逃げ…
(さあ逃げよう、逃げるんだ)アメリカ人らしくないと言われようとも、アーチーは構わなかった。自分の力で無双出来ないのなら仕方がない。(逃げろ逃げろ逃げろ)
「全部の門を連中は塞いだわ」とレダおばさん。
(終わった。それならもう駄目だな。あー終わった。ああ、神様。そうだった、この世界じゃ俺が神様だったんだ。色んな意味で、もうどうしようもない)
「壁沿いのマシェクの家へ向かいなさい。ここから東に真っ直ぐ行って、二階建ての、オレンジの屋根よ。家の前には井戸があるの」
「その家は味方なのですね?」とジュード。
「信頼できる人よ。彼に頼めば、街を出ることができるから。さあ行って、急いで!」
ジュードとパラティアは駆け足で階段を降りて行った。アーチーはというと、焦りながらもおばさんに礼だけは言おうと、その場に留まっていた。
「あの、その」
「何も言う必要はありませんよ。貴方様が無事でいれば、それが私たちの幸福です。さあ、行って下さい」
「あ、ありがとう!」青年はそう行って、暗闇の中に飛び込んでいった。
「あの人は俺が来訪者だって知ってるの?」
走りながら、アーチーは2人に尋ねた。話している場合ではないと思いつつ、そうしなければ、怖くてどうにかなってしまいそうだった。
「知らないわ」とパラティア。「言ってないし、言ったとしても信じないでしょ」
「でも、凄く俺を気遣ってくれてたんだ」
「例え相手が罪人や徴税人であっても、あの人は蔑ろにしたりしないわ。あんたのことは多分、教団に刃向かった司祭か何かだと思ってたのよ。レダおばさんは立派よ。優しくて、賢くて、人一倍信仰心があるの。だからこそ、私達に協力してくれるの」
暗く狭い裏路地を、ジュードは迷うことなく足早に抜けていく。彼らの他は、野良犬一匹すらいなかった。街は完全に眠っていた。本当に、護教騎士団とやらはいるのだろうか。物音1つしないのに。
「様子がおかしい」
そう言ってジュードが止まった。目の前には街の中央を走る大通りに通じる道がある。その道は、ハンヴィー1台が通れるくらいの広さはあった。
ジュードは物陰に身を隠し、頭を少しだけ出して、左右の様子を確認した。と即座に、彼は頭を引っ込めた。
「奴ら?」パラティアが声を顰めて尋ねる。ジュードは頷くと、アーチーの方を見遣った。
「護教騎士団と思わしき騎兵が2人、この道を見張っています。この道を通らねば目的の家には行けません」
「迂回するの?」不安そうに、アーチーが尋ねる。
「いや、この調子だと他の道も全て見張りが立っているでしょう」
「じゃ、じゃあ、朝になるまで待つっていうのは?」
「その頃には敵の援軍が来るかもしれません。街はもはや安全ではない。誰かが我々の存在を護教騎士団に告げたのでしょう。それに人が多ければ、戦った時に要らぬ犠牲を生みます。それだけは、絶対に避けなければ」
「た、戦うのかい? アイツらは剣と魔法で持って、君の首をちょん切るよ」
(馬鹿な奴。なんてこと言うんだ)と、直ぐにアーチーは自分が言った言葉を反省した。だがジュードは怒ったり呆れたりもせず、静かに笑った。
「タダでは切らせない」
ジュードはパラティアを振り返った。
「目的地は分かるな。会う人間も、その後の行動も」
「馬鹿にしてるの?」
「馬鹿にしてなどいない。お前は俺の知る中で、最も優秀な魔術師だ。だからこそ、我らが主を安心して託すことが出来る」
「頼んだぞ」そう言うと、兄が妹にやるように、ジュードはパラティアの頬を軽く叩いた。少女は唇を噛み締めるだけで、何も言わなかった。
(なんだ? どう言うことだ?)そうやって呆けているアーチーの手を、パラティアが強く握った。
「行くわよ、短足」
「行くって、何処に?」
「街を出るのよ。ジュードが敵を引きつけている間にね」
「へ? それってどう言う…」
青年はハッとした。ようやく、理解することが出来たのだ。コミックや映画、ドラマで観る出来事が今まさに起ころうとしている。
(そんな、まさか。それじゃあジュードは…)
アーチーが声を掛ける間もなく、ジュードは物陰より飛び出した。ほぼ同時に、道の向こうから馬のいななきが聞こえた。
「止まれ!」これはきっと、護教騎士団の連中の声だった。「そこで何をしている。動くな、不審な動きをしたら容赦せんぞ」
足を踏ん張り、力強く道の真ん中に立っているジュードの後ろ姿を、月明かりが照らし出した。彼の褐色の肌は、今や闇の中に神々しく光り輝いている。
「だ、だめだ。ジュードが死んじゃう!」
何が出来るわけでもないだろうに、よろよろと這い出ようとするアーチーの手を、パラティアが引っ張った。
「この間に私達は逃げるのよ。あいつの行動を無駄にするつもり?」
「でも、それじゃあ…」
「良いから行くのよ。さあ、早く」
敵がジュードに釘付けになっている間に、アーチーとパラティアは素早く道を横切り、向かい側の路地へと入った。
「何だ、他にも誰かいるぞ!」
入り際に、連中の声が聞こえた。なんと夜目が効く連中か。
「ラカル、奴らを追え。俺はこいつを見張っている」
「馬鹿な、お前達の相手は俺だ。1人とて何処にも行かせない!」ジュードの声だった。
彼は今まさに、おっかない護教騎士団のと戦おうとしているのだ。早く逃げなければならない。分かってはいても、アーチーはそれ以上動かず、耳を傾けていた。
「何しているの。早く!」
パラティアが、優柔不断な青年の手を痛いほどに引いた。それでもアーチーは動けなかった。逃げるべきだが、本当にそれで良いのだろうか?
来訪者とは、苦しみ悲しむ人々を救う存在なのだろう? そんな者が、誰かを犠牲にして生き延びるのか?
(おい、アーチー。お前は一体どうなんだ?)
道の向こうからは馬と人の荒い息遣い、そして剣が交わる音が聞こえてきた。ジュードはまだ生きている。今ならまだ間に合う。
(そうだ、そうだアーチー。お前ならやれる。そのために、わざわざこんなメキシコだか中東みたいな所に飛ばされたんだろう)
「ジュードを、助けないと」額を汗で濡らしたパラティアを観ながら、青年は言った。
「馬鹿、馬鹿! いくら来訪者だからって、今のあんたにあいつらの相手は無理よ。逃げないと、さあ早く。じゃないと、ジュードの死が無駄になっちゃう!」
アーチーは、自分が余りにも愚かであることを、ここで初めて知った。少女は泣いていたのだ。パラティアにとっても、ジュードは大切な存在んなのだ。なら、やることは1つしかない。
「パラティア。でも、でもさ。君がとっても大事にしている聖書には、誰かを犠牲にして生きながらえた来訪者の話が載っているのかい?」
パラティアの手が一瞬緩んだ隙に、青年は通りへと躍り出た。
(なんてキザな奴、これで死んだらお前はどうするんだ? まあいいさ。少なくもとも後悔はしないだろう)
「ラカル、ラカル! 新手だ!」敵の1人がアーチーに気が付いた。それを聞いて、ジュードが驚いたように後ろを振り返る。
(何故、どうして? せっかく俺が時間を稼いでいるのに、どうして貴方は逃げないんだ?)彼の目は明らかにそう言っていた。
(でも、俺は逃げないぞ。死ぬほど怖いけど、逃げないんだ。何故なら、ここはアラモ砦で、俺はデイビー・クロケットで、ジョン・ウェインだからだ。おそらく。多分。もしかしたらだけど…)
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