第3章

金色のヤドヴィガ

「異常に気づいたのはいつ?」

「つい先程です」背が高く、顔の下半分を豊かな髭で覆った兵士が答える。


 相手はその兵士より頭一つ分は背が低いが、太陽のように光輝く見事な金髪を持った森人フェルドの女だった。2人は歩きながら喋っていた。


「定時報告がないので、気付きました。簡単な睡眠魔術のようです。隊長にご報告したのは、それから直ぐです」

「連中はまだいるの?」


「おります、数は5人。立って歩いているのが2人、生死不明が2人、完全に動かないのが1人。恐らくは、全て来訪教徒かと」


 途端、女の足が速くなった。


「全隊員を配置に付けなさい。皇帝にはまだ伝えなくても良いが、部屋には誰も入れるな。それと、私の斧と盾を持って来て。急いで!」


 そう言うなり、女は皇宮前広場に向かって、風のように駆けて行った。


   ◇


「カレン、俺はやったよ!」地面に大の字になりながら、アーチーは夜空に向かって叫んだ。


「カレン、カレン。 ああ、カレンカレンカレン! 君に俺の格好良いとこを観せたかった。誇張抜きで、ヤバいぐらい俺は良い仕事をしたんだ。イカれた殺人鬼を殺してやった」


 青年に胸元には、泣きじゃくるロタハが顔を埋めていた。アーチーはそんな少女の頭を優しく、猫にやるように撫でながらも喋りづけた。


「カレン、君は手を血で濡らした男は嫌いかな? でも肉屋でアルバイトしてるんじゃないんだ。俺はヒーローなんだ。マジだよ、嘘じゃない。カレン、俺はヒーローなんだぜ? それなのに君は俺の側にいないし、キスもしてくれない。これって不公平だ。なんだ、映画と全然違うじゃないか」


 ジュードに肩を貸してもらい、アーチーはようやく立ち上がることが出来た。身体のあいこちが動かす度に痛く、全身から酸っぱい血の匂いがした。


「ジュード、君だけよ。俺の側にいてくれるのは…」

 

 疲労と興奮で放心状態になった青年は、酔っ払いのようだった。千鳥足でうわ言ばかり言う青年を、ジュードとロタハとが支える。


「しまらないわね」パラティアが言う。


 パラティアも体力の消耗という点でアーチーとは大差なかったが、まだ何とか自力で歩くことは出来た。


 口ではそう言っても、少女の口元は笑っていた。


 そこには一切の軽侮の念は無く、満ち足りた達成感に溢れていたが、肝心のアーチーはそれに気付いていない。


「良いさ。何だって良い。俺達は勝ったんだ、護教騎士団の指揮官相手に。しかも、皆生きている」ジュードが誇らしげに言う。


「ボロボロじゃない」

「ああ。だが生きている。生きていれば、いづれ傷は癒えるし、また元気になれる。胸を張ろう。そして帰ろう。我らが主と共に」


「今日だけよ」4人は互いに寄り添い、ゆっくりと歩き出した。


「カレンって一体誰なのよ…」パラティアがそう呟いた時だった。


 未だ呆けているアーチー以外の3人は、こちらに向かって駆けてくる足音を聞いた。数十人はいるようだった。


 皇宮に続く城門が開き、そこから大勢の兵士達が出て来た。「森人フェルドだ」唖然として、ジュードが言った。「皇帝親衛隊か…」


 兵士達の半分はアーチー達を取り囲み、後の半分は大神殿に向かった。取り囲んでいる間、屈強な森人フェルドの男女で編成されている親衛隊の兵士達は、一言も言わなかった。


 暫くして、大神殿から1人の兵士が駆けてきて、指揮官と思わしき森人フェルドに報告をした。絹のような金髪を肩で切り、先を編み込んだ女。


「ヤドヴィガ隊長、大神殿の警備及び神官達も同様に眠らされておりました。命に別状はありません」


 ヤドヴィガ隊長と呼ばれた金髪の女は頷くと、包囲の輪の中にいるアーチー達を睨みつけた。


 森人フェルド語での会話の内容は分からなかったが、アーチー達にとって不味い状況であることは、表情で簡単に分かった。


「お前達は、来訪教徒か?」今度はアーチー達と同じ言語だった。

「何、何だい? もう寝る時間かい?」


 呆け続けているアーチーの頬を、パラティは平手打ちした。正気に戻った青年は、自分達が置かれている状況をようやく理解した。


「何か誤解があるようだ。我々は確かに来訪教徒ですが、やましい事など何もありません」ジュードが弁明をする


「そこに置かれている死体は何者だ。お前達の仲間か?」

「それは」ジュードはベルジマンの遺骸を振り返った。


「何と言っていいか、彼も来訪教徒です。その、つまりは我々の内のいざこざであって…」


 ジュードが何とか言葉を繋いでいる時、皇宮の方からまた1人親衛隊の兵士が駆けてきた。


 その兵は奇妙な紋章の入った盾と、巨大な斧を手に持っていて、ヤドヴィガはその2つを受け取ると、前に進み出た。


「お前達の好きにはさせん。ここは帝国で、皇帝の座す所だ。そして私は、その両方を守る使命にある」


 ジュードはアーチーをロタハとパラティアに預けると剣を抜き、前に出た。話は通じず、他に手は無かった。


 アーチー達を取り囲む兵士達もそれぞれの武器を構えようとすると、「手を出すな!」と金髪の指揮官が声を荒げた。


「手を出すな、私が全員を倒す!」


 ヤドヴィガが何と叫んだのかジュードには分からなかった。だが相手が重心を低くこちらに向かってくると、ジュードも剣先を空に向かって掲げた。


 ジュードの振り下ろした剣は、相手の構えた盾に弾かれた。互いに衝撃が走って、一瞬の間が生まれたが、先に動いたのはヤドヴィガだった。


 相手が横一線に払った斧を避けて飛び退き、体勢を立て直すと、今度はジュードの番だった。


 腰を引き、再び剣を構えると、ジュードは跳躍しながら相手に斬りかかった。


 惜しくも刃先は当たらなかったが、主導権を握ったジュードはそのまま連続で相手を切りつけようとする。


 1回目と2回目は避けられ、3回目は盾に弾かれた。


「ジュード、そこを退いて!」


 パラティアの叫びに反応し、ジュードは道を開けた。すると直ぐに火球がその道を通り、ヤドヴィガが構える盾に向かった。盾ごと、相手は火炎に包まれた。


 だが周りを取り囲む親衛隊の兵士達は顔色一つ変えず、火炎に包まれた自分達の指揮官を観ていた。


「魔防具だ!」ジュードが叫ぶ。「パラティア、もっとだ。もっとやれ!」


 言われた通り、パラティアは火球を放ち続けた。絶え間なく撃たれる炎によって、辺りは昼のように明るくなった。


 だがベルジマンとの痛手が残るパラティアは、次第に体力を失い、地面に倒れた。


 ヤドヴィガはまだ燃えていた。だが悲鳴もなければ、肉が燃える嫌な匂いもしない。ジュードは呼吸を整え、次の攻撃に備えた。


 やがて炎が消え、案の定あの不可思議な紋章の描かれた盾が姿を現した。


 紋章は所々が消えかかり、盾から顔を出したヤドヴィガの顔は黒く汚れ、髪先は炙られている。だが生きていた。


「い、いやあ…」アーチーが思わず言葉を漏らす。「お、俺以外にも、来訪者がいるんだな」


「違う」息を整えながら、パラティアが答える。


「あれは魔力が込められた盾で、魔術の力を軽減する代物よ。軽減するだけで、完全には消せない。あの女だって、無傷では無いはずなのに」


 ヤドヴィガはパラティアの様子を観察すると、黒焦げた盾を投げ捨てた。


「あの女」その様を見ながら、パラティアが悔しげに呻く。


「私がもう戦えないと思って。クソ、異教徒の、長耳の傲慢者、化け物め。クソ、クソ…」


 ヤドヴィガは斧を両手で持つと、ジュードに向かって歩き出した。ヤドヴィガの扱う斧は、振るだけで空気を切り裂き、相手に強風を送った。


 ジュードはその台風のような風と、鋭い雨のような斬撃に次第に追い詰められていった。


 そしてある時、ジュードは足を転ばせ、体勢を崩した。


 振り下ろされる斬撃を、ジュードは何とか剣で受け流したが、その衝撃で剣にヒビが入り、ジュードは武器を無くした。


 ジュードがアーチーの剣を受け取ろうとした時、驚くべきことに、ヤドヴィガも斧を地面に置いた。


 ジュードは一瞬戸惑ったが、相手の挑戦を受けて立つことにした。肉弾戦なら、まだ勝機があるかもしれない。


 最後の力を振り絞り、ジュードは相手に向かっていった。殴り合いなど、子供の時以来だった。


 自分の放った拳が相手の腕によって簡単に防がれた時、ジュードはこの森人フェルドの女が、親衛隊の指揮官に選ばれた理由が分かったような気がした。


 ヤドヴィガは相手の攻撃をいなしながら、冷静に反撃を加えた。


 アーチーはまるでロッキーの映画を観るように、その戦いを観ていた。だがジュードは、ロッキーになれそうも無い。


 顎に一撃を喰らって、ジュードは自分の目の周りがパチパチと光るのを感じた。


 そこから先はなされるがままで、気づいた時には両手を下に下ろし、地面に膝をついていた。


 朦朧とする意識の中、相手がこちらに一度背を向け、最後の蹴りを入れようとする様を、ジュードは黙って観ていた。


「やめてくれ、頼む!」


 ジュードはどこか遠くでアーチーの叫び声がしたような気がした。


 ヤドヴィガの足は、ジュードの顔の直ぐ横で止まっていた。だが触れられるまでもなく、ジュードは意識を失い、その場に倒れた。

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