おかしな日本人
異世界に来てから5回目の昼が来た。地平線の彼方に、微かに街が姿を現した。それは周りを壁に囲まれた、中々立派な代物だった。
アーチーが小さい頃、教科書で見た植民地時代の入植地なんかよりも余程強そうに見える。この世界にもキチンとした街があるんだと、青年は少し安心した。
「ノイエ・シュヴァルツヴァルトの街です」
(へえ、ノイエ・シュチェツヴァルヴェル…)
「ノ、ノーラン・シューベルトベルト?」
青年は思わず、声に出して叫んだのだった。何故なら彼が考える中で、一番この土地柄に合わない名前だったからである。
ジュードとパラティアが、怪訝そうな顔をしてアーチーを振り返った。
「ノイエ・シュヴァルツヴァルトよ、馬鹿ね。来訪者が付けた名前だから、あんたにも馴染み深いでしょう?」
冗談では無かった。アーチーはしがないカリフォルニア生まれのアメリカ人であり、彼の親族とその先祖を全部当たったって、そんなドイツ皇帝のような名前の者など1人もいないのだ。
一体どんな人間が、そんなベンツ臭い名前を荒野の街につけたのか。ペンシルヴェニア人?
「ねえ、一体誰がその、あー、サーザン・バイブルベルトなんて名前をつけたんだい?」
「だからノイエ・シュヴァルツヴァルトだってば。この街は元々帝国軍の駐屯地だったの。6人目の来訪者が来た時に、私達がそれを奪った。来訪者はこの街を愛し、心を込めて再建したの。その来訪者の名前はリュウノスケ、リュウノスケ・スズキよ」
(スズキ、スズキ!)それなら彼にも聞いたことがあった。バイクのメーカーだ。という事は名前を付けたのはペンシヴァニア人でなく、日本人?
それがどうして、ライジング・サンベルトなんて名前を付けるのだろう。日本の公用語はドイツ語なのだろうか。枢軸同盟は、今でも有効なのか?
「リュウノスケは、偉大な建築家でもあったのよ。このノイエ・シュヴァルツヴァルトの主要な建物の殆どは彼が作ったんだから」
来訪者の話をするパラティアの眼は、年相応の輝きを放っていた。
「それで、その人は街を作った後どうしたの?」
「姿を消したわ。その理由について、聖書には余り詳しく書かれていないの。ある日、忽然と消えたって」
「非公式な口伝によると」ジュードが口を挟んだ。
「リュウノスケ様は獣人の少女と駆け落ちをしたそうです。行き先は獣人の国とか、海の向こうとか言われています」
「それは嘘っぱちよ!」少女は声を荒げてそれに反論した。
「偉大なる来訪者が、半獣なんかと恋に落ちるわけがない! そんなくだらない話、二度と聞かせないで!」
そう言うなり、彼女はそっぽを向いて黙ってしまった。獣人、半獣とは一体誰のことなのか。
「獣人とは、頭に獣のような耳や角を生やした者のことです。耳や角がある以外は我々と何ら変わりがないのですが、パラティアのように、彼らを半獣と忌み嫌うものもおります」
困ったように、ジュートが青年に耳打ちした。頭に獣のような耳や角を生やした人間。よくは知らないが、それは異世界らしい響きだった。
確か、日本人はそういうのが好きなのだ。(なるほど、なるほどな)アーチーは不思議と、その話に納得がいくような気がした。
駆け落ちしたという所で、青年はその日本人に妙な親近感を抱いてしまった。
言葉も生き方も違う異世界に飛ばされて1人、そこで彼は愛する人に出会う。だが周りはそれを良しとしない。全てが嫌になった彼は、愛する人と共に、夜明けの街を飛び出す…。
(やるなあ、その日本人は!)
「ノックアウト・スミスランド…」
アーチーは感慨深く、その日本人が作った街の名前を呟いた。
「ノイエ・シュヴァルツヴァルトよ。いつになったら覚えるの!」
◇
街に入る時、ジュードはアーチーの顔が分からぬよう、彼の頭に念入りに布を巻いた。
「街の門には衛兵がおります。もう来訪者の話が届いているかもしれない。彼らにあなたの顔を見られないようにするんです」
目だけ出し、まるでミイラのようになった青年にジュードは言った。逆に目立ちそうなものだったが、青年はジュードとパラティアを信じることにした。
この2人が信じられなかったら、この世界ではもう誰も信じられないだろう。
一歩、また一歩と門に近づく度、鼓動が速くなった。バレたらどうするのか。その時はきっと、ジュードとパラティアが何とかしてくれる…。
「止まれ」門衛の内の1人が声を掛けて来ると、アーチーは心の中で悲鳴を上げた。(ああ、神様!)
「その者はどうして顔に布を巻いているのか」
「兵士様、彼は道中盗賊達に襲われた時、酷い傷を負ったのです。それは無惨なほどに」
「流行り病ではなかろうな?」
「滅相もない、嘘は申しません」
「ふうん」門衛は注意深く、アーチーの事をジロジロと見始めた。彼は平静を保つため、心の中で家族の名前を片っ端から暗誦し始めた。
そして従姉妹の娘が可愛がっている猫のアーカンソーまで来た時に、「通っていいぞ」という門衛の声が聞こえた。
「なってない、警戒が緩慢ね。これだから軍は駄目だわ」
(せっかく入れて貰ったのになんてこと言うんだ)内心、失禁してしまいそうだった青年は、思わずパラティアを睨んだ。
「『嘘は申しません』だって。あんたも大した嘘吐きね、ジュード」
青年の怒りを無視して、少女はニヤニヤと笑いながらジュードの方を向く。
「嘘が必要な時もある。神も許してくれるさ」
ジュードはそう言って、青年の顔を観た。アーチーは許した。死ぬほど怖かったが。
◇
ジュードとパラティアは慣れたように入り組んだ狭い路地を、周囲を壁に囲まれた街の端へと向かって歩いた。
着いたのは二階建ての建物で、初日の集落とは違い、それは木造だった。家の前で掃き掃除をしていた女性が、ジュードとパラティアの姿を見るなり、箒を捨てて2人に駆け寄った。
「ジュード、パラティア、久しぶりじゃない、どうしたの!」
「お久しぶりです、レダおばさま。部屋は空いている? また数日お借りしたいんですが」
「まあ、訳も話さないのね。良いわ、2階は空いているから。数日と言わず、半年でも、百年でも」
パラティアは優しげに微笑むと、レダと呼んでいる壮年の小柄な女性を抱きしめた。どうしてアーチーと会話する時、そう言う風にしてくれないのか?
2階の部屋に荷物を置くと、ジュードが言った。
「アーチー、この世界に来てからすぐに旅立ったので、さぞお疲れでしょう。この街には温泉があります。食事の前に、そちらに行って疲労を洗い流しましょう」
成る程、ここは日本人が作った街だと言う。日本人といえば富士山、任天堂、そして温泉という訳だ。
アーチーこの世界に来てまだ一度も体を洗っていなかった。ここがどこだろうと、年頃の青年がそんな不潔で良い筈がない。不潔な男に、異性が寄って来る訳がない。
「パラティア、お前も行くだろう?」
「私は良いわ。大勢に裸を晒すなんて、野蛮な帝国人みたいな真似できないから」
「だが、だいぶ汚れが目立つぞ。これから先もある。湯船に浸かって、ゆっくりと英気を養うべきだ」
パラティアは黙り、何かを考えているようだった。しきりに自分の身体の隅々を見遣っては、鼻をすんすんと動かしている。
「わ、私、臭うかしら…」
ジュードは何も言わず、アーチーの方を見た。(何だよ。風呂に入れって言ったのは君じゃないか!)言い難いことを言うのも、来訪者の仕事らしかった。
「ちょ、ちょっと土埃が髪についてるくらいだよ。気にするほどじゃない。君は今でも十分に綺麗さ。けど、お風呂に入ったら、その、もっと綺麗になるんじゃないかな?」
「ほお」感心したようジュード。(うるさい、何がほおだ)
青年は少女の返答を待った。いや、返答というより応酬だ。こちらが石を投げれば、ダンプカーを投げて来るのが彼女だ。
パラティアはいつも通り、アーチーを睨みつけた。だが一向に、罵声を浴びせる気配は無かった。
「はあ」彼女がようやく口に出したのは、ため息だった。
「分かった。でもあんたの為じゃないのよ。あたし自身のため。病気にでもなったら困るもの」
アーチーは打ち震えた。何故ならそれは、彼がこの世界に来て初めて手にした大勝利だったからだ。
小踊りたい気分を青年が必死に抑えたのは、パラティアに怒鳴られるのが怖かったからだった。
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