26 キャッチアンドリリース

26 キャッチアンドリリース


「じゃあ、シーウルフをやっつけに行く前に準備をしようか」


 ミックの提案にエクレアは、そんなものが必要なのかと言いたげな、眠たそうな声を返す。


「準備?」


「うん、エクレアお姉ちゃんはシーウルフに挑んで、サーフィッシュから突き落とされるだけで済んでたんだよね?」


 無言で前髪を前後に揺らすエクレア。


「オオカミは本来、ナワバリに入った相手には容赦しないんだ。何度も挑んで生きているということは、シーウルフに遊ばれてるんだと思う」


「キャッチアンドリリースをされている、ということ?」


「魚釣り風に言うならそうだね。釣り人を圧倒したければ、サメになるしかないんだ」


「サメになる……」


「エクレアお姉ちゃんが使う攻撃魔術は、なに属性なの?」


「雷属性」


「ってことは雷撃魔術だね。攻撃力は高いし命中率もあるけど、川下りしながら使うには難しいよね」


 雷撃魔術はその名の通り、雷を放ち敵を撃つ魔術。

 飛ぶ速度が速いのでよけられにくく、命中すれば相手をしびれさせることができる。


 特に水の中いるモンスターに対しては絶大な効果を発揮するが、大きな弱点があった。

 それは術者の身体が濡れてしまうと、乾くまでは魔術を放てなくなってしまうという点。


 身体が濡れた状態だと雷撃は飛ばず、術者を感電させてしまうのだ。

 そのため、サーフィッシュに乗りながらでの戦いとなると、一度の落水で敗北が確定する。


 ミックはその欠点をカバーするための準備をしようとしていたのだが、耳を抜けていく滝の音に、大切なことを思いだした。


「あ、そうだ、もうすっかり聞き慣れてたから忘れてた。エクレアお姉ちゃん、オークたちを解放してあげて」


 ミックは作戦会議をいったん打ち切ると、滝のほうを見やる。

 白い瀑布の向こうには、丸太に縛りつけられたオークたちがなおも絶叫とともにもがいていた。


 エクレアは小首を傾げながら問い返す。


「なぜ? これからシーウルフと戦うのに、オークは助けるの?」


「解放するのが嫌なら、ひと思いに楽にしてあげて。あのままじゃかわいそうだよ。エクレアお姉ちゃんは、釣った魚もいじめてから食べるの?」


 その魚の例えでエクレアはようやく合点がいったのか、ローブの袖の下をまさぐる。

 彼女の二の腕くらいの長さの木の杖を取り出すと、滝に向かってかざし、口をもにょもにょと動かしていた。


 どうやらそれは魔呪文の詠唱らしく、オークたちを縛り上げていた縄がはらりとほどける。

 オークたちは滝壺に落ちたが、必死の形相で泳ぎあがると、そのまま川を下って逃げていった。


 「キャッチアンドリリース」とエクレア。


「そうそう。それじゃあ準備の続きをしよっか。エクレアお姉ちゃん、ちょっとサーフィッシュに乗って、滝壺のまわりを回ってみてくれる?」


 エクレアは返事のかわりにサーフィッシュの板を滝壺へと投げこみ、その上にぴょんと飛び乗った。

 手にしていた木の杖を指揮棒のように動かすと、サーフィッシュは眠りから覚めるように動きはじめる。


 エクレアの操るサーフィッシュは流れる水の上でも安定しており、描く軌跡も穏やか。

 彼女のフードで丸くなって寝ているロックも、ゆりかごに揺られているように安らか。

 彼女は己の表情のごとく静かに滝壺の外周を巡ると、川べりにいたミックの元へと戻ってくる。


「う~ん」


 ミックはひと唸りして宝箱の中に引っ込んだかと思うと、工具を手にして戻ってきた。

 上半身を乗り出し、目の前で浮いているサーフィッシュをぺたぺたと触りはじめる。

 エクレアはサーフィッシュに乗ったまま、その様子をキョトンと見下ろしていた。


「なにをしているの?」


「サーフィッシュはデッキのところにメンテナンスハッチがあるんだよ。見えないように隠されてるんだけどね。あ、あった」


 ミックはサーフィッシュの表面にあるわずかな隙間を指先で探りあてると、ドライバーをねじ込む。

 すると、30センチ四方の空間がフタのようにパカッと開いた。


 エクレアはこのサーフィッシュと苦楽を共にしており、相棒のように思っている。

 しかしそんな所が開くとは知らなかったようで、相棒の意外な一面を見たような顔をしていた。


「ぬいぐるみに内臓があったような気分」


 サーフィッシュはモノリスのように平らな一枚板だが、メンテナンスハッチの向こうは魔法陣が描かれた回路や配線なのでさながら内臓のようだった。

 ミックはドライバー一本で、豆粒のようなネジを回したりゴマ粒のようなスイッチを切り替えている。

 やがてメンテナンスハッチを元通りにすると、


「これでよし、っと。エクレアお姉ちゃんに合うように機体の設定を調整してみたよ。試しにもう1回、ひと回りしてみて」


 エクレアは返事のかわりに木の杖を動かす。

 すると先ほどまでは朝の散歩のようにゆっくりだったはずのサーフィッシュは、マラソンのごとく走りだしていた。


「はやっ」


 速すぎるあまり滝に突っ込むかと思われたが、寸前でサーフィッシュはスライドしつつ横滑り。

 衝撃波じみた水しぶきを撒き散らしながら、エッジのきいたUターンをかましていた。


「なにこれ、ぜんぜん違う」


 相棒の動きが羊の皮を脱いだ豹のように豹変していたので、さすがのエクレアもどんぐり眼。

 フードにいる黒豹も、「ふにゃーっ!?」と飛び起きていた。


 再びミックの元に戻ってきたエクレアは驚きのあまり口をぱくぱく、ロックはうにゃうにゃと抗議する。

 ミックは八つ当たりぎみ飛びかかってきたロックをなだめるように撫でながら、エクレアにウインクした。


「エクレアお姉ちゃんはずっとそのサーフィッシュを使ってたんだよね? 子供の頃はそれでもよかったみたいだけど、大きくなって魔力ロスが起きてたから、今のエクレアお姉ちゃんに合わせて調整したんだよ」


「ぬいぐるみが神獣だった気分」

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