25 はじめての生徒

25 はじめての生徒


 ふぅ、とひと息ついてからエクレアを見やるミック。


 エクレアはピクリとも動かなくなっていた。

 彼女は普段からじっとしているタイプなのだが、その動かなさに輪がかかっている。

 風によるおかっぱ頭の揺れがなければ、彫像と勘違いしてしまいそうなほどに。


 寝ぼけ眼は心なしかクッと見開かれ、口もいつもよりあんぐりしている。

 背中のフードにいるロックは、先ほどの『魔術』のことは知っていたので、三角の耳を両手を覆って耳を塞いでいた。


「……どう?」


 ミックが尋ねると、エクレアはハッと息を漏らす。

 真顔のまま宝箱まで歩いてくると、ミックを再び抱き上げた。


「代理先生」


「えっ?」


「自分の先生はすでにいる。だからあなたは代理先生」


 ミックが使った黄金の杖は、シンラが開発した『サンダースイッチ』という機怪。

 杖にあるボタンを押すだけで、この山の山頂に建てられたアンテナから稲妻が降り注ぐというもの。


 ようするにミックが放っていたのは自身の魔術ではなく、前世で作った装置を作動させていただけ。

 しかしあれほどの稲妻を魔術師の手を介さずに作り出す手法はこの世界にはまだ無いので、エクレアはすっかり騙されたようだった。

 それどころかエクレアは、代理とはいえ先生とまで呼びたくなるほどのインパクトを受けている。


「と、いうことは……滝行はしなくていいんだね!?」


 エクレアは返事のかわりに、「こちょこちょ」と抱き上げたミックの脇をくすぐる。


「あはははっ! ちょ、やめて!」


「爆笑一発ギャグ」


「ギャグじゃないよ! ただくすぐってるだけだよ! や、やめてってば!」


 エクレアはずっと真顔でこちょこちょしてくるので、本気なのか冗談なのかミックはよくわからなかった。


「これで勝てる」


「あははっ、勝てるって、なにに!?」


 エクレアは一発ギャグという名のくすぐりを止めると、ゆるやかに川下のほうに視線を移す。

 そこには温泉のようになったクレーター、湯気の向こうに見える川べりに、動物の群れが見えた。

 ミックは目をこらし、それがオオカミの群れであることを確認する。


「あれは……『シーウルフ』……?」


 『シーウルフ』。

 海のそばにある断崖などに、貼り付いて生息するオオカミの一種。

 他種のオオカミに比べて泳ぐのが苦手だが、かわりに素早さと身軽さを併せ持つ。

 その身体能力を利用して、海の上を石切り遊びの石のように移動して魚を狩るという、オオカミとしてはかなり変わった性質を持っている。


 彼らを目にしたミックは、当然の疑問に行き着いていた。


「海の近くにしかいないはずのシーウルフが、なんでこんな山の中に……?」


 エクレアは「おそらく」と答える。


「あのシーウルフたちは、この川に海の魚が豊富に生息していることに気づいたのだと思う」


「なるほど、魚を求めて海から来たってわけだね」


「海の魚たちは川をさかのぼるように移動する。しかしシーウルフの群れが来てから、ここまで魚が来なくなった」


 エクレアは滝壺近くの川べりに並べてあった、釣り竿のほうに顔を向ける。


「シーウルフの乱獲によって、最近は食料の魚も釣れなくなってしまった」


 ミックの頭の片隅にあった疑問の点が、線となって繋がった。



 ――プルプお姉ちゃんの食べる魚が無くなってた原因が、わかった……!

 プルプお姉ちゃんのところに行くまで、シーウルフたちがぜんぶ食べちゃってたんだ……!



 この事態を流しそうめんで例えるなら、流れてくるそうめんを上流の人間たちがすべて食べてしまっている構図に近い。

 魚たちの動きは川下から川上なので、逆流しそうめんひとりじめ事件といえよう。


「ひとりじめするなんて、許せない! エクレアお姉ちゃん、シーウルフをやっつけに行こう!」


 キリッとした表情でエクレアのほうに向き直るミック。

 しかしエクレアがまたしても燃え盛るような真っ赤な仮面を被っていたので、不意討ちを受けたミックは「うわーっ!?」と叫び出してしまう。


 仮面を外しながら「ここまでが一発ギャグ」とエクレア。

 掴みどころのない彼女の言動に、ミックはどっと疲れていた。


「ギャグじゃないし、ぜんぜん一発でもないよ……」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 エクレアは滝壺にキャンプを張り、修行場としていた。

 彼女はテントのそばに立てかけていた、戸板のように広くて平らな金属板を持ち出してくる。


「あ、サーフィッシュだね」


 『サーフィッシュ』とはサーフボードをヒントにシンラが開発した、水上を移動するための機怪のこと。

 体重による移動のほかに、魔力を送り込むことによっても制御が可能になっている。


「このサーフィッシュに乗りながらシーウルフと戦うと、移動系の魔術と攻撃系の魔術、種類の違う魔術をふたつ同時に使うことになる」


「でも川下りしながらなんて、かなり大変なんじゃない?」


「だからこそ、集中力や詠唱の速さが鍛えられる。一朝一夕にして一石二鳥の特訓」


「なんだかよくわからないけど……。でもそう言うってことは、いままで何度かシーウルフと戦ってきたんだね」


「そう。でもいつも途中でサーフィッシュから落とされて、川下まで流されていた」


 ミックは、無表情のまま川をあっぷあっぷと流れていくエクレアの姿を想像した。


「そして川下で魚を釣って、ここに戻ってくるという毎日を送っている」


 ミックは、ずぶ濡れの姿で釣り糸を垂らすエクレアの姿を想像した。


「だから代理先生、いっしょに来て」


 エクレアはそう言いながら、ローブの懐から取り出した仮面を被る。

 それは、苦悶の表情に満ちた生贄のような仮面だった。


 「来なければこうなる」というエクレアからの無言の圧力をミックは感じる。

 しかしもう怖れたりはせず、むしろニッコリと笑い返していた。


「そんなことしなくても行くよ! だって、友達が困ってるんだから!」


「困ってる、友達……?」


 ミックは気づいていなかった。

 おかっぱ頭から少しだけ出ていた耳が、ほんのりと色づいていることに。

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