燃える十字架
港から離れた場所に、その小さな浜はあった。街壁はそこで途切れ、切り立った崖がそこから先の隔壁となってる。浜の横には、今にも崩れ落ちそうな小屋がぽつんと立っていた。
「うちの家や」
ロタハはそう言うと、アーチーの腕より勢いよく飛び降りた。(ふう…)少女にバレぬよう、青年は小さくため息を吐いた。
「ほら、これが船」
少女が家から引き摺り出してきたのは、家と同じぐらいオンボロの船だった。所々が黒焦げ、穴を木片や金属片で隠したその小さな船に、4人も人が乗れるのか怪しかった。
だが確かにそれは船だった。おもちゃではなかったのだ。
「この船、どうしたんだい?」ロタハを手伝いながら、アーチーは尋ねた。
「おとんの船や。壊されてんけど、働いて、うちが直してん」
「へえ。お父さんは…」
言い掛けて、青年はハッとして顔を上げた。少女が不思議そうに自分を見つめている。
うちぶれた家に船、自分で金を稼ぎ、船を直した。この調子じゃ、もしかしたら、母親も…。
「素敵な船ね」いつの間にか眼を覚ましたパラティアが、ジュードの肩から顔を出して言った。
「あんたが直したの? 立派なものね。ご両親も、きっと鼻が高いわ」
ロタハの顔に、あからさまな喜びの表情が広がった。「せやろ? うち、頑張ってん!」
(助かった…)慈愛に満ちたパラティアの顔を観ながら、アーチーは安堵した。自分が関わらなければ、この娘は本当に聖母のようだった。
岸につけた船に、ジュードはパラティアと荷物を置いた。無事に沖に出られるかは分からないが、やってみるしか無かった。
「さあ、行きましょう」アーチーとロタハも船に乗り込み、ジュードが船を水の中へ進める、その時だった。
「待て、止まれ!」
その声にジュードが振り向くと、船に乗っている者達も声のする方を凝視した。3つの火がこちらに向かって浜を掛けてくる。1人は指に、2人は松明に火を灯していた。
「何してるの、早く出して!」パラティアが叫ぶ。
「ダメだ、沖に出る前に攻撃される。俺が時間を稼ぐ」
「でも…!」
「早く! ロタハ、すまないが俺の代わりに船を押してくれ」ジュードはそう言うと、船を背後に立ち塞がった。
「止まれ、逃げるな!」
近づいてくるにつれ、相手の顔つきが分かるようになった。1人は護教騎士団、残りの2人は唯の兵士のようだった。その2人の顔を何気なく見遣って、ジュードは驚いた。
「あれ、あの2人って…」思わず、アーチーは呟いた。
敵兵は今やアーチー達の目と鼻の先にいた。そして、その敵兵の中の顔に、彼らは見覚えがあった。
アルモンとピロシュ、アーチーがこの世界にやって来た日に出会った2人の兵士は青年と眼が合うと、バツが悪そうに眼を背けた。
「背教者共、そこまでだ!」騎士はそれに気が付かず、剣を抜いた。
「最後の慈悲だ、投降しろ。さもなくば焼き殺す。俺に見つかったのが、幸運だった。私は真の信仰者だ。でなければ、お前達は容赦無く殺されていただろう。他の奴らは同じようにはいかぬぞ」
聞かれてもいないことをペラペラと喋りながら、騎士は背教者共を眺めた。彼はまだ、今夜さらに自分の同僚5人が目前の若者達に殺されたことを知らなかった。
アーチー達の方は騎士のことなどどうでもよく、アルモンとピロシュのことばかりを観ていた。
返答がないことを肯定と受け取ったのか、騎士は背後の兵士2人に背教者達を捕縛するよう命じた。
「早く!」
臨時の上官に促されて、2人の兵士はしぶしぶ動き出した。後ろで剣を抜く音がしても、騎士は対して疑問には思わなかった。
突如、騎士は首元にチクリとした痛みを覚えた。彼は息が出来なくなり、血反吐を口から大量に吐き出した。
アーチーは身体を動かせないまま、兵士の1人が騎士の首元に剣を突き刺すのを観ていた。
兵士が剣を引き抜くと、騎士はそのまま力のない藁人形のように地面に倒れた。
「アルモン…」同僚を凝視ながら、ピロシュは呟いた。
「こうするべきなのだ」かつて生きていた騎士を見下ろしながら、アルモンは言った。
「主を助けなければならない。ピロシュ、俺達の人生は、今この時のためにあったのだ」
ピロシュは眼を瞑り、唸った後、何度も頷いた。
「そうだ。そうだ、そうだ、アルモン」
アルモンは剣を鞘に収めると、未だ唖然とするジュードに近づいた。
「船に乗れ、押してやる。俺達が時間を稼ぐ。だが急いで、沖に出ろ。そう長くは保たないからな」
アルモンはそう言うと、額に汗が光る顔に、ニヤリと笑みを浮かべた。ジュードは男の言うことを理解し、船に飛び乗った。
「主よ、貴方が下さった慈悲にお返しをする時です。どうか、お逃げ下さい。生き延び、そして勝ちますように。貴方に付き従うもの達に、福音がありますように」
「アルモン、ピロシュ!」
船は水に浮かんだ。アーチーはよろめきながら、オンボロの船体の中を船尾へと這った。
「君達も一緒に行こう。君達も一緒に行こうよ!」
アーチーが叫んだ時、浜の向こうに、無数の光が姿を現した。火に照らされた不気味な護教騎士団達の甲冑は、ここからでも嫌と言うほど見ることが出来た。
騎士達は浜を降りて行くと、手当たり次第に船に向かって攻撃を始めた。炎に岩に雷、悲鳴を上げながら身体を伏せるロタハに、パラティアが上から覆い被さった。
アーチーは伏せながらも僅かに顔を出し、浜の様子を観ていた。(観なければダメだ)青年は何故かそう思った。
アルモンとピロシュは暫く船の方を観ていたが、何かを決心すると、剣を抜き、浜にいる騎士達に斬りかかった。
若干の混乱が起き、船に対する攻撃が弱まった。その隙にジュードは身体を起こすと、力強く櫂を漕いだ。
アルモンとピロシュは即座に騎士達に囲まれた。側には斬り殺した騎士が3、4人転がっている。
(護教騎士団の連中、今夜は厄日だな)
囲いの中から、1人の騎士が姿を現した。兜を被っていない。あの隊長だった。
身体の大きいピロシュが最初に斬りかかる。彼の剣は簡単にかわされた。隊長が、体勢を崩した相手の背中に雷を喰らわせると、それで終わりだった。
◇
(直ぐに向こうで会えるさ)
同僚であり、親友でもあった男を殺されても、アルモンは全く恐れていなかった。自分は正しいことをやったのだ。何も怖くない。
護教騎士団南部管区長のベルジマンが相手でも、今のアルモンにとっては道端の小石同然だった。ベルジマンは数回の打ち合いで相手の剣を弾き飛ばすと、相手に向かって指を差した。
とんでもない失態だった。表情には出さなかったが、ベルジマンは酷く怒っていた。部下も大量に殺された。
あの背教者、よりにもよって来訪者を名乗る者達によってである。奴らは逃したが、まだ近くにはいて、船上よりこちらを観ている。
(ならば、奴らに見せつけてやる。神の権威に逆らうと言うことがどういうことなのかを)
アルモンは両手を広げ、その瞬間を待った。
(お前なぞ、教団なぞ怖くない)
◇
アルモンの身体から火の手が上がった。それはまるで、燃える十字架のようだった。それは何故か、アーチーに『緋文字』を思い出させた。難しいので全部を読んだ訳ではない。
だが、へスター・プリンの胸元に記された文字のように、その燃える人の十字架が、青年の心に強烈に焼き付いた。
「アーチー。聞きなさい、アーチー」
パラティアが青年の側にやって来て、言った。
「あんたのせいじゃない。分かった? あんたのせいじゃない」
「わかってる。わかってるよ」
それは反射的に言っているに過ぎなかった。十字架はいつの間にか姿を消していた。だが、瞼を閉じれば、それは確かにまだ燃えていた。
(俺のせいじゃない。俺のせいじゃなければ、一体誰のせいだって言うんだ?)
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