不思議や
サロヤンの街は、アーチーにハバナを思い起こさせた。クラシックな街並み、海辺の風、陽気な人々。行ったことはないが、それは多分ハバナだった。
同じ街でも、ケサル・マルタとは好対照と言えた。
前者は先に作ってあった城壁の中に街を詰め込んだようだったのに、後者は街を先に作り、城壁を義務で付け足したみたいだった。それだけ街は広く、雰囲気は和やかだった。
何よりもアーチーを驚かせたのは、通りや広場、至る所に半裸の石像があることだった。それは男だったり、女だったり、頭に獣の耳が付いていたり、耳が長かったり、背中に翼が生えていたりした。
青年がそんな淫らな石像に見惚れて足を止める度、パラティアなりロタハが彼の腕を強く引っ張った。
「神よ、我らをお許し下さい…」祈りながら、パラティアは顔を怒りで真っ赤にしていた。
外見を見る限り、帝国人は王国人と全く一緒と言えた。
彼らは線引きするものは衣服(帝国人のものは王国人より立派で、色鮮やかに見えた)と、古代ローマのような淫らな神像を目にしても顔を赤らめないことだった。
アーチーはこの街で初めて亜人というものを見た。門衛のように獣の耳や角を頭から生やした獣人の他に、耳も背も高い、姿形の良い人々がいた。
(エルフだ…!)この手のものに無頓着な青年も、その姿を観て流石にピンとくるものがあった。
「あれは帝国の北方に住む
「黒々とした森に住んでるから、
「要するに、右も左も異教徒共ってことね」絶望したように、パラティアが要約をした。
それから少しして、4人は部屋の中にいた。
帝国と王国とでは言葉の発音に違いがある。ジュードはそう言って警戒したが、恰幅の良い宿屋の主人は何の疑いもなしに客を部屋に案内した。
半地下の部屋は若干の湿り気があったものの、寝床はきちんとあったし、道路に面した窓もあった。
「ここは交易の街やもん。ちょっとやそっとじゃ身分を疑われへんよ」困惑するアーチー達に対し、ロタハは得意そうに言う。
少女はあからさまに、この旅を楽しんでいるようだった。他の2人は知らないが、アーチーはそれが微笑ましく、お掛けで少しだが旅の重責感を忘れることが出来た。
まだ若干の不安はあれど、ジュードはアーチーに行動の自由を許した。青年は飛び上がり、街を見て歩く事にした。
いや、それよりも先に浴場に行きたかった。こうして所用のジュードを除き、アーチーはロタハ、そして嫌がるパラティアとを連れて浴場へと出かけた。
白昼堂々通りの真ん中を歩いていても、アーチー達を咎める者は誰もいなかった。時折、門衛と同じような姿格好の兵士達がいても、青年の横をただ通り過ぎるだけだった。
時たまアーチーを引き止めようとするのは、通り沿いに並んだ店の店員や、顔に厚い化粧を施し、胸元まで露わにした女ぐらいだった。
「綺麗なお姉さん!」そんな女達にロタハが無邪気に言うと、アーチーとパラティアは声を合わせて「見ちゃダメ」と言うのだった。
堅牢な石柱のファサードを持つ浴場を観て、アーチーはこの国がローマじみていることをますます感じた。
イタリア人が事あるごとに自慢する色の抜けたあの廃墟だ。アメリカにいる時、青年はそれを凄いと感じたことは無かったが、やはり実際に目の当たりにして、その見事さに目を見張った。
数時間して、アーチーは火照った顔で建物から出て来た。汗を流し、身体の垢をこれでもかと言うほどに落とされた青年は、生きることの素晴らしさを感じながら、千鳥足でパラティアとロタハの待つ所へ向かった。
浴場の正面は階段上になった広場があり、そこには巨大な何かしらの女神の像と噴水が作られていて、風呂上がりの人々は噴水の縁や階段、周辺の店が出したテーブルに付いて、軽食をつまみながら心地の良い熱気を冷ましつつ、思い思いの時間を過ごしていた。
ニコニコしながらアーチーがパラティアとロタハの座る卓に着くと、まだ乾き切らぬ髪をキラキラ輝かせながら、ロタハも微笑み返した。
「神さんを讃えよう!」ロタハがそう言うと、「いいね、神様万歳!」と上機嫌の青年ははしゃいだ。
今にも踊り出さんとする2人を止めたのは、パラティアだった。
「やめなさいよ。来訪教徒だとバレてみなさい。一体どうなることか」
「そう言わずにさ」余りの気持ちよさに、アーチーはこの上なく大胆になっていた。
「あんまり硬いこと言わないでさ、せっかくの可愛い顔が台無しだよ」
「は、はあ?」
「そうや、パラティア姉ちゃん。せっかくお風呂に入ってもっと綺麗になったんやからさ、怒ったらあかんで。皺が戻んなくなっても知らんで」
「あんた達ねえ…」
「そうだよ。ねえ、それより何か食べようよ。無事にここまで来れたんだ。そんな自分達にご褒美だよ。ね? 生きてるって素晴らしいんだよ」
「そんなお金ないわ。ジュードにもらったお金は入浴代で全部よ」
「またまた、そう言わずにさ」
バン!と、パラティアは手で机を叩いた。その手のひらの同じくらい赤くなった額には、濡れた前髪が数本へばりついていた。
アーチーとロタハは顔を見合わせると、怒られた子供のように押し黙った。余りに静かだったので、広場に居合わせた人々は、あの3人の陰鬱な若者はこれから自裁する気なのではないかと、気が気では無かった。
「お金が足りません」宿屋に戻ったアーチー達に、ジュードは言った。
「両替に行ってきたのですが、聞いていた為替と大幅に変わっていました。これまでは王国銀貨2枚で帝国銀貨1枚と交換出来たのに、今では王国銀貨5枚です。これでは、2、3日の宿泊費用と食事代で使い果たしてしまいます」
「つまり」全く頭が働からず、速やかに脳の計算を諦めたアーチーが尋ねる。
「どう言うこと?」
「このままでは帝都へ行く支度が出来ません。という訳で、しばらくこの街で働く必要があります」
アーチーは「ああ、そうか」と言った。じゃあ働こう。そして仕事の後は、風呂に入ろう。ロタハも至極当然という風に頷いた。
「信じられない!」1人叫んだのはパラティアだった。
「生意気な異教徒共! なんであいつらの使う銀の方が価値が上がっているのよ。働けですって? それじゃあこの国に利する事になるじゃない。宿代と入浴代を出すだけでも我慢ならないのに。なんてこと、ああ神様、私をお助け下さい!」
アーチー、ジュード、ロタハは互いに顔を見合わせた。
「不思議や、温泉に入ったのに」ロタハがそう呟くと、男達も何度もそれに頷いた。
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