第4話 中庭で(3)sideエリシャ

 ふぁ……っ、と大きな欠伸がでそうになって、エリシャは慌てて手のひらで口を覆った。


(昨夜は本に夢中になって、夜更ししちゃったわ)


 涙の浮いた目をしばたたかせて、眠気を追い払う。

 普段は自制心の強い彼女だが、人気作家の新刊の誘惑には勝てなかった。夢中になって明け方まで読んでしまったが、分厚いハードカバーに挟まった栞はまだ全ページの半分の位置。

 昼休みに読み進めてしまおうと学園に本を持ってきたエリシャは中庭に出た。涼しい木陰ならば読書も捗るだろう。空いているベンチに腰を下ろし、早速本を開いた……瞬間!


「きゃっ!」


 頬に当てられた冷たい衝撃に悲鳴を上げる。振り返るとベンチの背もたれから身を乗り出したテオドールが、グラスを両手に爽やかな笑顔を向けていた。


「ジュースを氷魔法で凍らせてフローズンドリンクにしたんだ。飲む?」


「テオドール様……。い、いただきます……」


 反射的に受け取ってしまう。ストローで吸い込むと、シャリッと半冷凍されたジュースがゆっくりと口の中に流れ込む。このジューススタンドのドリンクはエリシャも買ったことがある。味は良いのだが、常温だと喉の通りが悪く途中で飽きてしまうのだが……。


「美味しい」


 程よい硬さの氷が口の中で蕩け、果実の甘みが広がる。


(すごいわ、テオドール様。微調整の難しい氷魔法をこんな風に使えるなんて)


 さすが、学年一の秀才と謳われるだけある。ちなみに次席はエリシャだ。

 それに、


(これって、キトルスベリーのジュースよね)


 わたくしの好きな味を選んでくれたのかしら? そう考えるのはちょっと自意識過剰かな、とエリシャは心の中で苦笑する。


「何読んでるの?」


「えっと、ディグスターヴの新作です」


 訊かれた彼女は表紙を見せながら答える。テオドールに話しかけて貰えたのが嬉しくて、必要以上に笑顔になってしまうけど、


(あっ)


 不意に思い出す。


(今日のわたくし、寝不足で目が腫れているわ! 顔もむくんでいるし。テオドール様に気づかれてないといいのだけれど……)


 隣に座った背の高い銀髪の彼を見上げると、突然テオドールはベンチを揺らす勢いで立ち上がった!


「ど、どうされましたか? テオドール様」


 驚くエルシャに、険しい表情だった彼は夢から醒めたように目をしばたたかせる。そして「いや、なんでも」と曖昧に微笑んで腰を下ろした。


(何があったのかしら?)


 全然『なんでも』なくない様子の彼に、エルシャはこっそり辺りを窺う。そして、


(あ……)


 少し離れた向かいのベンチで、エルシャの元婚約者と彼の現婚約者が仲良く弁当をつついているのが見えた。本のことばかり考えていたから、ザカリウスとユキノがこんなに近くにいるなんて気づかなかった。でも、これで理由がわかった。


(テオドール様はあの二人を見つけて怒ったのね)


 納得と同時に一気に切ない気持ちが込み上げる。テオドールはエルシャの為に激怒してくれたのだ。だって……、


(わたくしは『可哀想な親友の元婚約者』だから)

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