なんて素敵な夜

 先程の騒ぎで、街はすっかり眼を覚ましたようだった。


「何だ、どうしたんだ」

「分からん。雷が落ちたようだ」


「あれは唯の雷じゃない。雷光魔法だ」

「そんなものを使う奴なんざ、護教騎士団ぐらいだぞ」


「だから、連中と誰かがやりあったんだろ」

「だが、どうして大祭司の犬どもがこの街に?」


「この先の道に死体が転がってるんだとよ。真っ黒焦げで、酷い有様だそうだ」

「誰でも構わないが、こんな夜中に迷惑な輩だな。全く」


 口々にそんな事を言いながら、ある人は現場へと駆けて行き、ある人は軒先で話し合い、ある人は欠伸をしながら家の中へ戻って行く。


 アーチー達は物陰に隠れながらその光景を見ていた。この中にもスパイがいるのかもしれない。


「行こう」


 人が少なくなった瞬間、ジュードに促され3人は飛び出した。正確には飛び出したのはアーチーとパラティアで、アーチーは相変わらずデブの猫みたいに運ばれていた。


 目的の家は直ぐに見つかった。扉を叩くと少して、「何だ、誰だ。こんな時間に馬鹿が」そんな声が中から聞こえてきた。


「マシェクさんですか?」

「だったら何だ?」


「我々はレダおばさんに、貴方を頼るよう言われたのです」


 また少し間があって、「あの馬鹿め、また面倒ごとを押し付けやがった」扉が開いた。「早く入りやがれ、誰にもつけられて無いだろうな」


「うるさい野郎だわ」ボソッとパラティアが呟く。


 向こうが蝋燭に火を付け、アーチー達はマシェクの姿を見ることが出来た。


「何だ、まだガキ共じゃないか」


 揺らめく蝋燭の炎に照らし出されたアーチー達の姿を見て、マシェクは言った。小柄な老人は、眉間に何重もの皺を作っていた。


「何だ、お前。怪我をしたのか? 何処だ、ほら、見てやるぞ」


「こいつは大丈夫、ただ腰を抜かしているだけなの。それより、貴方はどうやって私たちを助けてくれるの?」


 不遜な態度を取る少女に、マシェクは明らかに不服そうだった。アーチーがドキドキしながら老人の表情を窺っていたその時、馬の走る音と、甲冑がガチャガチャする音が外から聞こえて来た。


 まだ近くはない。だがいずれ護教騎士団や街の警備隊が裏路地に入ってくるかもしれない。


「こっちだ、ついて来い」マシェクも危険性を理解したのか、アーチー達を家の奥へと案内した。


「全く、反乱軍の奴らは何を考えている。こんな子供を駆り出すなんて、血も涙もない奴らだ」歩きながら、老人はぶつぶつと何かを言っている。


 マシェクは大きな甕の前に立つと、それを横にずらした。驚くことに、そこには人1人が入れるぐらいの大きな穴があった。


「穴を端まで行ったら、そこにある蓋を外せ。そうすれば街壁を抜けて外へ出られる。さあ、早く行ってしまえ」


 ジュードは青年を背負い(やっと背負ってくれた!)、身を屈めながら穴の中に入っていた。奥には大きな石があったが、意外にも、それは直ぐに動かせた。


 眼前に荒野が広がって現れた。たった1日街にいただけなのに、アーチーにはこの荒野が、とてつもなく懐かしく感じられた。


 青年は思いっきり息を吸って吐き、その開放感に身を浸した。


 ジュードは近くに生えていた灌木の下にアーチーを寝かせると、穴に戻った。「パラティア、どうした? 早くしろ」彼の低い声が聞こえる。


「ジュード、先に行ってて。私はもうひと騒ぎを起こして、連中を街に引き付けてから行くわ」とパラティアの声。


「馬鹿言え、早くこっちへ来い」


「あんただって1人でカッコつけようとしたでしょうに。あたしはあんたと違って英雄願望なんてものは無いから、必ず帰ってくるわよ」


「パラティア、パラティア!」返答は無かった。どうやら行ってしまったらしい。


 ジュードはしばらく穴の前にしゃがんでいたが、諦めてアーチーの側に腰掛けた。


「信じようよ、彼女を」青年がそう言うとジュードは頷き、眼前に聳える街壁をしげしげと見つめた。


「お身体はどうです?」


「まだ動けそうにないよ。本当にごめん。迷惑かけてばかりだ」


「迷惑など、とんでもない。私は一度たりとも、貴方を迷惑だと思ったことはない。本当です。貴方と一緒にいられるだけで、それだけで何にも勝る至上の喜びなのです。それに、私は貴方に命を救ってもらった。貴方は、私が想像していた以上のお人だ。貴方は、私の生きる理由の全て。この恩は必ず忘れない。この命と一生を掛けて、貴方にお返しします」


「そんなこと、良いよ」アーチーは顔を真っ赤にして言った。


 ジュードはそんな青年を見て、静かに微笑んだ。月明かりに照らされた彼の顔は、素晴らしく良い男だった。(はあ…)


「パラティアも恐らく私と同じ気持ちです。貴方の為に、何かをしたくてたまらないのでしょう」


「あのパラティアが? まさか、だって彼女は心底俺を嫌っていると思うよ? 彼女にとって、俺は炉端の石だよ。蹴飛ばして、ぽいーさ」


「パラティアは自分の感情を出すのに少々難があるだけなのです。昔はもう少し簡単な子でした。ですが5年前に父親が死んでから、難しくなってしまった。母親はとっくの昔に死んで他に身寄りがなく、私が父親代わりです」


 (あの悪口言語学の権威のようなパラティア女史にそんな過去が…)アーチーは仲の良かった従兄弟のサルキスが死んだ時のことを思い出した。身内に死なれる気持ちは、分かっているつもりだった。


「それで、あんな特徴的な喋り方を」

「はい。まあ、アーチーを相手にすると、格段口が饒舌になるようですが」


 (駄目じゃないか!)やっぱり嫌われていたのだ。不条理な話だ。父親を殺したのは自分ではないのに。


「でも、アーチー。パラティアが貴方の力になりたいと思っているのは本当です。あの娘は難しい。でもどうか誤解しないで下さい。あの娘を蔑ろにしないで下さい。パラティアは賢く、優しい少女です」


 アーチーの気持ちを推し量ったかのように、ジュードが言う。本当に、我が娘のように思っているのだろう。


「別に俺は気にしてないよ。彼女が良い娘だってことは、良く知ってる。大丈夫、例え悪口を言われて泣かされても、俺はあの娘を信じてるよ」


「良かった」心底安心したように、ジュードは息を吐いた。


 2人の間に、心地の良い沈黙が訪れた。灌木を傘にして、アーチーたちは佇んでいた。星は煌めき、風が優しく頬を撫でた。なんて素敵な夜。所で、自分達は何でこんな洒落たことをやっているのだったか?


 ボン、ドカン! 街の中から強烈な爆発音がした。(オーケー、オーケー。ありがとう、全て思い出したよ)


 ジュードは咄嗟に立ち上がり、穴の近くに寄った。


「パラティアがやったのかな?」

「恐らく。無事だと良いのですが」


 2人は祈りながら彼女を待った。数分経って、穴の中から人が蠢く気配がした。


 ジュードが腰の剣に手をやった。だが、直ぐに「あたしよ」という声がして、男達は胸を撫で下ろした。全身を土煙で汚したパラティアが現した。


「パラティア、大丈夫なのか? あの爆発はお前が?」ジュードが尋ねると、少女は「ふふん」と鼻を鳴らした。


「広場で、ちょっとね。誰も巻き込んでないから安心して。これで騎士団の間抜け共、しらみ潰しに街を探すわよ。クソ野郎が、ざまあみろ!」


 そう言って、パラティアは笑った。年相応の、魅力的な笑い声。アーチーとジュードも顔を見合わせ、笑いそうになる。


 だがドサリと音を立てて少女が倒れると、慌てて動けるジュードが駆け寄った。


「パラティア、大丈夫か? 怪我は何処だ?」

「うるさいわね。魔術を使った上に急いで走ったもんだから、ちょっとくたびれただけよ…」


(ちょっとくたびれただけで、倒れ込むものなの?)


「歩けるか?」ジュードが優しく尋ねる。


「…歩けない」


 ジュードは何も言わず、少女を背負った。「失礼します、アーチー」そして青年を、お姫様にやるようなやり方で抱えた。


(えっ、逆じゃないの?)


「さあ、逃げよう!」


 そう言って、ジュードは走り出した。人を2人に、武器と荷物を持った上でだ。なんて体力。この男は、どれだけ青年を惚れさせれば気が済むのか


 街の方からは騒ぎ声が聞こえて来た。パラティアの言う通り、騎士の連中がアーチーに気が付いた様子はない。


 いつの間にやら、太陽が街の向こう側から顔を出していた。眩しいばかりの朝日が、街の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。ジュードの健脚のお陰で、もう街は遥か向こうだった。


「じゃあな。バッター・ツーアウトワンストライク」アーチーはジュードの逞しい首元に腕を回しながら、遠く小さくなる街に向かって呟いた。


「ノイエ・シュヴァルツヴァルトだって言ってるでしょ! もう黙って頂戴、二度と口を利かないで!」


 (いや、絶対に嫌われてるだろう。これ…)

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