流石は来訪者様

 昼間から広場の階段に座り、アーチーは子供の頃の記憶を掘り起こしていた。


 自分の家から5軒先の横並びの家に、中年の男が住んでいた。その男は毎日変わらず自宅の庇の下のロッキングチェアに座り、一日中本を読んだり、ビールを飲んだり、寝たりしていた。


「あの人は何をしているの? 働かなくていいの?」その男について小さいアーチーが尋ねると、父は答えた。


「あの人は戦争に行って、とても大きな仕事をしたんだ。だから、もう働かなくて良いんだよ」


(働かなくてなくて良い)アーチーはもう一度、心の中で呟いた。


 今の自分は、あの男と同じように観られているのではなかろうか。あの男はその後、頭を銃で撃ち抜いて亡くなったが。


 広場には確かに、青年の世界で言う所の引退した老人達が集まっていた。各々談笑し、何かしらの盤上遊戯をやっている。その中で若者は、アーチーだけだった。


 青年以外の3人は、金を稼ぐためにそれぞれの仕事に向かっていた。ジュードは港湾の荷物降ろし、パラティアは代筆、ロタハは石鹸工場に働きに行っている。


「アーチー、貴方はお疲れでしょうし、この世界にも慣れていないのだから、ご自由に時間をお過ごし下さい」


 アーチーだけが何もしていないのは、ジュードがそう薦めたからに過ぎなかった。それは青年にとって、決して納得の行く理論では無かった。


 何故なら、アーチーは自分のことを真面目な勤労青年だと思っていたし、理想のアメリカ人とはかくあるべきだと思っていたからだった。


 買い物代行、シッター、バイクの修理、新聞配達、レモネード売り、果樹園の手伝い。これは全部アーチーがこれまでにやって来た誇るべき仕事の数々だった。彼は常に真面目で雇い主には正直だった。


「ごめん、直せないや」


 バラバラになったバイクを目の前に雇い主にそう言っても、片目に痣を作るだけで済んだのは、そんな青年の人柄によるものと言って良い。


「そんな、悪いよ。みんなを働かせて自分だけ何もしないなんてさ」


 アーチーのその言葉は使命感でなく、本心から出たものだった。だが氷の女王、恐るべき理性派のパラティアが言った。


「言葉は話せても、文字を書いたり読んだりは出来ないでしょう。この世界の道理がまだ分かっていないし、そもそも身体もひょろひょろじゃない。良いから黙って遊んでなさいよ」


 青年はその言葉に衝撃を受けた。(ひ、ひょろひょろ? ひょろひょろだって? こ、この俺が…?)


 アーチーは言い返そうとしたが、横にいたジュードの姿を観て言葉を失った。そうか、真の男の肉体というものは、こう言うものか。じろじろと身体を見られて、ジュードは恥ずかしそうに顔を伏せた。


 青年は最後に、自分の体を魔術で痛め付けて見せる大道芸を提案したが、これは3人全てに却下された。以上が、アーチーが1人広場で呆けている理由の全てだった。


 アーチーは溜息を吐き、歩き出した。やはりこんなことをしてはいられない。何かしらの仕事を見つけないと。青年の足は自然と、アーケード状になっている商店街の方へと向かった。


 この国の兵士は本当に親切だった。何せ、昼間からウロウロしている青年を観ても、詰問したりしないからである。


 兵士は街中の至る所にいた。港湾の入り口に交易所、入浴所や商店街の、そして歓楽街の出入り口。


 兵士の大半は帝国兵で、残りが獣人だった。物言いは硬いが高圧的ではないし、王国の兵隊のように子供を投げたりしないし、護教騎士団のように雷を打ったりもしなかった。下手をすれば、アーチーの祖国より治安が良いかもしれない。


 そんなことを思いながら繁華なアーケード街を歩いていると、人だかりが出来ている場所があった。近付いてみると、人混みの中から背の高い2人の兵士の姿が観えた。


「兵士様、聞いて下さい」その中の1人が、兵士達に話しかけていた。


「神々に誓って申し上げます。ここはひどい店です。果物を5つ買ったら、その内2つが腐っていたんです。品物を変えてくれと言っても、出来ないと言うんです」


「だから、先程から言ってるんです。聞いて下さい、兵士様」店先に立っている店主と思しき1人も負けじと兵士達に言う。


「仕入れ先がよく選別しないで寄越したんです。普段やってくる主は、飼ってる馬のお産だとかで来ないし、代替の者はまだ素人の子供で、自分には分からないの一点張りで、金を受け取ったら直ぐに帰ってしまったんです。詐欺なんかじゃない。神々に誓って本当ですよ。新しいものをあげたって、それがまた腐ってるかもしれません。そしたらまた新しいものをあげなくては、そしたら、うちは破産ですよ」


 2人の兵士はどうすべきか困り果て、互いに顔を見合わせた。論争の中心にある客と主人は互いの主張を曲げず、周りの人々は笑いながら彼らを囃し立てている。


 主人の横にある木箱には、オレンジのような果物がこんもりと積まれていた。どうやら問題の果物とは、それの事らしかった。それが分かると、アーチーは人混みの中を掻き分けて前に出た。


「俺、分かるよ!」嬉しさの余り、青年は叫んだ。


「農園で働いてたことがあるんだ。その果物(と似たようなやつ)も取ったことがある。だから、俺なら分かるよ」


 主人と客は一瞬無言になり、青年のことを眺めた。その眼には明らかに不審の念がこもっている。


 兵士の1人は、問題がややこしくなる前にアーチーを退けようとしたが、もう1人が押し留めた。


「やらせてみよう。俺達では埒があかん」


 兵士にそう言われ、店の主人は渋々、木箱に近づこうとするアーチーに道を開けた。


 青年は果物一つ一つを手に取り、眺め、重さを感じ、互いに比較し、匂いを嗅いだ。その一挙手一頭足を、周りは好奇心に満ちた眼で見つめていた。


「面白いものを見せるよ」アーチーはそう言うと、皆に振り返った。


「今から俺が選んだ果物を10人にあげる。それは全部腐ってないものだ。貰ったら、それを切って中身を見て欲しい。もし腐っていたら、その分の料金をこっちが払う。腐っていなかったら、タダで持っていってもらって良い。どうだい?」


 店の主人は悲鳴をあげてそれを止めようとしたが、兵士の1人が「やらせてみよう。駄目なら、奴から金を取れば良い」と説き伏せた。


 人々は喜び、アーチーの手から果物を受け取った。そして10人に行き渡った所で、兵士が剣でその1つ1つを切った。1つ切るたび、嬉しそうな歓声が周りから湧いた。


そして10個目になった時、歓声は一際大きくなり、拍手まで起こった。10個全てが、腐っていない果物だったのだ。


「訳ないさ」周りの賞賛に、アーチーも誇らしげになった。青年は即座にまた新しい果物2つを取ると、最初の客に渡した。


「俺の審美眼はこれで分かったでしょう。ので、この2つを貴方に返品します」


 客はようやく満足したように頷くと、青年と兵士達に礼を述べ、店の店主には非礼を詫びてからその場を立ち去った。


「いやあ、大したもんだ。まるで魔術だな。良かったら残りの選別をやってくれないかい? 金は出すからさ」


 店の主人にそう言われ、(しめた!)と青年は心の中で叫んだ。


「是非やらせて下さい。掃除、運搬、接客、他の仕事もやりますよ!」


 夕方、青年は上機嫌で宿に帰ってきた。途中、大浴場に寄って来ても、まだ手元には若干の残りがあった。


「何か良いことあったん?」ロタハに尋ねられ、青年は必死に笑みを噛み殺して言った。


「別に。でも、ちょっとした労働をやってね。ほら、やっぱり君達に任せっきりだと悪いかるさ」


「まさか、働いていらっしゃったのですか?」驚いたように、ジュード。


「まあ、大した仕事じゃないけどね。でも、自分の技能を活かせる凄く良い仕事だと思う。職場もいい雰囲気なんだ。いやー、明日も来てくれって、雇い主にお願いされちゃってさあ…」


 ジュードとロタハは素直に青年のことを褒め称えた。「流石は来訪者様」一日中褒められ、アーチーは正しく天にも昇る気持ちだった。そんな時、パラティアが帰って来た。


 ドサリ、少女は帰ってくるなり、部屋の真ん中にある卓の上に、重量感のある小袋を落とした。


「裁判沙汰があったのよ。沢山文書があって、くたびれたわ。でも金払いは良かったわね。異教徒の手垢が付いた金だけど、無いよりはマシよ。ふん!」


「で、何の話をしていたの?」パラティアは肩を回しながら3人に言った。


 アーチーは卓の上の小袋を凝視しながら、掌の中の数枚の硬貨を何度も数えた。やがて青年は横になった。


(良いんだ。俺はこれで。明日も頑張ろう…)そう思いながら、眼を瞑った。

 

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