第2章

エライ

 大陸は中央に走る山脈を境に東西に別れていた。西には荒野に広がるラヴァンテ。東には緑豊かなカルパチアがあった。


(ロッキー山脈の向こうみたいだ)


 この著しく対照的な2つの国の地理を眼にして、アーチーに自分の国をを考えた。それは驚くほどに、ロッキー山脈以西と以東に似ているように思われたからである。


 ロタハは岩礁が入り組んだ先にある小さな浜へと船を見事に進めると、そこに接岸した。


「おとんに教えてもらってん」眼を見張る3人に、少女は誇らしげに言った。


 アーチー達は小舟を近くの茂みに念入りに隠すと、久方振りの陸上で小休止をした。頭上にはトンビが飛び、周りには色とりどりの花と、同じぐらい色鮮やかな蝶が飛んでいた。


 暑いのはラヴァンテと同様だったが、こちらは湿気もあった。額から流れ出る汗を拭いながら、青年は辺りを見遣った。彼らがいる場所は小高い丘の下の方で、内陸の方の様子はそこからは見えなかった。


「サロヤンの街はここから東だな?」とジュード。

「そうや。2、3時間も歩けば着くはず」


「よし。まずはサロヤンの街へ行き、準備を整え、情報を得る。それから、ヴィラぺシオンへ行こう」


「はあ」パラティアがこれみよがしに溜息を吐く。


「どうしたパラティア。何か不満か?」


「異教徒の土地に足を踏み入れて、不満がないと? これからは異教徒の食べ物を食べ、水を飲み、空気を吸うのに? しかも行き着く先が、神よ、その名を口にすることをお許し下さい…。悪徳の都、ヴィラぺシオンだなんて!」


 ジュードはアーチーの方を見遣った。(何とか言ってやって下さい)青年は直ぐに相手がそう言いたいのに気が付いた。(い、いやどうしろと…)


「パ、パラティア。大丈夫だよ。俺が許すから、思う存分食べて飲んで、息を吸って良いよ。ね?」


 分かりきったことだが、少女はアーチー(彼は彼女にとって神の筈だった)を睨み付けた。


 そうなってしまえば青年は黙り、俯くしか無かった。ロタハが助け舟を出した。


「大丈夫や、パラティア姉ちゃん。神様は許して下さる。皆で汚れれば怖くない。飲み食いしないと人は死んでしまうから、しょうがないことなんや。サロヤンの名物は魚や。レモンと唐辛子のソースを魚に掛けて、それを蒸す。それを食べるのも、しょうがないことなんや。ああ、神様、弱い私達をお許し下さい!」


 パラティアはそれに言い返そうとしたが、腹の虫が代わりに割って入ったので、真っ赤になって押し黙った。


「決まりだな」笑いながらジュードが言う。


 アーチー達は丘を登ると、東へ向かった。丘の向こうを観て、アーチーは思わず「おお」と声を漏らした。なだらかな丘陵がずっと向こうまで続いていた。


 どこもかしこも緑で、端的に言って美しい光景だった。遠くには川らしきものも観える。


「綺麗だ」青年はそう言うのを、既の所で堪えた。もし言ってしまえば、愛国心の塊のパラティアに殺されたに違いなかった。


 ロタハはジュードから荷物を剥ぎ取ると、それを担いだ。「重いぞ」ジュードに言われても、ロタハは頷き、それを渡そうとはしなかった。


 アーチーは児童労働をさせているようで嫌だったが、直ぐに少女の気持ちも理解した。


 働かざる者食うべからず、労働はアメリカ人のモットーなのだ。ジョン・ウエインの爺さんが生きていた頃の話だが。


 やがて街が青年達の目前に姿を現した。同じ港町でもケサル・マルタとは違い、海に向かって緩やかに降る丘に沿って作られたサロヤンは城壁も背が低く、白塗りの美しい建物ばかりのその街は、アーチーに地中海のリゾートを思わせた。


 ジュードとパラティアは足を止め、街を見遣った。「ふむ」ジュードは唸り、パラティアは面白くなさそうに眼を背けた。


「はて、どうして街に入ったものか」ジュードがそう言うと、すぐさまロタハが進み出た。


「簡単や、正門から入れば良え」

「どうやって? 通行証もないのに」


「数年前ぐらいから、帝国は領内の通行証を無くしたそうや。ウチらはもう陸におるんやから、そのまま堂々と入ればいい。大丈夫や、なんかあったらウチが何とかするから」


 ジュードは感心したように片方の眉を上げると、アーチーとパラティアに眼で意見を求めた。


「良いと思うよ」とアーチーが何も考えずに了承すると、パラティアも仕方なくそれに同調した。ジュードを先頭に、彼らは街へと続く街道に出た。


「堂々とするんや、そしたらバレへんから」


 ロタハ以外の3人はぎこちなく頷いた。アーチーは緊張でメグ・ホワイトのドラムのように拍を取る心臓を落ち着かせるため、心の中で自分の家系図を遡っていた。


 アーチー、エリック、ダヴィド、ヴァラズダド、コスタンディン、ゲラム、チグラン、アラム、何と奇妙な名前の先祖達。


 城門が近づき、その下に立つ門衛達の姿が分かるようになって、アーチーは驚いた。門衛は4人いて、城門の左右の柱の前に2ずつが立っていた。


(まるでローマ兵だ…)


 片方の2人を観て、アーチーはまずそう思った。兵士達の着ている魚の鱗のような甲冑は袖は肘までしか無く、ズボン(正確には一枚のチュニックらしかった)は膝まで、そして足にはサンダルを履いていた。これをローマ兵と言わずして、何と言うのか。


 青年を驚かせたのはこれだけでは無かった。もう片方の柱の前にいる兵士達を観て、アーチーは思わず声を上げそうになった。


 彼らは一方のローマ兵もどきとは違い、甲冑は着けていなかった。その代わりに中国人のような大きなローブを着ていて、それをベルトで止めていた。


(こ、こっちはモンゴル兵だ…!)


 腰元には月のように折り曲がった剣をぶら下げ、背中には矢筒、片手には矢を持っていた。頭には動物の毛皮の帽子を被っていた。


 そして何と、その帽子には穴が空いていて、そこから犬のような大きな耳が覗いていたのである。


 アーチーは最初、それが只の飾り物なのだと思った。そういうファッションなのだろうと思った。


 だが近づいてくるにつれ、それが動いてることが気がついた。喋り、動くに従って、それも動いていたのだ。


「半獣め」低い声で、パラティアが忌々しげに呟いた。今度は異なる理由でアーチーの心臓のビートが早くなった。


(おーい、聞いてくれ。そこのオタク、それから日本人! ここに、ここに獣の耳を生やした奴らがいるぞ。本当だ、嘘じゃない! コスプレなんかじゃない、本物の、獣の、耳を生やした奴らがいるぞ!)


 興奮した青年は直ぐにでも叫びたかった。だが門を目の前にして、喉を震わせることも叶わないぐらいの恐怖に取り憑かれた。


 ローマ兵とモンゴル兵からなる門衛達は(まるで『ナイト・ミュージアム』だ)、青年達に鋭い視線を送った。


「トマレ」獣人兵の1人が言った。


 アーチー達は立ち止まり、自分達を凝視する相手を見返した。青年は自分の顔が真っ青になるのを感じた。自分以外の3人も同じだった。


(終わった…)アーチーは早くも見切りを付けていた。よしんば無理矢理にこの場を切り抜けたとしても、また荒野の逃亡者の生活が待っている。


「オマエ、トシ、イクツ?」獣人は片言の言葉で話しかけて来た。


 ロタハは自分が話しかけられているのだと気がつくと、精一杯の笑みを浮かべて答えた。


「9歳です」


 返答があり、獣人の顔も嬉しそうに微笑んだ。


「ハタライテル?」

 

「はい。ヴィラぺシオンで働いています。今日はご主人様に頼まれて、この街に買い付けに来ました」


 ロタハが早口で答えると、それが分からないのか獣人は互いに顔を見合わせて困ったように眉を潜めた。


 すると片側にいた帝国兵が割って入って来て、彼らに未知の言語で話しかけた。アーチーは何となくだが、それが獣人語であることが分かった。


 獣人達は理解できたのか、「ああ!」と声を上げて喜んだ。


「エライ、リッパダ。シゴトキツクナイカ? シュジン、ワルクナイカ?」


「とんでもない。とてもやり甲斐のある仕事やし、ご主人も良い人です。分かります? 仕事、すごく良い。ご主人も、すごく良い」


 獣人達は頷き、互いに何かを言い合った。そして片方が胸元から何かの袋を取り出すと、それをロタハに与えた。


「それは雌馬の乳より作った、獣人アヴァルの菓子だ。甘いので気をつけろ。我々が菓子をやった事は人に言うなよ」


 アーチー達は黙って頭を下げ、兵士達の横切り、門を潜った。皆呆然とし、今起こったことが理解出来なかった。ノイエ・シュヴァルツヴァルトの時とは大違いだった。


「神様、感謝します。貴方と、貴方がウチの所に送って下さった来訪者様のお陰です」暫くして、ロタハが感動したように言った。


 未だ恐怖の余韻で身体の震えが止まらぬ中、アーチーはそれを聞いて驚いた。


(そうなのか。これも俺の力なのか? 知らなかった、俺なんかやっちゃったのか?)


 だが冷静になり、(お前の力ではない)という神の声が聞こえたような気がしたので、青年はすぐさま少女に言った。


「違うよ、ロタハ。君のお陰だよ。助かった、本当に…」




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