第1章

メキシコ(異世界)

「あの女はやめておけ。アバズレだぞ」


(余計なお世話だ!) 


 アーチーは今週分の5ドル札5枚を鷲掴みにすると、停めてあるフォードのオンボロトラックに飛び乗った。


 カレンとの待ち合わせまで30分。早めに着いて、ポップコーンを買う時間もある。


(にしてもメリク叔父さんめ、あのハゲ。なんて酷いことを言うんだ。アバズレだって? シェイクスピアの時代の言葉じゃないか)アーチーは心の中で悪態を吐いた。


(カレンはアバズレなんかじゃない。ただ、ただ移り気なだけなんだ。そう、そうさ、だってZ世代なんてそんなもだろ?)


 青年はそんなイラついた気持ちを抑えるに、スマホを取り出し、音楽を流すことにした。


 ブルートゥースなんてものは無い。そんなもの、南北戦争の時代に作られた車についてる訳が無い。


 それは彼が最近ハマっている、古い歌だった。Z世代だって、古い歌の1つや2つくらい聴くものだ。


「俺は、俺は王様になるんだ。そしたら君は、君は女王になるんだ」


 アクセルを踏む足に力を込めながら、アーチーは上手くもない歌の為に喉を震わせた。古いが魂を揺さぶる良い曲。


 書いた者はもうこの世にいないけれど、こうやって歌を通じて語りかけてくる。


 (これは俺とカレンの歌なんだ)アーチーはこの歌を歌う度に、そう思うのだった。


 (移り気な彼女も、きっと俺には参るに違いない。俺が王様で、あの娘が女王。他はみんな俺たちの臣下だ。あのウザい、ハゲのメリク叔父さんもな!)


 気持ちが昂るのに合わせ、青年の歌声もうるさくなった。


 (良い気分だ。映画を見終わったら、向かいのコバヤシさんの店でアイスクリームを食おう。そしたら、車で川まで行く。夜空をバックに、2人で人生について話し合うんだ。それから、それから…)


 キキィーーー!!! バンッ!!! ガラガラ プスプス シューー…。


  ◇◇◇


 うだるような暑さは、カリフフォルニアでは日常茶飯事だった。けれど、もう陽は沈みかけていたのはではなかったか。


 まだ陽は出ていた。しかもただの暑さではない。まるで、熱したフライパンの上にいるような感じ。アーチーは飛び起きた。


「暑い!」叫びながら、青年は自分が地面に寝ていたことにようやく気が付いたのだ。どうして、こんな所で何をやっている? 


 アーチーは頭を抱えながら、自分が先程まで寝ていた場所を凝視した。何も思い出せなかった。まるで100時間も寝ていたように、頭が動かない。


 いや、メリク叔父さんのオレンジ農園を後にした所までは覚えている。車に乗り、音楽を掛けて、俺は王様になる…。


 周りは荒野だった。ゴツゴツとした岩が転がっていて、背の低い木が点々と生えている。遠くには、荒々しく屹立する山脈がうっすらと見えた。


 ギラギラと光る太陽が、唖然とする青年を容赦なく見下ろしている。カリフォルニアも荒野には違いなかったが、ここはどこか様子が違った。アーチーはあんぐりとした口を閉じると、ヨロヨロと歩き出した。


 行けども行けども、コンクリート舗装の道路が見えなかった。看板もない。建物も、錆びたコーラの缶すら落ちてない。人の気配がないのだ。


 これはどうしたことか。(そもそも、俺の車は?)ズボンのポケットに財布とスマホがあることを確認し、青年は安堵した。だが圏外だった。


(天下のカリフォルニアで、圏外?)ありえないことではなかった。けれど、青年の住んでいる6マイル圏内に、そんな場所があったろうか?


 そんな時、前方、遠くの方から、こちらに向かってくる2つの人影が見えた。アーチーは立ち止まり、目を凝らした。蜃気楼ではないらしい。


「お、おーい!」


 青年が掠れた声を上げると、その2人は止まった。互いに顔を見合わせている。


「おーい、おーい!」


 もう一度叫ぶと、彼らはこちらに向かって歩き出した。近付いてくるにつれて、2人の服装が分かってきた。


「なんてファッションだよ!」思わず、多感な青年は叫んだ。


 2人は半袖のワンピース状の服を着て、それを腰で紐と通していた。頭にはターバンのようなものを被っている。それなのに、2人は髭を生やした立派な中年の男だった。


(いやワンピースを着るおっさんがいたっておかしくはない。そういう時代だろ…)


 アーチーは頭を振り、自分に言い聞かせた。異様な2人の服装は、同時に聖書に描かれる世界を青年に思い起こさせた。


「あの、ここは何処です? 俺はフレズノから来たんだ。道に迷ってしまって…」


 2人は怪訝そうに青年を見つめている。こちらの言うことが分からないのだ。事実、男達の言葉も、アーチーにはちんぷんかんぷんだった。


(待てよ?)


 青年の頭に電流のようなものが走った。彼は冷静に、これまでの出来事を脳内で整理し始めたのだ。


 目が覚めたら、何処か分からない荒野の真ん中に立っていた。そこには文明らしきものは何もない。人は変な服を着て、訳の分からない言葉を喋っている。おまけに記憶はごちゃごちゃ。


 青年は、そのおかしな状況に見覚えがあったのだ。訳はない、正しくアレだ。


(なんてこった、俺がアレに巻き込まれるなんて)アーチーは頭を抱えた。間違いない、ここはあそこだ。間違いない、間違いない…。


「なんてこった、ここはメキシコだ!」

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