第3話 中庭で(2)sideテオドール

「ど、どうされましたか? テオドール様」


 しかし、驚いた顔で見上げるエリシャに、我に返る。ここで揉め事を起こせば困るのは彼女だ。


「いや、なんでも」


 曖昧に微笑んで腰を下ろす。


(まずいな)


 心で呟く。どうしてもエリシャの事となると熱くなってしまう。

 テオドールとエリシャは知り合ってもう十年にもなる。宰相家出身の彼は、同い年の王太子ザカリウスとは乳兄弟として育ち、六歳の頃にザカリウスがエリシャと婚約したことで、必然的にテオドールともそれなりの頻度で顔を合わせるようになった。

 エリシャは公爵令嬢としての気品溢れる、穏やかで勤勉な少女だった。日に日に美しく成長していく彼女を眺めながら、社交行事ではいつも隣に並ぶザカリウスに嫉妬するようになったのは、いつからだろう?

 テオドールにとってザカリウスは乳兄弟であり大事な親友だ。エリシャも素晴らしい女性で、次期王妃にふさわしい。

 だから二人の婚約は喜ばしいことで、水を差すような真似はしてはならない。

 彼は淡く燻る初恋の火を胸の奥に閉じ込め、二人を祝福し応援し続けた。

 政略結婚への反発からか、ザカリウスはエリシャを素っ気なく扱うことが多かったが、テオドールはその都度親友を窘めた。


「もっとエリシャ嬢を大切にしろ」

「あれほど出来た女性はいない」

「彼女を失ったら後悔するぞ」


 しかし、彼の忠告はザカリウスには届かなかった。

 リースレニ王国に聖女が召喚され『禍の気』が晴れると、ザカリウスはすぐにエリシャとの婚約を破棄し、ユキノを伴侶にすると宣言した。

 事が事だけに、王太子の選択は国民から支持された上にエリシャの名誉は守られ、同情さえ集めた。

 世間体的には無傷だが……だからといって、心が傷つかなかったはずはない。

 テオドールは無神経な恋人達を苦々しく睨みつける。

 王国を救ってくれた聖女ユキノには感謝している。たった一人で異世界に来た彼女が王太子を拠り所にしたのも理解できる。だが、


(ザカリウス、お前はダメだ)


 親友には、元婚約者への誠意が足りない。政府はオルダーソン公爵家に多額の慰謝料を払ったというが、そういう問題ではない。


(もっと――)


 ――エリシャを幸せにしてあげて欲しかった。

 ザカリウスに投げかけた言葉は、すべてテオドールの本心だ。

 俺なら彼女を大切にするのに。よそ見なんかしないのに。笑顔にできるのに。


「あの、テオドール様」


 名前を呼ばれて、仄暗い回想から明るい現実に引き戻される。気がつくと、本を閉じたエリシャが空のグラスを片手に立ち上がっていた。


「午後の授業が始まりますので、教室に戻りますね。ジュースありがとうございました。今度お礼を……」


 言われた瞬間、


「じゃあ、俺とデートしてよ」


 つるりと自分の口から零れ落ちた台詞に、テオドールは大層後悔した。何故ならエリシャが顔を真っ赤にしてしまったから。


「デ、デ、デートですか? わた、わたくしと? ええと、あの、よ……」


「ウソウソ、冗談だよ!」


 動揺に舌の回らないエリシャを、咄嗟に遮る。


「からかってゴメン。ジュースくらいで恩に着せたりしないよ。だからまた今度会った時は普通に喋ってよ」


 おどけた口調のテオドールに、彼女はほっと肩の力を抜いた。


「ええ、ぜひ」


 ふんわり笑うエリシャの愛らしさに、心臓が射抜かれる。


「では、ごきげんよう。テオドール様」


 お辞儀をして去っていく令嬢を、笑顔で手を振って見送ってから――


(やっちまったあああぁぁぁぁぁぁ!!)


 ――テオドールは両手で顔を覆い、膝に頭がつくほど項垂れた。


(引いてた。明らかに引いてた。どーしてデートになんか誘ったんだ、俺! まだ早すぎるだろうが!)


 脳内で軽率な自分を罵倒する。

 エリシャはまだザカリウスに振られた傷が癒えてないんだ。今は話を聞いて労ってあげるべきなのに。


(ただの『知り合い』の俺といきなりデートなんて、困るだろう。あんなに警戒してたじゃないか)


 滑らかな頬を薔薇色に染め、プルプルと子鹿のように震えるエリシャを思い出してダメージを受ける。

 テオドールはエリシャのことが好きだ。出会った日から十年間、想いは募るばかり。婚約破棄には同情するし、悲しむ彼女を支えたい。しかし、これはチャンスでもある。最終目標は両想い、できれば結婚。もっと信頼を得てから、徐々に距離を縮めないと。

 今日は失敗したが、次こそは上手くやろう。でも……、


「……真っ赤になったエリシャ嬢、可愛かったな」


 うっかり顔がニヤけてしまう。

 浮いたり沈んだり。情緒の忙しない宰相令息は、授業開始の鐘にも気づかずいつまでもベンチに座り込んでいた。

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