で、獣人と森人の数も多かった。街の至る所には神像と祠があり、その一つ一つにきちんと捧げ物がされてあった。


 耳が長かったり、獣の耳や角を持った神像は、恐らく獣人と森人の神達だった。


 パラティアの顔は怒りを越えて、青ざめていた。これ程までの異教の神々を前にし、流石の気丈も打ちのめされたらしい。


 ロタハがそんな少女に寄り添って手を握り「大丈夫や。大丈夫」と囁くと、パラティアは小さく頷いた。


 目の前に光景に慣れ始めると、アーチーは驚きを越えて、この街に対する好奇心で一杯になった。


 それは青年にニューヨークを思い起こさせた。小さい頃、ブルックリンに住む親戚を尋ねた時の記憶が色鮮やかに甦って来た。


 だがパラティアはダメだった。最早死人のように色を失った少女の顔を観て、アーチー達はすぐさま近場の飯屋に入ることにした。


 店に入って風通しの良い窓辺の席にパラティアを座らせると、すぐにジュードは水を頼んだ。


 水を飲み、7度深呼吸をして、少女の顔は幾らか色を取り戻した。


「ああ、神よ。どうか私をお守り下さい…」パラティアはそう言うなり、項垂れた。


「大丈夫かい?」アーチーが声を掛ける。


「平気よ、ただの立ちくらみだから」


「無理しないでさ、ここで暫く休んでいこうよ」


「大丈夫だって言ってるでしょ。大事にしないで。私が惨めになるでしょう」


 怒った少女が無理矢理にでも立ちあがろうとした時、何処からともなく腹の虫が鳴った。


 それが誰のものか詮索する間も無く、パラティアは顔を真っ赤にして、静かに座り直した。


「まあ、何はともあれまずは腹ごしらえだ。街に気押されたのはお前だけじゃない。これからシャライ先生の家も探さねばならないのだからな」


 ジュードの一声で、4人はそこで食事を取ることにした。アーチー達はそこでようやく、緊張の余り自分達が空腹をすっかり忘れていた事を知った。


 パラティアは悪徳の都で食事をすれば、神が怒って自分の身体を石にするのではないかと恐れたが、そんな事は無かった。


 4人はすっかり元気を取り戻し、街の感想と、これからどうやってシャライの家を探すかを話し合った。


 シャライは来訪教徒の司祭だから、居場所を尋ねれば自分達が来訪教徒であることがきっとバレる。それはなるべく避けたかった。


 そんな時、アーチー達が座っている卓の側を2人の男が通った。


 片方はそのまま通り過ぎたが、もう片方が立ち止まり、訝しげにアーチー達の事を眺めた。


「お前ら、来訪教徒か?」


 男の言葉に、4人の若者は凍りついた。


 アーチーは振り返り、こちらに話し掛けてきた者を見遣った。その顔はどうみても、こちらに親しげな感情を抱いているようには見えなかった。


「おい、ユーライ。こいつら来訪教徒だ」男が連れに声を掛けると、もう片方もこちらに近付いてきた。


「何、本当か?」

「間違いない、王国の司祭供と同じ訛りだからな。5年前に聴いたことがある」


 ロタハは咄嗟に否定しようとしたが、自分の嘘がバレた時の事を考え、言葉が出なかった。この男は、本物の王国人を観たことがあるのだ。騙し通せることは叶うまい。


「王国の人間が、こんな所で何していやがるんだ?」


「気を悪くしたら謝るよ」アーチーは立ち上がり、男達を宥めようとした。


 なんのことはない。因縁を付けてくるチンピラを宥めるのは、アーチーの数少ない特殊スキル(少なくとも、本人はそう思っていた)だった。


 この場を丸く収め、店と他の客の迷惑にもなる前に静かに去る。それが救世主の考えた最善策だった。


「ただ食事をしてただけさ。もう終わったから、行くよ。ここに座るかい? 日当たりも風当たりも抜群の特等席だよ。さあ、皆行こう」


 そそくさとその場を離れようとするアーチーの肩を、男が掴んだ。


「待てよ、話は終わっちゃいないぜ。俺はお前らに、こんな所で何をしてるんだ?と聞いたんだ。それを答えるまでは、何処にも行かせねえ」


「へへへ」アーチーは顔一杯に愛想笑いを浮かべて、振り返った。


「言っただろう? ただ食事をしてただけだよ。ここは川魚が絶品だ。食べたことある? きっとソースが良いんだな。口の中で、味がコロコロと変わるんだよ。ぜひ食べてみて欲しいな。一度食べたら、きっと病みつきに…」


 アーチーは腹部に一撃を喰らい、最後まで話終えることが出来なかった。青年は腹を抑えて、思わずその場にしゃがみ込んだ。


「何馬鹿な事を抜かしてやがる。異教徒の蛆虫が! ここは俺達の国だ。お前らみたいな不信心者がくる所じゃねえ! 魔物にも劣る外道供め!」


 男は更に、蹴りを数発アーチーにお見舞いした。


 男供をこの店ごと燃やそうとするパラティアを、ジュードとロタハが必死で止めた。何もすることが出来なかった。


 相手の気が済むまで耐えるしかない。ここは所詮敵地なのだ。だがそんな時、今度は誰かがアーチーに蹴りを入れる男の肩を叩いた。


「邪魔するなバカが!」


 振り返った瞬間、男は頬を強く打たれて文字通り吹き飛んだ。


 連れの男も同様に殴られ、その場に倒れた。彼らに代わり、新しい2組の男達がアーチーを見下ろしていた。


「まだ生きているかな?」片方の男はそう言うと、アーチーを抱き起こした。


 青年は何とか立ち上がり、男達の顔を観た。アーチーを抱き起こした方は灰色掛かった金髪を短く刈っていて、もう1人は明るい栗色の毛だった。


 栗毛の方が言う。


「今、ここにいるマキシムがお前達を殴ったのは、お前達が明らかに法を破ったからだ。この者達は、場を五月蝿く騒ぎ立てたり、人に暴言を吐いたり、無銭飲食をしたり、神々を冒涜してもいなかった。お前達はただ、この者達が来訪教徒であるという理由だけでこの者達に暴言を言い放ち、あろうことか手を出した。これは他でない、我らが皇帝への背信である。何故ならこの国では皇帝の名の下に、信教の自由が認められているからだ」


 栗毛の若い男が言い終わると、マキシムと呼ばれた若い金髪の男が暴漢達を起こそうとした。


 だが暴漢達はその手を払い除けると、2人の若者を睨みつけた。


「やかましい。それが何だと言うのだ。お前は一体、何の権限があって俺達にそんな偉そうな口を聞いている」


 それを聞いて、マキシムは笑った。


「このお方を知らないと言うことは、お前達はこの街に来て日が浅いという事だな。このお方は、フェレンツ・ゼルハルジュ様。宰相フロリアン・ゼルハルジュ様の弟君で、財務長官を務めておられる。どうだ、聞いたことぐらいはあるだろう?」


 暴漢は互いに眼を見合わせると、そのまま脱兎の如く逃げ出した。


「馬鹿供が、魔物にも劣るのは貴様らの方だ。折角の昼が台無しだ」


 栗毛のフェレンツはぶつぶつと文句を言いながら、店で騒いだ分を上乗せして、恐縮する店の主人に代金を握らせた。


「災難だったな、王国の方々」マキシムは笑みを絶やさず、アーチー達に話しかけた。


「あ、ありがとうございます。お陰で助かりました」

 

 まだ状況がよく飲み込めていないアーチーは、眼を瞬かせながら答えた。


「礼には及ばさんさ。何かあれば、このフェレンツ様を頼るが良い。何でも、聞いてくださるからな」


「マキシム!」フェレンツはマキシムを睨みつけ、叫んだ。


「今回は見るに見兼ねてやっただけのことで、こう言うのは警備隊の仕事だ。これからは何かあれば、警備隊を頼るべきだ。それでは、私は失礼する」


 フェレンツ達がそうやって通り過ぎようとする時、ロタハが声を掛けた。


「あのお」


「何だ。まだ何かあるのか?」面倒臭そうに、だがしっかりと足を止めてフェレンツは答えた。


「シャライ先生の家は何処か、ご存知ですか?」


 フェレンツは暫く少女の顔を眺めた後、「はあ」と溜息を吐いて言った。


「舌の根も乾かぬ内にこれか」


「良い事です。子供はこうでなくては」困り果てる上司を横に、マキシムは快活に笑った。







 

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