最終話 死

「それにな、どうにも叶わんえん言うのもうちには判るつもりや」


 凪沙なぎさ愛玲奈あれなには淑枝としえの言わんとすることが判然としなかった。まさか彼女も同性愛者と言うわけではあるまい。


「うちには想い合うちゅう男がおった。けんど、結局別の男の縁談が親から来てそいつとは別れた。そがなことや。それがわれの親父や」


 父親。わたしの父親。凪沙は歯が軋むほど食いしばった。母と自分と幼い千絵を置いて外国人の踊り子とどこかに行ってしまった父親。


「われはげに父親譲りじゃのお。女を作って逃げ出いたところなんかそっくりや。父に逃げられ、姉に逃げられた千絵が可哀想や」


 凪沙は返す言葉がなかった。藤峯の家も村もどうなったって良い。ただ千絵を悲しませる自分が憎かった。

 淑枝は凪沙と愛玲奈あれなから背を向けたまま俯いていた面を上げ、天を見上げる。


「秋田港で聞いた話や。三日前、女性二人連れが手に手を取って航行中のフェリーから消えたとの目撃情報があったそうや。警察と消防が懸命の捜索を行ったけんど、二人の行方はようとして知れんそうや。みんなもう魚の餌になって見つからんやろう言いゆう」


 凪沙と愛玲奈あれなには淑枝が何を言っているのか判らなかった。


「今にして思うたら、あれがおまさんらやったのかも知れんのぉ」


 凪沙の声は震えていた。


「それじゃあ……」


「おまさんたちは心中したんや。親を捨て、妹を捨て、古郷ふるさとを捨て、友を捨て、人並みの恋も愛も捨て、なにもかも捨てて死んだんや」


「母さん……」


 そう呟いた凪沙を淑枝は肩越しにひと睨みする。


「われに母さんと呼ばれる筋合いはもうなか。われはもう死んだんやき、うちの敷居もまたぎなさんな。電話一本もよこしなさんな。えいねや。千絵にもそう言うてきかせる」


「わ、判った……」


 淑枝の声がさっきよりさらに重々しいものになる。


「凪沙」


「うん」


「お嬢さんを幸せにしちゃれ。なんちゃあ知らん、えいとこのお嬢さんで苦労は多いろうが自分で選んだ道や、必ずお嬢さんを守り通せ」


「判った……」


「お嬢さん」


「はい」


「凪沙はなんでも器用にこなすくせに肝心なところで道を踏み間違う臆病もんや。どうか末永う目を離さんじゃってくれん」


「はいっ!」


 淑枝は肩越しに寂し気な諦観の眼で二人を一瞥するとそのまますたすた歩いて展望デッキを降りていった。

 凪沙と愛玲奈あれなは抱き合って泣いた。いつまでも泣いていた。自分たちの愛が認められて許された喜びと感謝に泣いた。頭上を旅客機が轟音を立てて行き来していた。



 そのあとは昨日行った「冨久屋」で桐吾とうごたちのおごりで桐吾やあきらと一緒に四人揃って飲んだ。閉店まで飲み明かした四人はそれぞれの寝床に帰っていく。


 帰宅するとドアの郵便受けから何かが投かんされていた。拾ってみると「大事に使え」と淑枝の字で書かれた封筒だった。中には三十万円が入っていた。凪沙は号泣した。

 夜は二人で涙を浮かべながらお互いを深く愛おしみ慈しむように求め合い、そのまま抱き合って寝た。


 翌日、日曜日の二人は五稜郭タワーに出かけた。コートに隠れるように手を握って。

 タワーの展望台から五稜郭を望む。雪景色の五稜郭を見つめる二人。やがて愛玲奈あれなが笑顔でぽつりと言った。


「ねえ、私望みが叶っちゃった」


 凪沙には言っていることがよく判らなかった。愛玲奈あれなは微笑みを浮かべていた。


「ん? 函館に来たこと、でしょ」


 愛玲奈あれなは得意顔で返事をする。


「ううん、函館で死にたいって言ったこと」


「ああ」


 なるほど確かに愛玲奈あれなはここに来て遂に死ぬことが叶った。


「私、死んで本当に身も心も楽になった。私死んだんだからもう逃げたりせずに自分で自分の生き方を決めていいのね」


 嬉しそうな笑みを浮かべる愛玲奈あれな。丸眼鏡の奥の瞳がキラキラと輝いている。


「そうだね。死んだ愛玲奈あれなはもう愛玲奈あれな自身のためだけに生きていいんだ」


 凪沙は愛玲奈あれなを強く抱き締めた。


                                   ―了―

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【百合】二人の旅、死への旅 永倉圭夏 @Marble98551

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