下手くそ

 陽が完全に昇り切った時、荒野の隅でアーチーは目を覚ました。目を擦りつつ、半ば眠りながら寝床を後にし、斜面を登った。


「おはようございます。アーチー」


 ジュードが挨拶をした。昨晩、街を辛くも脱出したアーチー達は、丘陵の狭間に逃げ込んだ。


 碌に動けないアーチーとパラティアはそこでもう一度眠りにつき、その間中、ジュードが寝ずの番をしてくれたのだ。


「もう体調は良いのですか?」

「うん、何とかね。迷惑をかけたよ」


 本当はまだあちこちが痛かった。身体の芯に鉛を抱えているように、何とも言えないダルさが気持ち悪かった。酷い風邪を引いて、それが治りかけのような。


 だが歩けたし、青年は何よりもジュードを休ませたかった。この好男子だって顔には出さないが、絶対に疲れている筈なのだ。


「俺が代わるよ。何かあったら、悲鳴を上げればいいんだろ?」

「よろしいのですか? まだ風が冷たいですが」


「良いよ。目を覚ますのに丁度いいからさ」


 青年はジュードを見送った後、丘の上に座った。確かに風が冷たい。だが陽は暖かく、全体としては悪くなかった。眼下には、丘の合間を蛇行する道が細く伸びていた。


 アスファルトで舗装されたり、ガードレールがある訳でもない。ただ人や動物が踏み固めて、周りとは違う土の色をしているだけの道だった。だがそれはきっと、何百年もかけて作られたものに違いない。


 遠くに、数頭のロバを連れた小粒のような人影が見える。ああいう名もない無数の人と家畜達が、この偉大な道を作ったのだ。


「遥か彼方、遥かなフレズノよ。遥か遠くのフレズノ、大好きなあの娘がいる所」


 アーチーは思わず口ずさんだ。それは彼の曽祖父の、ヴァラズダトが好きな歌の替え歌だった。


 その歌は曽祖父の子供のダヴィド、そしてその子供のエリック、そしてその子供のアーチーに受け継がれた。


 曽祖父はヨーロッパに戦争に行った時、この歌をよく歌っていたという。面白い話だった。彼らアダム家は、曽祖父の父親の時にアメリカにやって来たのだ。


 曽祖父の時にブルックリンからデトロイトへ、祖父の時代にはカリフォルニア、そして父親の時、実家から2ブロック先のボロ小屋へと家は移った。


 (最後に、俺がここだ)


 この、聖書ともメキシコともつかない変な世界。考えてみれば、我がアダム家は、そういう星の元に生まれたのかもしれない。


 常に移動し続ける一族。もしアーチーがこの世界で子孫を残せば、きっと彼(もしくは彼女)も何処かに移住するに違いない。


 (子孫を残す、か)カレンは今どうしているだろう。


 一体どうしたら、元の世界に戻れるんだろう。そして仮に戻ったとして、カレンは約束をバックれた青年を許してくれるだろうか。


 (ああ、今ここにカレンがいてくれたらなあ。そうしたら直ぐに彼女の足元に跪いて、俺のマジな気持ちを全て打ち明けるのに!)


「下手くそな歌ね」だがどうか、代わりにやって来たのは寝起きのパラティアだった。


「地獄の唸り声のせいで起きちゃったわ。とんだ迷惑」


 寝起でも、言葉のナイフの切れ味は抜群だった。


(俺の歌は下手くそじゃない。婆ちゃんなんて、いっつも「上手いよ上手いよ」って褒めてくれてたんだぞ!)と言い返せる訳もなく。


「身体の調子はどう?」

「何とかね。そう言う君はもう平気なの?」


「お生憎様。あたしは誰かさんとは違って、きちんと訓練を積んだ魔術師なの。ちょっと休めば、瞬く間に全快よ」


(やっぱりダメだ)下に降りて、シュードと一緒に寝よう。


「待ちなさいよ」そそくさと立ち上がるとする青年を、少女が引き止めた。


「試したいことがあるの。体力が回復したなら、ちょっと手伝って」


 アーチーは仕方なくその場に腰を下ろした。何だか疲れがぶり返したような気がした。何を試すのだろう。自分が泣くまで悪口を言い続けるとか?


 (痛てっ!)腕に痛みを感じる共に、何かが足元に落ちた。小さな小石だった。


 「て、敵!」驚いて、青年は辺りを見回した。誰かが石を飛ばしたのだ。


 だが飛ばして来たのは敵ではく、パラティアだった。いつぞやで見た、岩を飛ばす魔術らしい。表情も変えず、少女は黙々と小石を投げて来た。(痛てっ!)


「別に痛くはないでしょ。それより、ちょっと試してみて。魔術を使ってみて」

「今ここで? 痛てっ!」


「そうよ」

「えっと、炎の方で良いかな。稲妻を出しちゃうと、またぶっ倒れそうだから。痛てっ!」


「何でも良いから、早く」


 言われるまま、アーチーは手に意識を手中させた。未だにやり方はよく分からない。だが適当にやっていれば直に出来るのだ。だが今回はなかなか出なかった。


 (おかしいな)試しに手を左右に振ってみて、青年はようやく気がついた。自分の手につられて、地面に落ちている小石が一箇所に集まってくる。これは一体?(痛てっ!)


「そうやって集めた石を、今度は固めるの。簡単よ、固まれと頭の中で念じれば良いの」


 アドバイス通りにやってみると、果たして石が固まり、一つの立派な塊になった。パラティアを真似て手を動かすと、それは宙に浮かび、右に左に動いた。(痛てっ!)


「その調子よ。それを、投げる時も同じように念じれば良いだけよ。試しに何処かに投げてみて」


 カウボーイが縄を投げるようにアーチーが腕を振ると、塊はキチンと向こうへ飛んで行った。


(ハハッ、凄いなあ! 痛てっ!)


「やっぱりね。思ったとおり」それを観て、パラティアは納得したように頷いた。


「あんた、自分が受けた魔術なら、訓練も詠唱も無しに即座に使うことが出来るのね」


「へえ、そうなんだ。痛てっ!」


「事の重大さが分かってないわね。良い? 魔術って言うのは、生半可に使えるものではないの。魔術を扱うには、才能と努力が必要。魔力を持たない人間には、そもそも全く扱えない代物。


 仮に魔力があったとしても、全ての力の根源である来訪者への信仰心を常に持ち続け、それをより強いものにしなければならない。魔術を扱うには、何よりもまず、膨大な量の詠唱文の暗記と、それを流麗に澱みなく暗誦する技術がいる。


 それは高位の強力な魔術になればなるほどより必要性を増していく。そして体力の鍛錬もね。血の滲むような、人並外れた努力をして、ようやく人は魔力を強力な武器とすることが出来るの」


 そこまで言って、少女は青年の顔を覗き込んだ。


「それをあんたは、一瞬の内に習得することが出来る。どう、少しは理解出来た?」


 (へえ、成程。ふーん、ほお。えーと、成程ね。分かったさ、1割ぐらいは)正直な所、アーチーは何を言われているのかさっぱり分からなかった。


 でもあのパラティアが興奮している事は分かった。と言うことは、余程の事なのだろう。


「でも、来訪者って言うのは皆そうなんだろ? 魔法じゃ死なないし、ブンブン火やら岩やら稲妻を投げて敵を倒すんだろ?」


「とんでもない。来訪者は確かに、それぞれが類まれなる魔力の持ち主だった。でもそれぞれが扱える種類は限られていたわ。それに、彼らだって多大な努力によって、そういった力を手に入れたの。あんたみたいな事例は、聖書の何処にだって書いていない」


 (ワーオ)よくは分からなかったが、青年は最初の1人らしかった。彼は凄い存在らしかった。


 何よりも、あのパラティアが鼻息を荒くしているのだ。それ以外は相変わらずよく分からなかった。


「癪だけど、あんたはこれまでの来訪者の中で一番かもしれない。あんたがいれば、どんな悪だって倒せるかも…」


「バカだからよくは分からないけど、俺の力が君のためになるなら嬉しいよ。今はまだ君の言う通りのヘボだけど、いつかきっと、君に見合う男になってみせるから」


「調子に乗らないで。まだ碌に魔術を扱いきれもしないくせに。もっと努力しなさい。体力もつけること。来訪者だからって容赦しないから。分かった?」


 (痛てっ!)いつの間にか止んでいたつぶてがまた再開した。本当に、この娘の気持ちは良く分からない。


 (まあ、良いさ。魔術は俺には効かないんだ。気の済むまでやれば良いよ。痛てっ! あっ、偶に直接手で投げたやつも混じってるのか…)

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