いずれ、主が来る

「南に向かいます。恐らく、軍と護教騎士団は既に警戒線を敷いているでしょう。これまで以上の注意が必要でしょう」


 ジュードの言葉にアーチーは頷いた。また暫く、野良犬のような生活が続く。荒野には美味しいご飯も、屋根付きのベッドも、温泉も無かった。


 だがその代わり、襲われても直ぐに逃げられるのだと言う安心感はあった。皮肉なもので、その点では街よりも気分は軽かった。


 盗賊やら猛獣に襲われる危険性は確かにあった。だがそんなものは、ジュードの強靭な肉体と、パラティアの鋭敏な知性の前に霞んでしまった。


 ジュードは相変わらず何処かの村に立ち寄っては、食料なり情報なりを見つけて来た。


「一体、どうやって毎回毎回見つけてくるんだい?」ある時、アーチーはずっと抱いてた疑問を彼にぶつけてみた。


「国の南部に広がるこの荒野は中央の管理が行き届かぬ地域です。そういう所には、反乱分子が集まりやすい。今まで黙っていましたが、私とパラティアもそう言った者達の一員なのです。荒野に点在する集落や街には、そんな連中の手助けをしてくれる者がいます」


 (なるほど)。青年はそれを聞いて驚かなかった。一緒に過ごしている内に、彼らが何者なのか何となく見当がついていたからだ。


 要するに、ジュードとパラティアはレジスタンスとかパルチザンと言う訳だった。分かりやすい。正義の味方は大体そちら側だと相場が決まっている。


「敵は教団と大祭司。腐敗した王都の連中も。当然、帝国の異教徒共も。あと怪物ども。こいつらは偶にだけど」

 

「お、多くない…?」 


パラティアの言葉に、アーチーは眼を見開いた。どう考えても一度に回して良い敵の数だとは思えない。アメリカ人が言えた義理ではなかったが。


「難しい問題だ」とジュード。


「これもおいおい、話さなければならないでしょう。ですが到底、言葉だけで簡単に言い表せぬ問題なのです」


(オーケー、オーケー。別に構わないよ)青年は自分の力量をキチンと心得ていた。どうせ一度に言われたって、理解できる訳がないのだ。


 そんな事よりアーチーにとって重要だったのは、パラティアに言われた魔術の訓練とやらを続ける事だった。


「魔術上達のコツは、何よりも訓練の積み重ねよ。あんたは破廉恥にも類まれなる魔力を持っているけど、何もしなければ宝の持ち腐れだわ」


 先輩魔術師のありがたいお言葉であった。そのため、青年は暇さえあれば、指の先から火を出し続けることになった。


 そうすることにより、体を魔術による消耗に慣れさせ、より強力な魔術をバンバン扱えるようになるそうだった。


「火が弱くなってる、今度は強すぎ! そんなんじゃすぐ気絶してしまう、持久力をつけて! 適当にしない、火が揺れてる! 魔術は使う人間の心の現れなのよ! このぐず!」


 まるで海兵隊の鬼軍曹だった。歩くだけでも疲れると言うのに、その上に魔術で、青年は常に疲れていた。お陰で夜になれば、硬い地面の上でもぐっすりだった。


 そんな中で、アーチーはある楽しみを思いついた。そう、全く持って久しぶりにスマホの存在を思い出したのである。


 当然、充電は切れていた。だからものの試し、青年は指先から電流を軽く出すと、それを充電口に当ててみた。


 ハレルヤ! なんと機械が動いたのだ。青年は歓喜した。当然電波なんてものは無いが、自分の住んでいた世界の一部分に触れることが出来ただけでも儲けものだった。


 アーチーは真っ先にアルバムを開くと、中にある写真をスクロールした。そして彼は見つけた。カレンの写真だ。目一杯、写真をズームする。


 カレンは端っこの方に見切れて写ってるだけで、そうしなければちゃんと見えなかった。青年の持っている彼女の写真はこれしかなかった。


 解像度が悪くて、顔は良く見えなかった。目は白目を剥いてるみたいだった。だが、それは間違いなくカレンだった。


(ああ、カレン。今すぐ君に会いたいよ…)


 こうしてアーチーは元気を取り戻した。スマホがあれば直ぐに元気になるのは、若い自分の数少ない長所と言えた。青年は観光気分で、周りの風景の写真を撮り始めた。


 いつか自分の世界に戻ったら、この写真を皆に見せてやろう。そう考えるのは本当に愉快だった。楽しいことだけ考えて、青年は浮かれていた。


 だがそれも、異様な光景の前に彼らが立ち止まるまでだった。それは本当に何の前触れもなく3人の前に現れたのだ。


 道端に年老いた男が立っていた。彼は自分の足元でこんもりと膨れ上がっている大きな布の覆いを悲しそうな、苦しそうな顔で見ていた。


 覆いの下からは細い木の棒のようなものが覗いてた。だが近づき、それが人の足であることが分かると、アーチーは言葉を無くした。


「祭司様、何があったのですか」ジュードが、その老人に尋ねた。


「近くの集落が襲われたのだ。我が子よ、どうか貴方達もこの哀れな魂達の為に祈って欲しい」


 パラティアは何も言わずに布の近くに歩みよって躓くと、手を合わせた。青年もそれに倣った。やり方は、彼の住む世界と一緒だった。


「盗賊ですか。それとも軍が…」

「分からない。だが誰がやったにしても、余りに惨すぎる」


 祭司はそう言って項垂れた。アーチー達は半ば当然の如く、死者の埋葬を手伝った。「いずれ、主が来る」別れ際に祭祀はそれだけ言った。


 だが残念なことに、事はそれだけで終わらなかった。


 その後もアーチーは、焼け落ちてボロボロになった集落の後を見た。何かを埋め、そのためにこんもりと盛り上がった土が何十個と並んでいるのを見た。岩陰の隅、忘れられたように干からびた死体を見た。死体は、子連れだった。


 それらは100の言葉よりも明快に、青年の心を打った。(ああ、アーチー、なんて愚かなやつ…)何が観光だ、何が自分の世界に戻ったらだ。


(ああ、神様…)アーチーは神に祈った。だが違った。この世界では、自分こそが神なのであった。この国では、皆が彼の事を思って祈るのだ。


「見たでしょ」ある時、不意にパラティアが言った。


「見てないとは言わせない。どうかあの光景を忘れないで。あれがこの国の現状だから」


「あ、あれは一体何なんだい? 殺されたのは君たちみたいな反乱軍? やったのは誰? 盗賊、怪物、軍、護教騎士団?」


「殺された者が誰であっても一緒。この国で殺される者はいつだって弱い者よ。殺す理由だって、何でも良い。反乱を企てたから。異端だから。物資の供与を拒んだから。娘を差し出すのを拒んだから。貧しいから。汚いから。ただそうしたかったから。殺す方だって一緒。何も変わらない。例え直接手を下してなくても、見てみぬふりをするなら一緒」


『いずれ、主が来る』


 アーチーは祭司の言葉を思い出した。何と重い言葉、何と重い役割か。ジュードやパラティアが戦う理由など、聞くまでも無かったのだ。


「本当は、我々に来訪者を崇める資格などないのでしょう」とジュード。


「来訪者の命を糧に生きながらえておきながら、我々は努力を怠り、死んだ彼らの意思を裏切った。教団は来訪者の名を振りかざし、自分達に歯向かう人々を弾圧し続けている。国王は、全くの無力だ。なのに我々は、今だに来訪者に縋り続けている。いつか必ず、助けに来てくれると」


「で、あんたが来た」またパラティア。


「都合が良いって事はよく分かっている。でも他にどうしようもない。結局私達は、来訪者の力が無ければ何も出来ないと言う訳。でも今度こそ、上手くやりたいって思ってるの。異世界から来たあんたからしてみれば、どうでも良いって事も分かってる。でも、それでも…!」

 

 少女は苦しそうに唇を噛み締めたまま、その先を言わなかった。青年は初めて、パラティアが自分の本心と弱さを見せたような気がした。


 もしこれが映画やドラマやコミックのワンシーンで、それを考えた奴がいるなら、そいつは大した奴だ、と青年は思った。何故ならこのような状況で断れるアメリカ人など、この世に1人もいないだろうからだ。


 (いや、待て、1人だけいたぞ)


 アーチーはムッとして、できればそうしたくなかった人間の事を思い出した。


 (ザックだ。腰抜けのザック、あいつなら絶対に断るだろう。アイツはクソ野郎さ。だって、カレンの元彼だからな)


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