あちち
(メラニア婆ちゃんが泣くだろうな)ワンピースを着た中年男性2人組に挟まれながら、アーチーは今の自分が置かれている状況を憂いた。まるで、ロズウェルで捕まった宇宙人みたいだったからである。
男2人は、時折チラチラと青年のことを見ては、互いに何事かを囁いている。(不気味だ。ここはメキシコの何処なんだ?)
「キョウダイ、オレアメリカジンネ。オカネアルヨ。5ドル、アルヨ」
アーチーの流暢なスペイン語(少なくとも本人はそう思っている)は通じなかった。
彼らの顔は浅黒く、2人とも、顔の下半分が髭に覆われてた。メキシコ人というか、アッシリア人とかアラブ人のようにも観える。
行けども行けども、やはり文明らしきものが何もなかった。いくらなんでも、車の1台すら走っていないものだろうか。
そうして何時間歩いたか、ある丘をぐるっと回り込んだ時、集落がいきなり彼らの目前に現れた。取り囲んだ丘が、集落を隠していたのだ。
恐らく日干しレンガで作られている家々が並んでいた。家の横には家畜小屋があって、村の真ん中には井戸がある。
「信じられない、まるで聖書に出てくる家じゃないか。メキシコってこんな所だったのか」相手が英語を分からないのをいいことに、青年は思ったことを口にした。
アーチー達を、井戸の横にいた女達が仕事の手を止めてまで凝視する。
「なんて眼だ、やめろよ。そんなにアメリカ人が珍しいのかい?」
これまた豊かな真っ白な髭を蓄えた老人が、一際大きな家から出て来た。アーチーをここまで連れて来た2人は、何やらその老人に捲し立てている。どうやらこの老人は、この村の村長らしい。
老人はジロジロとアーチーの事を眺めた後、2人に、自分の家まで連れてくるよう促したようだった。家の中は広かったが、照明がなかった。
家具も必要最低限のものだけ。机は2つ、後は甕が4個、壁をくり抜いて作った棚。床には円形の穴が空いていて、そこでは火が起こされていた。ガスも無かった。
「驚いた、メキシコってそうだったのか。道理でみんなアメリカに来たがる訳だ」
村長の妻らしい老婆が、不安そうに青年を見つめていた。村長はしきりにアーチーに話しかけていた。身振り手振りの悪戦苦闘の末、ようやく分かった。
「ここで、待て」そう言ってるらしい。
アーチーは30分程そこで待った。暗く暑い部屋の中で何もしないで待つ30分は、まるで拷問のようだった。
額に浮かぶ汗を、青年が何度目かで拭った時、その2人は現れた。マントのようなものを羽織っている2人は、ワンピース姿に見慣れたアーチーの目を惹いた。
1人は髪の長い女。顔にそばかすがあった。そしてもう1人は、
「ウィル!」
アーチーは親しげに、その男に近づいていった。親友のウィルにそっくりだったからだ。その褐色の肌と短く坊主のように刈られた頭は、ジェイミー・フォックスに瓜二つの親友の姿を思わせた。
だがウィル(に似ている奴)は腰元に差している剣を抜くと、アーチーに突きつけた。青年はショックと恐怖の余り、後ずさった。
(やっぱりここはメキシコなんだ、殺される!)
アーチーは慌てて両手を空に向かって挙げた。敵意がないことを、中世ヨーロッパのような剣を持つメキシコマフィアに示す為である。
だがウィル(他人の空似)は彼を殺さなかった。アーチーを睨み、剣を突きつけてはいる。だがそれだけだった。
ウィル(だったら良かったのに)は隣にいる女に何かを喋った。すると女は頷き、肩から下げている袋から小さな本を取り出した。
「สวัสดี」
(へ?)女はその本に書かれている事を音読しているようだった。だが、アーチーにはさっぱり理解出来なかった。
「नमस्ते」
(駄目だ、分からない。分からなかったら殺されるんだろうか)
「Здраво」
(ああ、俺はここで死ぬんだ。こんなことなら真面目にスペイン語を勉強しおくんだった。ああ、カレン。ああ、神様!)その時だった。
「こんにちは。調子はどう?」
それはやけに聞き馴染みのあるスペイン語、いや、英語だった。(なんてこった、神様!)
「元気、元気だよ! 兄弟、好き好き。愛してるよ!」
女は目を見張ると、今開いていたページを引きちぎった。(何だ?) 困惑しているアーチーを、いつの間にやら背後に回っていたウィルが抑えた。
「な、なんだ!」アーチーは必死に暴れたが、しっかりと抑えられ、びくともしなかった。
(ああ、そうか。俺がアメリカ人だと分かったからだ。なんて馬鹿なやつ。ウィル、ウィル! 友達の俺が分からないのか!)
「食え」
女はくしゃくしゃに丸めた紙を青年の口元に近づけた。
「や、やめてくれ。し、死にたくない! 童貞なんだ。神様、どうか助けて下さい。貴方の可愛い童貞が殺されてしまう。ああ!」
ウィルが嫌がるアーチーの口を無理やりにこじ開け、素早く女が紙をそこに放り込んだ。カビみたいなその味は、何故か青年にマリーア叔母さんの鬘を思い出せた。
「上手くいったか?」
「分からない」
アーチーは顔を上げた。彼らの言っている事が分かる。(英語だ。こいつら、ちゃんと英語が喋れたのか)
「どう? 何とか言いなさいよ」
口の悪い娘に促され、青年はおずおずと口を開いた。
「あ、あの25ドルが全財産なんだ。スマホもあるけど、型落ちだし、充電も切れてるし。あっ、シャツとズボンもあげるよ。ね? だから、あの、その、命だけでも助けて欲しい…」
「これのどこが来訪者?」とそばかすの女。
「聖書に書いてあるのと全然違う。ただの腑抜けもいい所よ」
「だが確かに聖句集に載っていた言語を喋っていた。この者は、来訪者と同じ言語を話していたのだ」
「どうだか。来訪者を名乗る奴なんて、王都の精神病院にいくらでもじゃない。帝国のスパイかも」
「馬鹿な。帝国のスパイがどうしてこんな所に」
「分からない。けどこのままじゃ埒が明かない。だから、試してみるべきね」
「試す? どうやって」
にんまりと、そばかすの女が笑った。娘はビクビクしているアーチーの腕を引くと、外へと連れ出した。
「そこに立ってなさい。動くんじゃないわよ」
そう言うと、女はアーチーを村の広場の真ん中に残して離れていった。
「パラティア、寄せ。何をするつもりなんだ!」
ウィルがパラティアというらしい女を止めようと家の中から出てきた。アーチーは訳も分からず、手持ち無沙汰のまま立っていた。
パラティアが何かをもごもごと口の中で呟くと、次の瞬間、彼女の指先から、文字通りの意味で火が噴き出した。
(ワーオ、凄い。メキシコ人ってそうなんだ!)アーチーが驚愕の眼差しで自分を観ているとことに気が付き、女は笑った。そしてゆっくりと、それを青年のいる方に向けた。
(熱い、熱い!)アーチーの身体は一瞬の内に火に包まれた。
(馬鹿が、何が凄いだ。彼女はマフィアなんだぞ! 今度こそ死んでしまう! ああ、神様、神様!)
青年は火だるまになりながら、水を求めて必死で井戸を探した。火の勢いや強くて目を開けられないので、手探りだった。
だがそんな時、アーチーはあることに気がついた。熱い、がそれほどでもないのである。呼吸も辛くはない。恐る恐る眼を開けてみたら、前が見えた。
試しに青年はその場に止まり、冷静に状況を整理することにした。身体は確かに轟々と燃えているように見える。
だが目を凝らしてみれば、火は彼の肌の上を撫でてはいても、肝心の肉や服は全く燃えていないのだった。
アーチーは唖然として、未だ指先から炎を吐き続けるパラティアの方を見遣った。向こうも愕然とし、瞬きもせずにこちらを観ている。ウィルも同じだった。
3人はそうやって暫くの間その場に立ち尽くし、見つめ合っていた。
(あの、良い加減火を止めてくれよ…。)
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